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誓いのキャンディ(1)
「何かパァーッとしたことをやりたいのよね」
テーブルに着いた途端、葉子は言った。
混雑する学食。
奇跡的に確保できた席で、葉子は忙しなく続ける。
「今年度の部活動も終わりが見えてきて、もうこの後はイベントらしいものもないでしょ? だけどここで気を抜いてたら、四月の新入部員獲得争いで、他の部に出遅れちゃうと思うの。ただでさえ料理部なんて地味だもん」
芽衣は豚丼の上の温泉卵を箸で崩しながら、
「わたしは別に料理部が地味だとは思わないけどな。みんなでおいしいもの作ったり工夫したり、楽しそうに見えるよ」
のんびりと言った。芽衣の向かいの席で、征太郎も深くうなずいている。
「今から心配しなくても、新入部員くらい普通に来るだろう」
わかってないなあ、と葉子は口を尖らせた。
「普通に来ないのよ、これが。去年だって部員獲得に苦労したんだから」
「部活動紹介のステージで、新入生にアピールするんじゃだめなのか?」
「あんなの、ほとんど運動部のためのステージでしょ。派手なパフォーマンスしたりしてさ。料理部なんて毎年、活動内容を説明するだけで終わりよ。そんなんで一体何人の新入生が興味持ってくれるっていうの?」
葉子は肩をすくめ、伸びかけの醤油ラーメンに手を付けた。
芽衣はうーんと唸った。
「それで、今のうちにパァーッと派手なことやって、料理部の存在をアピールするの?」
「そうそう、先手必勝。他の部が油断している今がチャンスだから」
「だけどそもそも、まだ新入生が入学してきてないだろう」
征太郎が首を傾げる。
「今からアピールしても、意味なくないか?」
葉子はきゅっと目を細め、征太郎を見た。「あれ? もしかして知らないの?」
「知らないって、何が?」
「来月よ。制服の採寸日で、来年度の新入生たちが学校に来るでしょ。その日を狙って、料理部が新入生向けの派手な企画してさ、興味を引き出すの」
ははあ、と芽衣は感心して葉子を見た。料理部のために普段から細かいところにまで気を配っている葉子だからこそ、気付けたチャンスだ。
「それはすごいインパクトになりそうだね」
「でしょう?」
芽衣と葉子がうなずき合う。
それを見て疎外感を覚えたのか、
「で、肝心の企画内容はどうなの? 何かいい案できてる?」
征太郎はちょっと意地悪そうな顔で尋ねた。
「それはまだこれから……」
「急がないと、来月なんてあっという間だぜ」
「あ、じゃあ葉子、今日うちで企画会議しようよ。部活休みでしょ? わたしもバイトないし」
答えに窮した葉子を見かねて、芽衣はそう提案した。
隣のテーブルにいたグループが去り、入れ替わりに別のグループがやってくる。その中のひとりが持っていたトレイの上には、焼うどんがのっていた。甘辛いソースの匂いが鼻をかすめ、苦しくなった芽衣は、深く息を吐く。
「芽衣、一緒に考えてくれるの?」
葉子がパッと目を輝かせた。
「もちろんだよ。うちで参考になりそうな動画とかチェックしよう」
「うん。ありがとう芽衣」
勢いよく葉子に抱きつかれ、芽衣の体が揺れる。その拍子に、隣のテーブルの焼うどんが視界に入った。さっと目を逸らし、芽衣は昨日の光景を脳裏に浮かべる。
昨日、芽衣の家の隣に、引っ越しのトラックが止まった。トラックが帰った後で、穏やかそうな雰囲気の家族が、引っ越しの挨拶にやってきた。長く空き家のままだった隣家に、新しく人が入ったのだった。
帰り道の途中、コンビニでお菓子とジュースを調達した。
「芽衣んち行くの、何気に久しぶりかも」
葉子が言う。
確かに、二人でこの道を歩くのは久々な気がした。
「ここのところ、お互い忙しかったもんね」
「わたしは部活で、芽衣はバイト……だけじゃないか」
「ん? どういう意味?」
「週一で柴村くんちに通ってるじゃない」
「ごはん会」
「そうそう」
葉子はうなずき、
「柴村くんばっかりじゃなくて、たまにはわたしとも遊んでよね」
と、冗談めかした口調で言った。
「やだ葉子、たまになんて言わないで、もっと一緒に遊ぼうよ」
「えへへ、嬉しいこと言ってくれるなあ。可愛い奴め」
ふざけ半分に友情を確かめ合い、それはそうと、と葉子は唐突に表情を引き締めた。
「真面目な話、柴村くんとは今どうなってるの?」
「どうなってるのって?」
「何か進展あった?」
「え? ないよ、ない。別に付き合ってるとかじゃないし」
否定する芽衣を見て、葉子は口の中だけでつぶやいた。
「柴村くんて奥手なのかな。やっぱりもう一回くらい焚きつけてやらないと……」
家の前に到着し、
「待って、鍵出すね」
芽衣は鞄の中をごそごそと探る。そのとき、どこからか声が上がった。
「芽衣か……?」
確かめるような声には、聞き覚えがあった。
