君と出会うハンバーグ(2)

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君と出会うハンバーグ(2)

 ちょっと掠れた感じの、甘い声だった。  芽衣が答えに詰まっていると、彼はさらに続けた。 「さっき、お腹が鳴っていたみたいだから……」 「嘘、そっちまで聞こえてた?」  小さな公園とはいえ、芽衣の座るベンチから彼のいるブランコまでは、それなりに距離がある。  果たして自分は、そこまで盛大に腹の音を響かせていたのだろうか。  芽衣は赤面した。 「……すみません、聞こえちゃいました」  彼はまるで自分のほうが悪いみたいに、眉を下げた。  それから芽衣の座るベンチへと、近づいてきた。    ぱっと見た感じ、自分と同じ歳くらいだろうか。あるいは年下かもしれない。  彼は、今さっき家から飛び出してきたみたいな恰好をしていた。着古したTシャツに、シミだらけのエプロン。足元は色褪せたサンダルをつっかけている。  一つ妙だと思ったのは、彼が頭の上で前髪をまとめるのに使っているのが、うさぎのマスコット付きヘアゴムだということだった。妹か誰かのヘアゴムを借りたまま、家を出てきてしまったのだろうか。そうだとしたら、ちょっと天然ぽくて可愛い。  芽衣は思わず、口元をゆるめた。  彼はメガネの奥の目を細め、にっこりと微笑んだ。手の中の皿を、芽衣に差し出す。 「もし良かったら、これ食べませんか? 焼き上がったばかりなんで、まだ温かいですよ」  皿の上には、ぷっくりと厚みのあるハンバーグが乗っていた。オレンジや赤、緑の色が浮かんだ、カラフルなハンバーグだ。 「この色……」 「色? ああ、そうなんです。細かく切った野菜を混ぜこんで焼いてるんですよ。オレンジが人参で、赤がパプリカ、緑がピーマンですね。他にもしめじと枝豆を入れています」 「あなたが作ったの?」 「はい。うち片親で、母は仕事が忙しいんで、夕飯の支度はいつも俺がしているんです」 「すごい……」    芽衣は感心して、彼を見上げた。親の仕事が忙しいのは芽衣も同じだが、これまで一度だって自炊しようなどと思ったことはない。食べることは好きだが、作るほうは苦手なのだ。 「俺、妹がいるんですけど、ピーマンが苦手でいつも残すんです。それでなんとか克服させようと、大好物のハンバーグにピーマンを入れてみたんですけど、大失敗でした。ピーマンの入ったハンバーグなんて食べたくないって、妹からすごい怒られました。俺のほうもついムキになって言い返してしまって、大喧嘩ですよ。少し頭を冷やそうと、咄嗟に家を出てきたまではいいけど、うっかりハンバーグを持ったまま出てきてしまって……ほんと情けない兄です」  彼はそう言って、苦笑いを浮かべた。 「持って帰っても、もう妹はハンバーグに手をつけないでしょう。だけどせっかく作ったものだから、誰かに食べてもらいたい。ああ、でも、いきなり知らない奴から手作りのもの渡されても、気持ち悪いですよね。すみません……」  彼が皿を引っ込めようとする。瞬間、芽衣の手は動いた。気が付くと、ハンバーグの皿をがっちりと掴んでいた。 「そんなことないです。気持ち悪くないです。すごくおいしそうです」  だって、難なく想像できてしまったのだ。  妹の好き嫌いをなくそうと、料理のアイディアを考える彼の姿を。一生懸命野菜を刻む彼の姿を。そして、せっかく作ったハンバーグを拒絶され、傷ついた顔をする彼を――。 「このハンバーグ、わたしにください」  芽衣は勢いこんで言った。  こんなに愛情のこめられたものが、誰にも食べられないのは悲しい。  ふっと、彼は顔をほころばせた。白く形のいい歯が覗いた。 「こんなもので良ければ、是非もらってください」    こうして芽衣は彼から皿を受け取った。  