クリスマスおでん(5)

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クリスマスおでん(5)

 大通りを駆け、葵を探した。  葵はまだ幼い。暗い場所や人気のない場所には、怖がって近づかないはずだ。ましてや知らない場所になど足を向けないだろう。そう予想をつけて、葵に馴染みがある場所を覗いていく。 「ここにもいませんね」 「次、スーパーのほうも探してみよう」  しかしどこにも、葵の姿は見つけられなかった。見当をつけた場所は探し尽くし、芽衣と叶恵は途方に暮れた。 「あの、もしかしてさっきからスマホ鳴ってますか?」  叶恵が言った。 「あ、ほんとだ」  芽衣は慌ててコートのポケットからスマホを取り出す。と同時に、着信は途切れた。画面には、着信を知らせるメッセージがずらりと表示されている。今まで走りづめで、スマホを見ている余裕がなかった。  着信はすべて、バイト先の中華料理店からだった。その数から察するに、かなり緊急の用事だろう。芽衣は急いで折り返した。 「もしもし、大原です。すみません、今まで着信気付かなくて――」  電話に出たのは、和美だった。 「ああ、芽衣ちゃん? 良かったつながって。今ね、芽衣ちゃんを訪ねて、お店に女の子が来てるんだけど……」  芽衣と叶恵が駆けつけたとき、葵は店の奥で店長夫妻に挟まれて座っていた。小さく肩をすぼめ、うつむいている。 「店の前をずっとうろうろしている子がいるって、常連さんが気付いてね。声をかけたら、芽衣ちゃんに会いに来たっていうものだから……」  和美が説明した。   「すみません。妹がご迷惑をおかけしました」  叶恵が店長夫妻に頭を下げる。 「あなたがお兄さんね」 和美が言った。 さっきの電話で、芽衣は叶恵と葵のことを、店長夫妻に説明していた。 「なあに、気にするな。妹さんが見つかって良かった。それでいいんだよ」  と店長が優しく叶恵の肩に手をおいた。 「俺とこいつは店のほうにいるから、ゆっくり妹さんの話聞いてやりなさい。何かあったら遠慮なく声かけてな」 「外、寒かったでしょう。今温かいお茶淹れるからね」  店長夫妻が席を外すと、叶恵はそっと妹の前にしゃがみこんだ。 「葵、こんな時間に、何も言わずに家を出て行っちゃだめだろう。すごく心配したんだ。葵にもしものことがあったら、兄ちゃんも、芽衣さんも、みんな悲しい」 「……ごめんなさい」  葵は小さくつぶやいた後で、堪えていたものを吐き出すようにしゃくり上げた。 「でもね、葵どうしても芽衣ちゃんに会いたかったの。会って、クリスマスパーティーに来てほしいってお願いするつもりだったの。ここに来れば、芽衣ちゃんに会えると思って……」  芽衣は以前葵の前で、中華料理店でバイトしていると口にしたことがあった。その際「いつか食べに来てね」と、店の場所をおおまかに説明している。葵はそのときの記憶を頼りに、ここまで辿りついたらしい。 「クリスマスは大好きな人と過ごす日なんでしょ? じゃあ芽衣ちゃんが一緒じゃないパーティーなんて、変だよ」 「葵ちゃん……」 「だって葵、芽衣ちゃん大好きなんだもん。葵とお兄ちゃんと芽衣ちゃんの三人で、パーティーやりたいんだもん」  葵は涙をいっぱいに湛えた目で、まっすぐ芽衣を見つめた。  芽衣はそっと葵に歩み寄った。 「ごめんね、葵ちゃん。やっぱりわたしも、葵ちゃんとクリスマス過ごしたいな。わたし、パーティー行ってもいいかな? 葵ちゃん、わたしと一緒にクリスマス過ごしてくれるかな?」 「え? 来てくれるの?」 「うん」 「だけど芽衣ちゃん、用事があるんじゃ……」 「ううん、大丈夫だよ。ごめんね、約束したのに、やっぱりパーティー行けないなんて言って。わたし、葵ちゃんをすごく傷つけたね」 「大丈夫だよ。葵、平気だよ。芽衣ちゃんがパーティー来れるようになって、すごく嬉しい」  まだ涙の残った顔で、葵はにんまりと笑う。  たまらず、芽衣は葵を抱きしめた。葵の髪やコートには、夜の気配が染みついている。触れた肩は驚くほど小さい。こんなに幼い子がたったひとりで、暗く寒い夜道をやって来たのだ。自分に会いたいという思いだけで、ここまで。そして、自分のことを好きだと伝えてくれた。  恐れずに好きという気持ちを表現する葵の姿に、芽衣の心は打たれた。 (わたしも、葵ちゃんのようになれたらいいな)  今はまだ、この気持ちを伝えられるほどの勇気はない。だけど少なくとも、叶恵を好きだという気持ちにだけは正直であろう。叶恵を好きになった自分に、自信を持とう。  芽衣は葵の耳元で、そっと囁いた。「わたしね、ちょっと弱気になってたんだ」 「弱気?」  きょとんとして、葵が訊き返す。 「自分に自信がなかったの」  でもね、と言って、芽衣は葵の目を覗きこんだ。「これからは大丈夫だよ。葵ちゃんにいっぱい勇気をもらったからね」  和美の淹れてくれたお茶を飲んでいると、店の扉が開く音がした。