――まさか……そんな……。
芽衣は息を呑み、そろそろと視線を動かす。
隣家との境界線辺りに、懐かしい姿が立っているのを見つけた。記憶の中よりも大人っぽい顔つきになり、体つきもがっしりしている。だけど見間違うはずない。
「忍……兄ちゃん……?」
八年前、大原家は現在の家に引っ越してきた。同じ市内での引っ越しだったが、学区が変わるため、芽衣は転校することになった。仲の良かった友人と離れ、見知らぬ生徒たちの中へ入っていかねばならない。九歳だった芽衣の心は、不安に揺れていた。
念願のマイホームを手に入れるため、両親はかなり無理をしたのだろう。引っ越しと同時に、母はそれまでの非常勤から常勤へと切り替え、家を空けがちになった。父も仕事を詰めこむようになり、帰宅時間が遅くなった。芽衣は放課後から夜まで、家の中でひとり過ごした。
慣れない土地、慣れない学校、慣れない家。さらに頼りのはずの両親は不在。幼い芽衣を追い詰めるには、充分な環境だった。仕事前に母が用意していってくれた夕食を、ひとりぼっちの食卓で食べる。ふと気付くと、食べながら泣いている。何か悲しいことや辛いことあったわけじゃない。
ただちょっと、心細いだけ。
そして誰かにこの気持ちをすくいとってほしいだけ。
インターホンが鳴り、出てみると、隣家に住む高校生が立っていた。
「回覧板持ってきたんだけど……あれ? 家の人は?」
芽衣はぐすりと鼻を鳴らし、「今は二人ともお仕事です」と答えた。
「えっと……」
高校生は困惑した顔で芽衣を見下ろした。
「ひとり? 何か困りごと?」
「ううん、大丈夫」芽衣はかぶりを振った。と同時に腹の虫が鳴った。
「あのさ、えっと……」
何か悟ったのか、高校生は急に慌てはじめた。
「ちょっと待ってろよ。すぐ戻ってくるから」
と言い置いて、自分の家に引っこんでいく。
今度は芽衣が困惑する番だった。高校生の様子は、ただ事ではない気がした。だから言われた通り、玄関の前で待った。
しばらくすると、高校生は湯気の立った器を片手に戻ってきた。
「ほら、これ」と差し出された器の中身は、焼うどんだった。
「腹減ってるんだろう? これ食え。食えば元気出るから」
高校生は割り箸まで用意してくれていた。芽衣は素直に受け取り、その場で焼うどんをすすった。具はキャベツのみ、麺は焦げてかちかちになっている。それでも、焼うどんはとてもおいしかった。
食べながら、嗚咽がこみ上げてきた。
俯き堪える芽衣の顔を、高校生が覗きこんだ。
「どうした? 気分でも悪いか? 言っとくけど、まずいからって文句たれるなよ。俺だって初めて作ったんだからな」
ぶっきらぼうな物言いに対して、高校生の声音は優しかった。
インターホンに反応して玄関に出たとき、芽衣は暗い顔をしていた。目の前の高校生は、芽衣の元気がない理由を、お腹が空いているからだと推察したらしい。それでわざわざ一度自宅に戻り、焼うどんを作って来てくれたのだ。
ヒクッとしゃくり上げ、芽衣はぼろぼろと泣き出した。
自分を見てくれた人がいる。自分に気付いてくれた人がいる。
たまらなく嬉しかった。
高校生は芽衣が泣き止むまで、頭を撫でてくれていた。
これが、芽衣と忍が初めて言葉を交わした日となった。
それから忍は度々、芽衣を気付かってくれるようになった。
「大丈夫か?」とひとりで留守番をする芽衣を訪ね、そのたびに焦げた焼うどんを差し入れてくれた。芽衣は忍が来るのを心待ちにするようになった。
二年が過ぎ、忍は高校を卒業した。と同時に、一家は引っ越していった。
最後に作ってもらった焼うどんの味を、芽衣は今も覚えている。
新しい入居者が決まらないのか、忍たち家族が住んでいた家は、長く空き家のままだった。芽衣は隣家を見るたび、忍を思い出し、寂しくなった。
けれど空き家の状態が続く間は、期待していられた。忍はいつかまたここへ戻ってくる。なんの根拠もない、ジンクスめいたただの願望だった。しかしそうやって願うことで、芽衣は落ち着きを保っていた。
だから昨日、隣家の前に引っ越しのトラックがとまるのを見たときには、胸がざわついた。自分と忍をつなぐ場所が、とうとうなくなってしまったと思った。
忍とはもう会えないのかもしれない。
焼うどんの匂いは、忍と過ごした時間を思い起こさせ、芽衣の心を切なくさせた。
だが忍は今再び、芽衣の前に現れた。
「久しぶりだな、芽衣」
芽衣は走り寄った。
「忍兄ちゃん、どうしたの?」
興奮で、舌がもつれる。
「な、なんでここにいるの?」
忍は目を細め、芽衣の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「なんでって、そんなの決まってるだろう。芽衣に会いに来たんだよ」
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