君と出会うハンバーグ(1)

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君と出会うハンバーグ(1)

「俺、彼女ができそうなんだよね」と相手は言った。 「俺とその子、今すげえいい感じでさあ……」  休日の午後。満席のカフェ。各テーブルからは、楽しげな話し声が流れてくる。  芽衣の周りだけが、重い空気に包まれていた。 「だから芽衣ちゃんとこうやって二人で会うのはまずいっていうか……」  相手はそこで言葉を選んでいるのか、小さく唸った。「だから、その……」 「うん、大丈夫。わかったよ」  芽衣は先回りして言った。 「彼女ができそうなときに、他の女の子と二人で遊んだりするのは、おかしいもんね」 「ああ、うん、そうなんだよ」  芽衣の物分かりの良さに、相手は一瞬、救われたような表情を浮かべた。  彼とは、友達の紹介で知り合った。二人きりで会うのは、今日が三度目。前回のデートですでに、芽衣は彼の気持ちに気付いていた。思い返せば最初のデートから、彼はいかにも気乗りしないという態度をとっていた。 「なんか、ごめんね……。わざわざ紹介とかしてもらったのに、こんなことになって」  それから彼は、芽衣を紹介した友人の名前を口にし、彼女にも謝っておいてほしいと言った。 「そんな、全然気にしなくていいよ」  芽衣は彼を気遣い、微笑んでみせた。 「ありがとう。芽衣ちゃんて、いい子だよね」  芽衣が非難めいたことを口にしないとわかり、彼は肩の力を抜いた。それでついうっかり、本音をこぼしてしまったのだろう。 「俺もさあ、一応三回はデート付き合ってあげたんだから、いいよね」 「え?」  訊き返した芽衣の前で、彼はしまったという顔をした。どうやら彼は今日まで、芽衣を紹介した友人への義理で、デートに誘ってくれていたようだ。  芽衣は下唇を噛んだ。 (そんなふうに気を遣うなら、最初から断ってくれて良かったのに……) 「あ、あのさあ、俺たち、彼氏彼女という意味では縁がなかったけど、これからも普通に友達としては、全然相談とか乗るし」  彼は取り繕うように言った。 「あ、うん。ありがとう」  芽衣は小さく返す。  そのまま、気まずい沈黙が流れた。  これまでにも、友人の紹介などで男の子と知り合う機会はあった。デートもした。だけど何度か会ううち、男の子は決まって芽衣に言うのだ。「友達してはいいんだけど……」  男の子はみんな、芽衣を恋愛対象の枠に引っ掛けてくれさえしない。  いい加減、気詰まりな空気に耐えきれなくなったのか、彼は冷めたコーヒーをごくごくと飲み干すと、席を立った。 「じゃあ俺、帰るね。芽衣ちゃんにも早く彼氏ができるといいね」 「あ、うん。ありがとう。楽しかった」  深く考えず、当たり前に感謝を口をした。  しかし彼は怪訝そうな顔で芽衣を見下ろした。「本当に、楽しかったの?」 「え……?」  芽衣が息を洩らすと、 「俺といるとき、芽衣ちゃん無理して笑ってただろう? 全然楽しそうじゃなかったじゃん」  彼は問い詰めるような口調になった。芽衣は気圧され、口の中で何事かをもごもごとつぶやく。すると彼は呆れ切った顔でため息をついた。 「別に責めてるわけじゃないよ。親切でアドバイスするけど、芽衣ちゃん次にもしいい感じの相手が現れたらさあ、ちゃんと心から笑ったほうがいいと思う。自分では取り繕えてたつもりなんだろうけど、作り笑顔って結構相手に伝わってるもんだよ」 (わたし、楽しそうじゃなかった? ちゃんと笑えてなかった?)  芽衣は愕然として、彼を見返した。彼はもう言いたいことは言ったという顔で、 「じゃあね」  今度こそ席を離れる。  ひとりになったテーブルで、芽衣は考えた。  デートの間の、上滑りするばかりの会話。彼の硬い表情。ずっと、彼は自分といても楽しくないのだと思っていた。だけどむしろ、楽しくなさそうに見えていたのは、自分のほうだったのだ。楽しくないのに、無理して笑う。そんな自分の態度が、彼を虚しい気持ちにさせていたのかもしれない。  肩を落とし、カフェを出た。  自分には一生、恋愛なんてできないんじゃないか。  悲しい、と芽衣は思った。だけどそれ以上に、お腹が空いていた。  