外の冷たい空気が吹きこんでくる。 「こんばんは」  と、藤代の声がした。 「柴村葵がこちらでお世話になっていると、連絡もらったのですが……」  店長が出ていき、すぐに藤代と詩織を連れて戻ってきた。 「ああ良かった。葵ちゃんが無事で」  二人は葵の顔を見ると、心底ほっとした顔になった。 「ごめんなさい陽太にい、詩織さん。ここまで来てもらって……」  叶恵が頭を下げる。 「いいや、葵ちゃんの顔を見るまでは、安心できないからね」  藤代がそう言うと、その横で詩織が同意するようにうなずき、微笑んだ。  改めて店長夫妻に謝罪と礼を述べ、芽衣たちは帰路についた。  叶恵に背負われているうち、葵は寝息を立てはじめた。 「葵ちゃん、お兄ちゃんの背中で安心して、眠くなっちゃったのね」  詩織が言う。 「叶恵、背中によだれ垂らされてるぞ」  藤代が笑い声を上げた。  今まで、藤代と詩織は一緒に葵を探していたという。芽衣はそこで改めて、二人が知り合いだったことを不思議に思った。さっきまでは葵を探すのに必死で、疑問を挟んでいる余裕がなかった。  芽衣の顔色を読んだらしく、叶恵が説明する。 「詩織さんは陽太にいの彼女なんです。その縁で俺は、詩織さんに家庭教師してもらってたんですよ」   「え? 彼女……?」  芽衣の中で、断片的だったものがつながる。  少し前に藤代から、恋人が留学から帰ってきたばかりと聞いていた。その恋人というのが、詩織だったのだ。 「それで、あの……」  叶恵が気まずそうに切り出した。 「……俺、陽太にいと詩織さんの邪魔しちゃったよね? デート中だったのに、葵がいなくなったって電話しちゃって……」  対して、藤代と詩織は顔を見合わせ、にやりと笑う。  詩織は着けていたベージュ色の手袋をとって、顔の横に左手を掲げた。薬指には、指輪が光っている。 「大丈夫よ。プロポーズは終えた後だったから」  すました顔で、詩織は言った。 「プ、プロポーズ!?」  芽衣は驚き、調子はずれの声を上げた。  藤代が照れ臭そうに頭を掻いて、 「まあ、俺と詩織も付き合って長いからな。そろそろちゃんとしようと思って」  一方、詩織はちょっとはしゃいだ様子で、 「ということでわたしと陽ちゃん、来年結婚しまーす」  と宣言する。  叶恵は元々、プロポーズの件を知っていたのだろう。さほど驚いた様子もなく、 「おめでとう陽太にい、詩織さん」   「あ、あの……おめでとうございます」  少し遅れて、芽衣は言った。 「ありがとう」と詩織は微笑んでくれた。 「ねえ芽衣さん、指輪、見てくれる?」 「いいんですか?」 「見せびらかしたいんだよ。付き合ってやって、芽衣ちゃん」  藤代が口を挟んだ。 「うるさいなあ」  婚約者をひと睨みしてから、詩織は芽衣を街灯の下に引っ張っていった。 「ごめんね、芽衣さん」  そこでなぜだか芽衣は、詩織から謝られた。 「え? どうしたんですか?」 「わたしの父の実家、富山なのね。これから帰って、婚約のこととか色々報告するの。その後は留学先に戻って、後半年は日本に戻らないつもり」 「……はい」  話の先が読めず、芽衣は困惑した。  詩織は続ける。 「その前にどうしても葵ちゃんに会っておきたかったのね。わたし、叶恵くんの家庭教師やってたとき、よく葵ちゃんの保育園のお迎えとか行ってたから。久しぶりにあの子の顔を見て、一緒に遊びたかったの。わたしにとって叶恵くんと葵ちゃんは、本当の弟と妹みたいな存在なのよ。それで叶恵くんに頼んで無理して時間作ってもらったんだけど、その後でごはん会のことを知って……」 「ああ」  芽衣はうなずいた。ごはん会が行われるはずだった日、叶恵と詩織、葵の三人が並んで歩いているのを見かけた。あの日ことを、詩織は語っているのだろう。 「わたしの都合で、ごはん会中止にさせちゃってごめんなさいね」  詩織が下唇を噛む。芽衣は慌てて首を振った。 「いえ、そんな、気にしないでください」  三人が一緒にいるのを目撃したときは、確かにショックだった。落ちこみ、悲観的になって、自分の気持ちに蓋をしようとした。  だけどもう、迷わないと決めたんだ。    ――わたしは、叶恵くんを好きなことを諦めない。  芽衣は詩織の細い指に目を落とす。 「指輪、よく見てもいいですか?」 「もちろんよ」  街灯に照らされ、薬指の根元がきらりと光った。 「きれい……」芽衣の口から、ため息が洩れる。 「芽衣さんにも結婚式の招待状出すから、叶恵くんと一緒に出席してね」  詩織がこそりと耳打ちしてきた。 「……わたし、昔から叶恵くんのこと見てるから、なんとなくわかるんだ。叶恵くんの心にいるのは、どんな女の子なのか」 「え……?」  訊き返した芽衣に、詩織はにっこりと笑みを返した。 (叶恵くんの心の中にいる、女の子……?)
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