おかしな話

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おかしな話

「あなた、昨日の行動を覚えていますか」  わたしが道を歩いていると、急に見知らぬ青年から話しかけられた。 「だれだ、きみは」 「わたしが何者かはあとでお知らせしましょう。あなたはわたしの質問に答えればよいのです。それで、いかがです。昨日どこでなにをしたか、記憶にありますか」 「新手の勧誘か、それとも詐欺か。とにかくかかわらないでくれ。気味が悪い」  歩く速さを変えて青年を振りきろうとする。しかし、そいつはしつこくつきまとうのだった。 「なにが目的なのだ」 「先ほど言いましたでしょう。あなたは昨日のことを覚えていますかと」 「知るか、そんなもの。忘れてしまったよ。さあ、これで満足だろう。さっさと消えてくれ」  じゃまな虫を追いはらうように手を振る。だが、そのおかしな青年はひとりでうなずいて、勝手に話を進めた。 「では、わたしが教えて差しあげましょう」 「なんだって。きみがわたしのしたことを知っているとでもいうのかね」  思わず笑ってしまうような話だ。それでも相手の青年はいたって真剣である。本格的に頭のおかしいやつらしい。 「もちろん知っています。あなたのことならなんでも知っているのです」  青年は得意げな顔をしていた。ますます意味がわからない。 「あなたは昨日、めずらしく目覚ましが鳴る前に起きましたね。朝食にパンを食べ、いつもと同じように会社へ向かった。会社では朝はやく起きたためか、眠気がひどく、昼休みに普段は買わない缶コーヒーを購入した」  青年が流れるように語る。わたしはというと、おぼろげな記憶を呼びさますのに精いっぱいだった。 「仕事が終わると、まっすぐ家へ帰り、酒を飲んだ。いつもより酒が進み、気がつくと、家にある酒を全部飲みほしてしまった。予備の酒がないかと、探しまわったが、結局見つからず、そのままベッドで朝まで眠った」  わたしの行動を言いおえた青年は「いかがです」と言って、こちらの顔をうかがった。わたしは得体のしれない恐怖を感じた。青年に言われてはっきりと思いだした。確かに青年の言ったことは真実だ。しかし、なぜ、目の前の青年がわたしの一日を知っているのだろう。 「きみは何者だ」 「ふふ、当たっていたでしょう。ですから言ったのです。あなたのことならなんでも存じあげていると」 「ふざけるな。何者だと聞いている」 「わたしはあなたを監視する役目を仰せつかっているのです」 「なんだって。だれの指示だ。いや、そもそもどうやってわたしの行動を把握した」  つづけざまにわたしは青年につめ寄った。このような不気味なやつの正体を明かさなければ、安心して暮らせるものではない。 「極秘の任務なので、普段は教えないのが決まりです。しかし、今日は特別に教えてさしあげましょう」  青年はにじり寄るわたしから距離を取って、語った。 「わたしの任務は天から命令されたものなのです」 「天とはなんだ。意味がわからない」 「そのままの意味ですよ。ある日、天から声か届いたのです。あなたを監視しろ。第一級の危険人物だ。必要な情報はすべて教えてやると」  青年の言っている言葉がまるで理解できない。わたしは質問を重ねた。 「わたしを監視することになんの意味があるのだ」 「それは知りませんよ。天のご意向なのです。しかし、その日以来、あなたの行動は逐一わたしのもとに報告されています。あなたの行動を言いあてたことから、うそ偽りのないことがわかるでしょう」 「いつからわたしを見張っているのだ」 「あまりくわしいことは言えませんが、数年ほど前でしたかね。そうだ、ちょうどそのころ失恋をしましたでしょう。相手が婚約していたとも知らず、かわいそうなものです」  わたしをばかにするように青年は口にした。恥ずかしさとおそろしさで混乱したわたしは、青年につかみかからんばかりのいきおいだった。 「なぜ、それを知っている。だれにも話したことがないはずだ。いや、あのときの相手は知っている。あいつに聞いたのか」 「困りますよ、そう誤解されては。わたしは天の声からあなたの情報を得ているのです。そう心配しなくてもいいでしょう。あなたに関することでわたしが知らないことなどないのですから」  自分がどういう事件に巻きこまれているのか、判断がつかなかった。頭のおかしいやつにしては、出てくるわたしの情報はたしかなものだ。青年が言うようにわたしの行動は全部見透かされている。 「なぜ、わたしに会いに来た。どういうつもりだ」 「おや、やっと本題に入りましたね」 「本題とはなんだ」 「冷静に考えてください。わたしは何年もあなたを見張っていたのです。わざわざ監視対象であるあなたに正体を明かす理由などないでしょう」 「しかし、いまお前はここにいるではないか」  ますます混乱する。このままではわたしのほうがおかしくなってしまう。 「じつは、つい先日、天から連絡があったのです。数日後に監視は終了する。いままでよくやってくれたとね」 「それは、つまり、解放されるということか」  わたしの言葉に青年は意地の悪い笑みを浮かべた。 「まあ、ある意味解放と言えましょう」 「ある意味とはなんだ」 「勘の悪いひとですね。あなたのような危険人物の監視が終了するわけがないでしょう。それでも終わるとすれば、対象が死ぬときです」 「なんだって。それでは、いまここでわたしが死ぬというのか」  さすがのわたしも笑いをこらえられなかった。いまこの瞬間死ぬなんて確率がどれくらいあるだろうか。買っていない宝くじに当選するようなものだ。ばかみたいに笑うわたしに、青年はいささか戸惑ったようだ。 「いきなりどうしたのです。頭でもおかしくなったのですか」 「頭のおかしいのはきみのほうだ。まともにつき合ったわたしがばかだった。さあ、どっかへ消えてくれ。きみの相手をするほどひまではない」  わたしが青年を払いのけようと、手を出したときだった。相手の青年がいきなり胸を押さえて、地面に倒れこんだ。 「なんだ。どうしたんだ」  苦しげな表情を浮かべる青年に声をかける。しかし、青年は声にならない声をあげるばかりだ。両手で胸のあたりを力いっぱいつかみ、目は見開いて、その焦点はあっていない。どうも、本当に苦しんでいるようだ。あわててわたしはだれかに連絡を取ろうとした。だが、連絡を取るその前に青年の体は動かなくなった。 「もしかして、死んだのか」  おそるおそる青年の顔を覗きこむ。おどろきに染まった表情が写真のように貼りついている。耳を澄ましても、青年の体からはなんの音も聞こえなかった。  いったいどうしたものかと、わたしがおろおろしていると、 「おい、お前」  頭のなかに声がした。びっくりしてあたりを見回すが、ひとのすがたはない。 「だれだ」  わたしが正体のない声に呼びかける。 「わたしは神だ。これからお前にある任務を与える。ある人物を監視しろ。情報はこちらから送る」  声がしたのと同時に監視対象のすがた、氏名、年齢などが頭のなかに流れこんできた。それらはいくら頭を振っても消えることはなかった。体から血の気が引いていく。このままではおかしな青年と同じ運命をたどるのではないか。 「やめろ。わたしは頭のおかしい人間ではない」  必死に否定するが、声は意に介しない。 「そうだ。だからこそお前は選ばれたのだ。任務終了のそのときまで、せいぜいがんばってくれ」 〈了〉
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