ノスタルジア

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ねえ、覚えてる? もうずっと前の事だけど。 母親の運転する車に乗ると、カーステからは幸せな恋の歌でなく、別れ歌や恋を諦めた女の歌ばかりを歌う歌姫の曲が流れてきた。 子供の自分は、意味もわからないままその歌を覚え、歌っていた。 小学生には似つかわしくない、恋に疲れた女の歌を。 はじめて話をしたのは、好きなマンガが同じだったからだと思う。 中学に入学してからまだ数日。 桜はほとんど散って、八重桜が咲き出すような頃だった。 背が高くて、ソバカスがちょっとあって、開けっ広げな笑顔と、突拍子もない動きをする。 一緒にいて楽しい相手だった。 昼休みや授業では同じグループでつるんで、わいわいやってた。 でも、こっちは文化部、あっちは運動部、部活が違うと、帰る時間や相手も違ってくる。 それが妙に悔しくて、でも仲のいい相手とは一緒にいたいと思うのは普通だろうと思ってた。 むしろ、おきにいりの友達を他の人に取られて不貞腐れる自分の幼さが情けなかった。 一緒にいると楽しい。 大好きな友達。 ふと指先を見つめて、きれいな形の爪だな、と思う。 二重の幅が左右で微妙に違う。 瞳の色が思ってたより茶色い。 手が大きい。 手の大きさを比べようと手のひらを合わせたとき、そのまま手を握ってしまいたかった。 ああダメだ。 胸がすごくドキドキする。 指長いねとか言いながら、肌の感触を必死で頭に刻む。 気がつかないふりをしていたいのに、心臓は真実を残酷に告げてくる。 これは友情なんかじゃない、恋だ、って。 好き。 大好き。 でも言ったら友達としてそばにいられなくなる。 クラス替えで別クラスになって、それまでのグループでの付き合いはあったけど、お互い自分のクラスでまた仲のいいグループを作る。 移動教室で、笑いながら廊下を歩く隣にいるのが自分じゃないのがひどく理不尽なことに思えて。 そんな醜い感情に蓋をして、少しでも一緒にいる時間が欲しくて、忘れ物をしたら一目散に借りに走った。 好き。 大好き。 でも、これは蓋をしておかないといけないやつだ。 気づかれたらおしまい。 そして高校。 大学の進路が被った。 うれしいけど、圧倒的に能力差があった。 自分が必死にもがいて努力して手に入れたものを、あっさり自分の技術として使いこなすのを目の前にして、羨望と微かな憎しみがわく。 星とその辺の草位の差の実力は、当然進学校が違ってくる。 憎めれば良かった。 でも、そんな簡単に憎みきれるほど、ずっとかかえてた好きは軽くない。 好き。 大好き。 でも憎い。ずるい。自分はあなたのようになりたかった。 恋と呼べるほど単純じゃない気持ちを抱えたまま、卒業式の日はやってきた。 お互い、大学は違うけど同じ学部に入れて良かった。 うん。 今日で卒業だね。 でも四年になったら教育実習で戻って来るじゃん。 そうだね。 好き。 大好き。 まだずっと繋がっていたい。 だから、この想いは口にしちゃいけない。 「好きだった」 こぼれでた言葉に、自分で戸惑ってしまう 「うん、何となくそんな気はしてた」 笑いながら、くしゃっとした笑顔を向けてくれる。 「楽しかった」 「そうだね」 「先教室戻るね」 何事もなかったかのように、離れていく後ろ姿がぼんやり霞む。 今日は泣いたっていいんだ。 卒業式なんだから。 脳裏に唐突にカーステから流れていた歌姫の曲が流れる。 ああ、もう思い出にかえることは出来ないんだ。 ギュッと目をつぶって、浮かんでいた涙をしっかり流す。 めそめそしてたら、あいつに心配される 好き。 大好き。 だから、笑顔で旅立っていきたい。 あの日は散りかけていた桜はまだ固いつぼみで、新しい生徒たちが来る柔らかな日差しの日を待っていた。 そんな日が過ぎて、時は加速し、私たちはいつの間にか大人になって、そしてあの頃のように毎日話す訳じゃなくなった。 それでも繋がっている細い糸を、私は大切にした。 でもその糸はある日突然切れた。 死は誰にでも平等に訪れる。 そんなの知ってる。 でも何で彼女のところに訪れたの? 焼き場でちょっと外の空気が吸いたいと、外に出た。 彼女にぴったりの青い空。 あの日告げた言葉を思い出す。 (ねえ、覚えてる……? 大好きなんだよ、今でも。私は今でも忘れられない) 私は震える声で、あの歌姫の歌を絞り出した。 それは空に届くことなく、どこかへ消えていった。
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