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休日出勤
できあがったスーツは天女がふんわりと羽衣をまとうかのように小枝の身体に馴染んだ。面長で知的な顔を持つ小枝にもっとも似合うタイプのテーラードジャケット。うっすらと銀のストライプが入った品のいい生地だ。見合いだけでタンスの肥やしにするのはもったいない。スーツは着てこそ価値が上がる。
インナーにシルクのリボンつきブラウスを合わせた。ワインレッドは仕事をするには多少の派手さがあるが、洋服にそれほどこだわらない職場だし土曜日だ。小枝は平気な顔で出勤することにした。出掛けに母が「本当に着ていくの?」と嫌な顔をしたが、きちんと時間通りに見合いの席へ向かうからとなだめて家を出た。
土曜日なのに出勤している社員は小枝以外にもいた。二年後輩の男性社員、柳井武が自席にいる。タイムカードを押しながら「おはようございます」と声をかけたら、顔を上げて目を丸くしていた。
「あの、鶴田さん、どうかなさったんですか」
「え、なにか変かな」
「いや、あの、おきれいですね、今日」
小枝がいつもと違う服を着ているからだろう、柳井はぽかんと口を開けて小枝を見つめている。
「この服のこと?」
「あ、服が違うんですね」
「今日の午後、お見合いなのよね」
「えっ」
心底びっくりしたといった風情で柳井は小さく叫んだ。
「そんなにおかしいかな、私がお見合い」
「いやそんなことありません、がんばってください」
「ありがとう、行きたくないけど」
薄暗いロッカールームへ向かい、バッグを放り込んで水道で念入りに手を洗う。小枝はまた憂鬱なため息をついた。ジャケットを脱いでハンガーにかけ、ロッカーをバタンと閉めると、頭を仕事モードに切り替えた。
白いスーツを汚さないようなそれとなく気を遣いながら仕事をする。小枝は二週間後の会議のアジェンダを洗い出して資料を作り、部長宛てにメールで送っておいた。いつもはコーヒーを飲みつつこなす仕事だが、今日はミネラルウォーターだ。万が一にもスカートにこぼれたら洒落にならない。
正午前に仕事を切り上げて立ち上がると、ずっと黙っていた柳井が「鶴田さん」と声をかけてきた。
「はい」
「あの、食事に行きませんか」
「これから? 私、今日は」
「あ、いや、今日じゃなくて、今度。ディナーでも」
「いいね、行こうか。どこに行く?」
「僕が考えておきます」
「了解、誘ってくれるなんて珍しいね」
柳井は照れたように頭をかきながら、少し笑った。
「おきれいな女性は食事に誘うものですから」
「ふうん、それ常識なの?」
「僕の常識です」
小枝は内心、悪い気はしなかった。気乗りしない形だけの見合いよりも、かわいい後輩と食事に行くほうがどんなにか楽しい。彼に感謝を告げて、「お先に」と会社を出た。
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