二人だけの結婚式

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◆◇◆  ランチの時間を大きく過ぎたくらいに、ゼロス達は丘の上にある教会へと足を向けた。町の中心から登って三〇分くらいのそこは景色がよくて、風がとても気持ちがいい。暑かったはずがこの風に吹かれると涼しく感じるくらいだ。  その丘の上に、白い小さな教会がぽつんと立っている。白壁に三角屋根のそこは古いが綺麗に大切にされているのが分かる。その教会の背景は青い空と青い海だ。 「いい場所だな」 「あぁ」  手を握るクラウルの穏やかな声に、ゼロスも同じように返している。他に人影はなく、二人で一歩ずつ、まるでヴァージンロードを歩くように進んでいき、扉を叩いた。 「はい」  優しげな老人の声がして、内側から扉が開く。そこにいたのは小柄な神父で、髪は既に白くなっていた。下がった目尻や笑い皺が、この人物の人柄を表しているようだった。 「すみません、先日手紙を出したゼロスです」 「あぁ、貴方が。ようこそおいで下さいました。さぁ、まずはお入りください」  にっこりと笑って招き入れてくれた神父が、手にタオルを持ってきてくれる。続いてはレモン水だ。 「暑かったでしょう、今日は特に天気がよいですからね」 「本当に。だが、ジェラートが美味しかった」 「おや、それは一つ幸せを見つけましたな。この季節は果物のジェラートが美味しいですぞ。私のおすすめはレモンでしてね」 「あぁ、それも美味しそうだ」 「食べ過ぎには注意ですが、この季節はついつい」  なんて、早速打ち解けたように神父とクラウルは話している。  この旅行で思ったのだが、クラウルに限らず暗府の隊員は他人に警戒心を抱かせない術を知っているのかもしれない。笑顔一つであちらの警戒を解いたり、穏やかな声音と表情で柔和に話すことで話しやすい空気を作ったり。  ゼロスにはとてもじゃないが無理な話だ。これでも知らない相手と話すことは苦手ではないのだが、それでもこんな風に瞬時にとはいかない。 「さて、一休みされましたら着替えてきて下さいな」 「え? ですが約束の時間までは早いんじゃ」  一応、昼過ぎとは言った。もっと具体的に言えば昼の三時と言ったのだ。今は二時を少し過ぎたくらい。  だが神父は「ふぉっ、ふぉ」と笑う。 「今日は貴方たち二人だけですから、何時でも構わないんですよ」 「え?」 「……ここに来るのは大変ですからね。もうあまり、ここで式を挙げる人は少ないんですよ。地方からくる人は海辺の方へ行ってしまいます」 「あ……」  確かにここまで登ってくるのは、少し大変だった。慣れない人だと余計かもしれない。  神父はやっぱり寂しそうだけれど、それを含めて受け入れているようだった。 「まぁ、海辺の方へ行っているのは私の息子ですし、ここから毎朝出て行くのです。あちらは今度忙しすぎて大変なようですよ」 「賑やかだからな」 「えぇ、えぇ。ゼロスさんはここを、グリフィス坊ちゃまに教えて頂いたと書いてありましたが」 「グリフィス……坊ちゃま……」  似合わない。素直に思ってしまう。これはクラウルも同じだったのか、妙な顔で互いに顔を見合わせた後は吹き出してしまった。 「おや?」 「いえ……すみません。現在のグリフィス隊長はとても坊ちゃまなんて言葉が似合う方ではなくて」 「おや、そうでしたか。昔から面倒見のいいガキ大将でしてね、それで年上相手によく喧嘩を。ご両親に心配をかけたくないからとここに来ては、怪我の手当などをしておりました」 「それは今も想像がつくな。今では多くの隊員を率いる部隊の隊長をしている。部下に慕われる、豪快で世話焼きな奴だよ」 「なるほど、子供の時分と変わらないですな」  懐かしそうに細い目を更に細めて、神父は楽しそうに笑った。 「そうですか、元気そうでなによりです」  そう言って笑う人を見て、ゼロスはこの事を帰ったらグリフィスに伝えようと思った。顔を見せて欲しいんじゃないかと思ったから。  奥の一室を借りて、そこで持ってきたジャケットを着て、ネクタイを締めた。結婚指輪はまだないが、婚約時の指輪を互いに神父に預けた。 「ゼロス、いいんだな?」  どこか落ち着かず、不安そうにクラウルが聞いてくる。それに、ゼロスは笑って頷いた。 「俺が言い出した事だろ?」 「俺がお前に迫ったから」 「それは勿論あったけれど、嫌なら乗っていない」  もう、何年一緒にいるんだ。何年、この人の隣を独占してきたんだ。色々とあったのは確かだけれど、辛い事もあったけれど、今思えば全部がちゃんと昇華できている。貴方が好きだと、言えるんだ。 「愛しているよ、クラウル。今日の日を迎えられる事は俺にとって嬉しい事なんだ」  目を見て伝える言葉を、クラウルは飲み込んだみたいだった。そっと歩み寄って、抱きしめられて。その腕は心なしか震えていた。 「……俺はずっと、一人でいいと思っていたんだ」 「知ってる」 「ろくな死に方をしないだろうから、むしろ一人の方が気が楽だとも思っていた」 「やめろよ、縁起でもない」 「お前が俺を慕ってくれて、好きだと言ってくれて、それが心地よくてたまらない。お前の側にいるとき、俺は俺に戻る気がする。