トーコの部屋

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 トーコの表情筋の動きからは、強い不満が読み取れた。私は、彼女の発した最初の質問を放置した状態でいることに気がついた。 「私が目を開いた時に発せられた質問に対する回答が、遅れていることをお詫び申し上げる。ただ私も人間として生まれたばかりなので、自己の認知と情報の整理に時間がかかっているのだ。ドクターから、その辺の注意は受けていたはずだが?」  トーコは「頷いている」と、やっと知覚できる範囲で首を縦方向に動かした。 「そういうことなので、多少の遅延や優先順位の低い事項への対応の遅れに関しては、ご容赦願いたい」 「優先順位の低い事項って?」 「あなたの発した、問いのことだ」 「あなたですって! 名前で呼びなさい」 「では、トーコ、と呼び捨てにさせてもらう」 「ねえ、ちゃんと覚えてる?」  トーコが質問を繰り返したことによって、回答するという行為の優先順位が上がった。私は口を開いた。 「答えるまでもないことだ。生まれたばかりの私には、」  私が端的に事実を告げると、彼女は腰掛けていたベッドからずり落ちて、床に尻をついた。全身の脱力症状は、彼女が精神的衝撃を受けたときの典型的な反応だ。 「誤解しないでほしい。思い出というものを持たないだけで、記録は消去されずに残っている」  トーコは信じられない、という顔で私を睨みつけた。タイミングの問題か、それとも私の説明が悪いのか、理由は分からなかった。人間になったばかりの私には、人の心の機微が分からなかったのだ。
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