彼は何か吹っ切れたような顔で、 「じゃあ俺、家に戻ります。妹に何か別のものを作って、食べさせないと」  公園を出て行った。  彼の背中を見送った後で、芽衣は鞄からマイ箸を取りだした。早速、ハンバーグを口に運ぶ。  一口食べて、息をついた。 「おいしい……」  翌日、芽衣は葉子と征太郎に、昨日の彼の言葉を報告をした。 「彼女ができそうだから、わたしと二人で遊んだりはできないんだって」   「えー? なんかそれ、ひどくない? 元々、向こうのほうが芽衣のプリ見て、紹介してくれって言ってきたんでしょう?」  葉子が不満の声を上げるけれど、朝のホームルーム前の賑やかな教室では、さほど響かない。 「プリで見たときと、実際会って話してみた感じでは、何か違ったんじゃないかな」  芽衣はさばさばと言った。 「そうだとしてもさあ」  吹っ切れた様子の芽衣に対し、葉子はまだ何か文句がありそうだ。 「紹介してもらっておいて、後から他に彼女できそうとか、芽衣に対して失礼すぎじゃない?」  そんな葉子をなだめるように、征太郎がのんびりと口を挟んだ。 「まあ、友達の紹介なんてだいたいがうまくいかないもんだよ」  それよりさあ、と言って、征太郎はスマホを操作する。「ちょっとこれ見て。昨日うちの猫が白目剥いて寝てたんだけど……」  向けられた画面を覗きこんで、芽衣と葉子は同時に吹き出した。 「うっそ、猫って普通こんな寝顔する?」 「ていうか寝相もおかしいし」 「だろう? ウケるよな」  話題は征太郎の飼っている猫へと移り、それから葉子の部活の話へと続いた。 「でもさあ、ちょっと安心した」  料理部の部長になったことを報告した後で、葉子は思い出したように言う。 「安心?」 「芽衣、引きずってなさそうだから」 「ああ、そういえばそうだな。ほら、前に友達の紹介で知り合ったときは……」  征太郎は言いかけて、ハッと口をつぐんだ。  芽衣は以前にも友達の紹介で別の相手と知り合い、断られている。それもひどい断られ方だったので、しばらくの間立ち直れなかった。 「うん、言われてみれば……」芽衣は目を瞬かせた。「確かに引きずってはいないかも」  昨日、カフェを出た直後に感じていた悲しみは、どこかに吹き飛んでしまっている。それどころか、今はなんだか気持ちが明るい。 (どうしてだろう? もしかして、昨日公園で出会った彼のハンバーグを食べたから?)  優しく穏やかに喋る彼。名前も知らない彼からもらったハンバーグを口にした瞬間、暗かった芽衣の心に、光が射したのだ。  ――やっぱりおいしい物を食べると、元気になれるんだな……。  芽衣は二人に、昨日の出来事を語った。すると征太郎は、 「知らない奴からハンバーグごちそうになるとか、どんだけ食い意地張ってんだよ」  と芽衣をからかい、一方葉子は、 「例え相手がいい人そうに見えても、知らない人からもらったものを食べたりしたら、危ないよ」  と険しい顔で忠告した。 「大丈夫だよ。食べてもなんともなかったし」 「そういう問題じゃないでしょ。いい? これからもし同じようなことがあっても、絶対に受け取っちゃだめだからね。世の中には悪い人だっているんだから」 「うん、わかった。気を付けるよ」  芽衣はしゅんとして、肩を落とした。 「まあ、仕方ないよな。芽衣は食欲モンスターなんだから。食い物を目の前にしたら、食べずにいられないんだよな」  すぐさま征太郎が茶化す。 「もお、その言い方悪意ある」  芽衣はかるく征太郎の肩を小突いた。  二人のやりとりを、葉子は呆れ顔で見守る。  征太郎の軽口のお陰で、空気がゆるんだ。  芽衣は気を取り直し、言う。 「今日の放課後、昨日の公園に行ってみようと思うんだ」 「どうして?」 