頭に浮かんだのは、さっきまでいたカフェのメニュー。今月のおすすめスイーツの欄には、特製シュークリームとあった。 「シュークリーム……やっぱり注文すれば良かったな」    しかしコーヒーしか注文していない彼の前で、自分だけシュークリームを頬張るわけにはいかなかった。食べたい気持ちを、ぐっと堪えた。  芽衣にとってデートは、己の食欲との戦いでもあった。  芽衣は食べることが好きだ。そして周りの女の子たちと比べて、二倍三倍の量を食べる。  だがそのことは、家族や親しい友人以外には秘密にしていた。デートの相手が大食いだと知れば、彼はきっと嫌な気持ちになるだろうと思った。    芽衣が大食いを恥ずかしいと感じたのは、中学二年の夏だった。  初めて部活の先輩に誘わて、夏祭りに行った。先輩は芽衣が密かに想いを寄せている相手だった。  屋台の食べ物に次々と手をつけていく芽衣を見て、先輩は言った。 「なんか、男より食う女子って、見てて引くわ……」  それきり先輩が芽衣を遊びに誘ってくれることはなかった。芽衣の初恋は苦い思い出だけを残し、終わった。  同じ失敗は二度と繰り返すまいと、芽衣は人前で食欲を抑えるようになった。  映画館デートでは、売店のポップコーンの香りに惹かれながらも、涙を呑んで注文するのを諦めた。  映画の後に入ったファーストフード店では、ダブルサイズのハンバーガーを夢見ながら、Sサイズのポテトをちびちびと齧った。  きっと彼の目には、食べたいものを我慢する自分の姿が、「無理して笑っている」「全然楽しそうじゃない」ように映っていたのだろう。 「これからはもう、休みの日にまで大食いだってことを隠す必要もないんだな……」  帰り道を歩きながら、芽衣はつぶやいた。目についたコンビニに飛び込む。デザートコーナーに直行し、シュークリームを手に取った。  おいしいものを食べれば、きっと元気になれる。悲しい気持ちのときは、とびきり甘いものを食べるのだ。  隣のプリンにも手を伸ばす。チーズタルトもいいな。クリームたい焼きも好き。そうして芽衣は買い物かごをスイーツでいっぱいにした。  レジで会計を済ませようとして、気が付いた。 「嘘……財布がない……」  慌てて鞄の中を探る芽衣に、コンビニ店員が面倒臭そうな視線を向ける。 「お客さん、どうします? 次の人、レジ通しちゃっていいっすか?」 「……すみません」  芽衣は何度も頭を下げ、何も買えないままコンビニを出た。  すぐさま来た道を引き返す。  カフェを出たときには、確かに財布を持っていた。だからその後、コンビニまで歩く間に落としてしまったに違いない。  早く財布を探さなければ――。  一時間後、芽衣は公園のベンチでひとり、途方に暮れていた。  あれから財布を探して歩いたが、すでに誰かに拾われた後だったらしく、見つけられなかった。交番に行って尋ねてみたが、財布を拾ったという届け出はないという。  もしかしたらもう、財布は戻って来ないかもしれない。中身のバイト代ともさよならだ。 「今日は最悪の日だ……」  芽衣はがっくりと肩を落とした。  一日のうちでデート相手に見切りをつけられ、財布を落として全財産を失くすなんて、本当についてない。その上、この空腹。お金がなければ、食べ物も買えない。  芽衣のお腹が、ぐうと鳴った。そのとき、どこからか食欲を刺激する香りが漂ってきた。 「何だろう、このおいしそうな匂い……」  芽衣は鼻をひくつかせながら、周囲を見回した。少しの遊具が設置されているだけの、小さな公園だ。夕暮れとあって、その遊具で遊ぶ子どもたちの姿もない。この公園に自分以外の人がいるなど、芽衣は思いもしていなかった。  その彼は、ブランコに座り、深く項垂れていた。膝の上には、なぜか皿を乗せていた。  おいしそうな匂いは、その皿から漂っているようだった。  じっと見ていると、突然彼が顔を上げた。 「あ……」  瞬間、目が合ってしまった。芽衣は思わず、ごくりと唾を呑み込んだ。  視線を逸らすより先に、彼が声をかけてきた。 「あの、もしかしてお腹空いてますか?」
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