忘れられた扉

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「……よめい……せんこく」  A子は透明のカプセルに入っていた少女にでもなったみたいに、ふわふわと宙を彷徨っているような感じがしたけれど、自分の肉体を取り囲んでいるものは何もなかった。 「……をふくめ、あなたにとって、ふつごうな」 「不都合って、どんな意味かわかる?」  聞き覚えのある声でたずねられて首をかしげるA子。 「都合が悪いって意味よ」  妹の声に似ている気もするが、彼女の娘の声かもしれなかった。 「つまりこれはね、あなたにとって都合が悪い記憶を消してくれるお薬なの」 「それはすごい薬よね!」  A子は笑いを含んだ声で応じる。 「それよりわたし、ここに何をしにきたんだっけ? 何か大切なものを探しにきた気がするんだけど……」  たずねるも、もう答えは返ってこなかった。  A子は手のひらをひろげて、弾き出した複数の赤い錠剤を一気に口に含んだ。 「……扉、だったかな? ぜんぶで4つ、あったよね」  ぼりぼりと錠剤を噛み砕く音に刺激されたのか、フェンスの向こうでうごめいていた人たちの動きがぴたりととまり、いくつもの視線がA子の体に集中した。 「あ、でも、もうひとつ、……どこかにあった気がするんだけど、色のない透明の扉が」  いつのまに、人の群れがフェンスに近づいてきていた。ちょうだいとばかりに差し出される無数の腕に、A子の体は吸い寄せられそうになる。 「まあ、いいか……。それよりはやくあっちの部屋にいって、わたしもお祭りに参加しなくちゃ」  A子は半笑いを浮かべてつぶやくと、記憶を失くした羊たちの群れの中に飛び込んでいった。  トワノヤカタの正面玄関のガラス扉がまたひらいた。が、もちろんそれは、A子が元の世界に戻るためにひらかれたのではなく、媚薬を求めてここを訪れた、未来の眠れる羊のためにひらかれたのだった。〈了〉
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