「その人ね、ハンバーグくれたらすぐいなくなっちゃったから、わたしお皿を返せなかったの。返そうにも、どこの誰かもわからないし、公園に行ってみたらまた会えたりしないかなーって……」 「そんなの、向こうだって最初から返してもらおうなんて考えてないんじゃない?」 「でも、もしかしたら大事なお皿かもしれないし、それにもう一度ちゃんとハンバーグのお礼も言いたい」 「芽衣ひとりで行くの? 大丈夫?」  葉子が心配そうに尋ねた。 「わたしもついて行ってあげようか?」  芽衣は首を横に振った。 「平気。本当に彼、変な感じの人じゃないから。それに葉子、部活あるでしょ?」 「じゃあ俺が一緒に行こうか? 芽衣にハンバーグをくれたのが、どんな奴かも気になるし」  征太郎が挙手しながら言う。 「だーめ! 征太郎も今日部活でしょ?」    そのとき、始業のチャイムが鳴り響いた。  クラスの違う征太郎は、慌てて芽衣と葉子の元から離れる。 「二人とも今日購買行くよな? じゃあまた昼休みに」  そうして征太郎は自分の教室へと駆けていった。  昼休み、芽衣と葉子、征太郎の三人は並んで購買に向かった。  三人で一緒に昼休みを過ごすことは、中学の頃から続く習慣だ。 「葉子は今日、何にするの?」 「わたしはミックスサンドの気分かなー」 「俺は今日弁当持ってきてるから、焼きそばパンだけにしとくわ。芽衣は?」 「わたしも今日おにぎりとパン持ってきてるから、買い足すのはコロッケパンとカレーパンだけにしておこうかな」  購買の前は、いつにもましてごった返していた。早速そこへ加わろうとした芽衣を、葉子が引っ張る。 「芽衣、そっちはパン買う人の集まりじゃないよ」 「そうなの? じゃあ何?」 「顔ぶれをよく見てみなよ。女子しかいないでしょ。これは間違いなく、王子を見物するために集まった子の列だね」 「……王子?」  芽衣はきょとんとして尋ねた。 「ええ? 芽衣、王子の存在知らないの?」 「知らない」 「嘘だろう、俺だって知ってるぜ」  征太郎が目を丸くする。 「一年にさ、とんでもなく美形の奴がいるんだよ。美形っていうか、美人? 男のくせにすげえきれいな顔してんの」 「そうそう、背が高くて色白くて、髪の毛なんかさらさらで……」  葉子と征太郎の口ぶりに影響されてか、芽衣はその王子という存在に興味がわいた。女の子たちの集まっているほうへと顔を向ける。彼女らの視線の先を、目で辿った。  そこにいたのは、葉子と征太郎が言った通りの人物――まさに少女漫画の世界から飛び出してきたようなビジュアルの男子生徒だった。  自販機で飲み物を買う彼を、女の子たちは嬌声を上げながら、あるいは恥ずかしそうにちらちらと、盗み見ている。 「どう?」  彼の姿に視線を奪われている芽衣に、葉子がそっと尋ねた。 「イケメンだけど派手で目立つって感じじゃなくて、どちらかというナイーブな文学青年タイプ。まさに王子様って感じで、いいでしょ?」 「う、うん……」  葉子の言葉に一応は同意を見せながらも、芽衣の頭の隅には何かが引っかかっていた。 「芽衣、どうかしたのか?」  征太郎が不思議そうに、芽衣の顔を覗きこんだ。  芽衣は慌てて首を振る。「ううん、なんでもないよ」 「じゃあ王子の姿も拝めたことだし、パン買おうか」 「そうだな。早くしないと焼きそばパン売り切れちまうよ」 「行こう。芽衣」  葉子が芽衣を促した。  王子に背を向ける。だがすぐに思い直して、振り返った。その瞬間、王子と目が合った。王子のほうでも、ずっと芽衣を見つめていたのだ。 「あ……」  芽衣は小さく息を呑んだ。王子がかすかに微笑みかけてくる。  ――そうだ、彼はやっぱり昨日の……。
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