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「あの木苺めの命があればそれを贄に、秘術を使えます」
「なんですって」
「お子の命を一つ作る。そうなれば、一つの命が必要になる。そう言うものではありませんか?あんな、赤黒い果実の醜い果実。一ついなくなってもかまいはしない」
「でも、街のみんなはあの果実を美味しそうに食べるわ」
「なあに、精霊がいなくても果実は成りますよ。我々は守護者ですが、果実の命ではないのです。だが、最初に灯った命の一株だけは別です。それを燃やしたり、枯らされたりすると死んでしまいます。ねえ、お妃さま」
「でも、王様がなんて」
「ではこのようにおっしゃいなさい。私とあの木苺、どちらが大事なのです?と」
そう言って純真なお妃さまを、薔薇の精霊がそそのかすのでした。
そしてお妃さまは、王様が寝所におられるとき、そっ、と耳打ちしました。
「ねえ、王様。わたくし、ほんとうにお世継ぎを授かりたいのです」
「それは私もそうだよ、お妃よ。お前によく似た子供が早く私達の元に来るように願っているのだ」
「願っているだけでは駄目なの!」
お妃さまはたまらず叫びました。
「わたくしを愛してはくださらないの?」
王様は困ってしまいました。王様はお妃さまを愛しています。これ以上となく愛しているのです。子供を作る努力もしているのです。口づけをかわして、愛を囁き、体を交わしあっています。でも、子供はなかなか生まれません。どうしろと、言うのでしょう。
お妃さまはなにも知らないのです。王様がご覧になられている、城壁の外側を。
王様が赤い薔薇に似た色の水を沢山沢山顔や体に受け止めて、城壁の宝箱の中のようなこの王国を守っていることに気が付かないでいるのです。
わがままにお妃さまは泣き叫んで、涙を浮かべてこう言いました。
「私とあの木苺、どちらが大事なのです……?」
王様は、口をつぐんでしまいました。
それをお妃さまは悪い方にとらえました。
もう、なにがなんでも木苺の精霊を殺そうと思いました。
それからひと月が経ちました。
朝早く、夜露が木苺の精霊の喉を潤す頃、お妃さまに毎日責めたてられ、やつれた悲しい顔の王様が木苺の精霊の元へやってきました。
一面真っ赤な薔薇の庭で木苺の精霊がすみっこに座って王様を迎えました。
「やあ、ずいぶんと疲れた顔をしているね」
「そうなんだ。……どうして、人は何かを憎むのか」
「さてね。僕は精霊だからね。愛する事しか解らない」
「愛するか。愛は憎しみを産むのだと、私の妃は言った。彼女は愛に、狂っている」
「それは憑りつかれているんだよ、愛に。愛はね、抱きしめるのさ。取り込んではいけないのさ」
「そうだな…」
王様は木苺が成っている場所に座り込みました。そして、赤黒い果実を一つもいで、口に放り込むのです。
「あまい、な」
「そうでしょう。僕は君の友達さ。君の喉を潤してあげるよ」
「そうだな…」
そして、二人は口を閉ざしました。
きっと木苺の精は知っているのです。
なぜならここは薔薇が沢山植えてあるのですから。
おしゃべりな薔薇の精が喜色満面に木苺に悪い企てを話したのでしょう。
木苺は知っていました。優しい王様が自分を犠牲に出来ないことを。
そして王様がお妃さまをとても愛していることを。
だから、木苺は言いました。
「わがままを言ってもいいかな?」
王様は涙を浮かべて頷きました。
「僕は、あなたの血になりたい。あなたの血が流れる時、僕の果汁が滴るように。あなたの血が流れる時、甘い果汁がこぼれる様に。……そういう我儘は、駄目かな」
王様は黙って頷きました。
そこで、木苺は王様の血になることにしました。自分の全てが王様の全てになるように。自分が死んでも、王様が血を流せば、それが誰かの糧になるように。
そして、木苺は薔薇の精にも罰を与える事にしました。
これは誰にも内緒です。
木苺はこの薔薇園の薔薇の精に呪いをかけました。と、いっても他愛のないことです。
木苺が望んだのは「今度生まれてくるお世継ぎが王様が自分を愛した分だけお世継ぎが王様を愛せずにはいられない」ということです。
そうすれば、王様も喜ぶと思ったのです。
そして、ある日、薔薇園の隅っこに根付いていた木苺は、愛に狂ったお妃さまの手によって燃やされてしまったのです。
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