何に警戒する事もなく、何を恐れる事もなく、ただ穏やかに身を預けていられる気がする」 「信頼しすぎだろ」 「信頼しているさ」  少しだけ距離があいて、見つめるクラウルの目はほんの少し潤んで見える。珍しすぎて驚いて、でも可愛いと思えてしまうのだ。 「改めて、言わせてくれ。愛している、ゼロス」 「俺もだよ」  思わずキスしてしまいそうになって、留まった。それは、神の前でする事だ。  部屋を出て、ヴァージンロードの前に立つ。先程とは違う白い服に着替えた神父が祭壇の前にいる。二人で腕を組み、ゆっくりと歩き出す一歩一歩を踏みしめて、ゼロスは祭壇の前にきた。 「これより、ゼロス・レイヴァースさんと、クラウル・ローゼンさんの結婚式を執り行います」  静かに穏やかな宣言のあと、神父は手元の聖書を卓上に置いた。 「先程も少しだけ話しましたが、幸せとは日常の中、何処にでも転がっています。それはとても小さかったり、大きかったり、目に見えたり、見えなかったりします。ですが、間違いなく身の回り何処にでも存在しているものなのです」  ふと、先程のクラウルと神父の話を思い出す。美味しいジェラートの店を見つけた。それも一つの幸せだ。こうして彼と旅行に来られている事が、ゼロスにとって思いがけない大きな幸せだ。隣で彼が笑ってくれるのが、幸せだ。 「ですが、幸せは時に見えなくなるのです。特に見えない幸せは、気持ち次第で見落としてしまう。小さな事でも満足できていた事が、いつしか満足できずに不満を募らせ、やがて心に不幸せを呼んでしまう」  思わずクラウルを見た。彼は真剣に、言葉の一つ一つを噛みしめているようだった。  ……昔、逃げを打った事がある。とっくに逃げられないのに、ポーズだけは逃げられるようにと。でもそれはこの人を失うかもしれないと感じた時、大きな後悔となってゼロスの上にのしかかった。  もう、逃げない。いや、まだ逃げはある。皆の前で結婚式を挙げないというこの選択がもう一つの逃げだ。妙な所でプライドがあるのか、晒し者にはなりたく無いと思ってしまっている。茶化されるのも苦手だ。  皆に、きっと怒られるのだろう。思うと少し痛む。けれどそこは謝ろうと思っている。大丈夫、謝って許してくれない奴らじゃないから。 「幸せの形が見えなくなった時は、一番大事なひとの笑顔を思い出してください。まずは自分から、感謝の言葉を述べてみてください。きっと、貴方の込めた想い以上の想いが返ってくるはずです。辛い事があったときは、思い出してみてください。嬉しい時はそれを伝えてみてください。そうすれば、幸せという温かな心はずっとずっと大きく続いていくものなのですよ」  にっこりと神父は微笑む。そして一つ息を吸い、空気を切り替えた。 「クラウル・ローゼン殿。貴殿は病めるときも、健やかなるときも、愛をもって互いに支えあうことを誓いますか?」 「誓います」 「ゼロス・レイヴァース殿。貴殿は病めるときも、健やかなるときも、愛をもって互いに支えあうことを誓いますか?」 「誓います」  互いの手をギュッと握り合う。絶対に離すものかと想いを込めて。  それに、神父はとても微笑ましそうに目尻を下げた。 「それでは、指輪の交換を」  愛らしいリングピローに乗せられたシンプルな指輪。クラウルはゼロスの左手を持ち上げ、指輪を取ると慎重に嵌めていく。スルリと入ったそれは今となってはしていないことが違和感になっているくらい馴染んでいる。「おかえり」と、心の中で呟いた。  今度は同じように、クラウルの左手薬指に指輪を嵌める。彼もまたとても穏やかに微笑んだ。 「これをもって、二人を夫婦と認めます。どうか末永く、互いを労る心を忘れずにいてくださいね」 「はい、有り難うございます」 「さて、私はしばらくこの場を離れましょう。誓いのキスはその方がよいでしょうからね」 「!」  楽しげな神父がそのまま奥へと消えていく。なんとも気恥ずかしいが、気分的には拒んでいない。……いや、むしろしたいのだろうか。 「ゼロス」  柔らかく名を呼ばれ、見つめ合う。ベールはないが、大きな手が腰へとまわり、頬に添えられる。  ドキドキしているのは期待もあるが、この新しい関係を確かめたいからもある。自らも角度を整えて、クラウルの首に腕を回してキスをした。  触れるだけのそれは酷くドキドキさせられる。色んな想いが伝わるようで、伝えているようで。  好きです、ずっと。入団試験の時、貴方がかけてくれた優しさが、騙し討ちのような事をした新年の日も、友のピンチを救ってくれた時も、その後過ごした秘密基地での時間も全部。  憧れています。前を行くその背中を追っている。戦場の教会で見たあの姿を、忘れた日はない。手を伸ばす、そのずっと先にいる貴方にずっと憧れている。  愛しています。天邪鬼な俺の全部を受け入れてくれる大きさを。俺に弱い部分も晒してくれる貴方の度量を。いつも、それとなく見守って辛い時には手を伸ばしてくれる気遣いを。色々言うけれど、説教もするけれど、結局はこの言葉で許せてしまう。ずっと、これからも、貴方を愛しています。
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