その後の結果

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 いじめをそれまで受けていた子供は、報復という大義名分によって、いじめを行うことによる罪悪感を捨て、それを快楽へと変えて行った。  このようないじめをメディアはまたもや取り上げようとはしなかった。そういった話題より明るいものを取り扱うようスポンサー側に要請を受けていたためだ。スポンサーがついていない公共放送などでも、こういったいじめを報道することは無かった。こちらは政府に報道しないよう圧力を受けていたのだ。政府としてはこの問題にしっかり対処したという事を国民に見せたかった。  だから、あまり今までの状況が変わったということは無かった。ただ、それまでいじめを受けていた者にとっては大きな変化だった。  事件を起こした者達はいじめの現場から開放され、ネットでは英雄視する声が多く上がった。彼らは当然それを見て自分の起こした行動を誇らしく感じ、死亡者が出た事実に対する罪悪感など忘れ去っていた。今までいじめを受けていた者達は、今度はいじめを行う側に周り、自分が誰をどういじめるのか決められるようになった。  子供の善悪の判断は大人と比べ、未熟なのだからいじめを行う側といじめを受ける側など、簡単に入れ替わることが往々にしてあるはずだ。いじめを行う者は明日にはいじめを受けているかもしれないし、いじめを受ける側は何か反撃をすれば、今度はいじめを行う側に回るかもしれない。結局、いじめをすれば自分もそれをされるかもしれないのだ。いじめを行うということは、もし自分がそれをされたとき、受け入れなければならないということだ。
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