天からの使い

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ある日目が覚めると、私の前に一人の天使がいた。 子供の姿に白いシャツとズボン。金髪で、くりっとした目は青く、光を浴びて輝いている。 額にはなぜか30と書かれていた。 「きみ、誰?」 まさか本物だとは思わない。ただアオは言葉が拙く、私の返事に「んー」と首を傾げるだけだった。 だから瞳の色からとって、子供をアオ、と呼ぶことにした。  アオは金髪碧眼であること以外、普通の子供だった。私が離れようとすればついてきて、ぎゅっと抱きしめたら楽しそうに笑いながら、私の短い髪をいじる。 匂いを嗅げば、まだ少しミルクの匂いがする。  ふわふわの髪をなでれば、アオは眠くなって寝てしまう。腕の中ですっかり落ち着いたこの子を抱いたまま、ぼーっと天井を見つめる。  こんな風に人肌を感じるのも、言葉を発するのも、ずいぶん久々だった。  だから私は、絶対にこの子を手放さない。そう誓った。  半月が経つ頃には、アオもだんだんと会話ができるようになっていた。元々頭がいいのかもしれない。もしかすると天才かも、なんて思ったりもした。 「アオ」 「あいー?」 「アオはかわいい」  言いながらぎゅっと抱きしめる。腕の中でアオは繰り返す。 「あー、かーいー?」 「うん、ほんと、かわいい」  よしよし、と頭をなでて、にっこりと笑う。  ドンドンドン――。  突然響いた音にびくっと肩が震えた。アオが腕の中で「んー?」と首を傾げる。  しばらくして、声が響く。 「ちょっと島田さん! 今月の家賃、まだなの? あと先月の分も!」  大家さんの声だった。だが、鋭いナイフのような言葉に、動けなくなる。 しばらく扉をたたく音が続いたがやがて収まり、シン、と静まり返る。  腕の中に抱いたアオは、それまでじっと私を見つめていた。 「まー、だーじょう?」 「アオ……うん、大丈夫だよ」  そっとアオの額をなでる。と、アオはにっこりと笑って「だーじょう、だーじょう」と繰り返した。  だがふと、アオの額に数字のようなあざを見つけた。 「あざ……5?」  だがアオがバタバタと体をよじって私の腕を抜け出してしまった。 「まあ、痛くなさそうだし……」  薄かったからもう治りかけだろう。  結局そのあざを忘れて、眠りについた。  それから一か月が過ぎたころ。アパートの古い扉が激しく叩かれた。 「島田さん、いい加減家賃はらうか出てっておくれ! いつまでもお金払わないでいられちゃこっちも困るんだよ! 借金の建て替えだってしてやったんだから、それくらいの誠意を見せなさい!」  だが、返事はない。代わりに聞こえてきたのは、彼女の楽しそうな笑い声。 「こらあんた、いるんなら出てきなさい! 居留守は非常識よ!」  何度激しく叩いても、彼女は一向に姿を現さず、中から時折笑い声だけが聞こえていた。  気味悪くなった大家は、マスターキーでカギを開ける。 「まったく、いい加減に……っ!」  だが、扉を開けた瞬間、ぶわっと押し寄せてきた匂い。思わず鼻をつまんだが、それ以上前には出られなかった。  ごみや服、いろんなものが散乱し、生臭い匂いが充満した部屋。虫が湧いて、電気ついていない薄暗い闇。様々なにおいが混ざり合った汚部屋の真ん中に彼女はいた。 「――ふふ、アオったら、いたずら好きねえ」  にこやかに微笑む彼女は、手をゆらゆらさせながら言う。 「あら、おなかすいたの? うーん、それじゃあ、そろそろちゃんとお料理食べようねえ」  ふらり、と立ち上がった彼女は、玄関のすぐ前にあるキッチンにゆっくりと歩いてくる。 「ひっ」  ハエが飛び回る頭を揺らしながら、薄気味悪い笑みを浮かべた彼女は、後ずさる大家を見ることなく、置きざらしにされていた包丁を手に取った。  そして、まるでそこに何かあるように、とんとん、と切り始める。  次第に赤く染まっていく、手元。  大家は慌てて救急車を呼んだが、彼女は助けが来る前に指や腕を斬りつけ、しまいにはそれを、抱き込むようにして胸に突き刺し亡くなった。最後まで、笑ったまま。  倒れこんで動かなくなった彼女の血が、じんわりと廊下に流れゆく中、ふわり、と一枚の何かが落ち、彼女瞳を覆った。  それはまるで、汚れのない美しい白い羽だった。
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