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◆◇◆
翌日の昼前に、ゼロス達は目的地コディール領ハッセへと到着した。そうして真っ先に向かったのは、今回色々と手を回してくれたグリフィスの実家だった。
訪ねて丁寧に名乗ると、執事の老人が応接間へと通してくれる。そうしてしばらくで、体躯のいい男性が入ってきた。
逞しい体で、表情は明るく歓迎されているのが分かる。だが、グリフィスとは似ていない。その理由はランバートから聞いているから知っている。
「遠路はるばるようこそおいで下さいました。うちの息子がお世話になっております」
「こちらこそお世話になります、ドミニク殿」
「初めまして、騎兵府のゼロスと申します。グリフィス様には大変お世話になっております」
「あの子が人の上に立つというのが未だに想像できないが、君のような立派な隊員がいるのだ。上手くやっているのだろうと安心する」
グリフィスの義父ドミニクが笑い、立ち上がった二人に座るよう促してくれる。そうして対面に座る彼に、クラウルが土産の品を差し出すと「気を遣わなくていいのに」と苦笑して受け取ってくれた。
「コテージは領主用でね、少し他のものとは離しているんだ。その分中央コテージから遠くて申し訳ないが」
「お招きいただき、大変な配慮を頂いております。そのような事は大した事ではありません」
「すまないね。その分、存分に使ってくれてかまわないよ。寝室も三室あるし、料理もできる。ウッドデッキのすぐ前が砂浜だ。他にも大きなバスに、寛げるリビングルーム、二階にも小窓のついた小部屋があってね、天窓からは星が見える」
「豪華すぎて申し訳なく思います。有り難うございます」
「使わないのに空いたままにしておくのも勿体ないからね。中央のコテージに行けばレストランもある。三食そこで食べられるから、利用するといい」
「有り難うございます」
本当にこれしか出てこない。ウッドデッキの前が砂浜? 料理もできる? 小部屋から星の見える天窓? こんな豪華な旅行経験がない。
とはいえ、旅行の経験を思い出してみる。馬に揺られ、腰に剣を差し、いつ戦闘が始まるかと身構えて。行軍の記憶ばかりで旅行ではない。そのくらい重傷だ。
思えば旅行なんてしている余裕は過去も今もなかったのだと、思い至った。
ハッセのお屋敷を後にして向かったのは、例のリゾートコテージ。そこは整備された区画に沢山の平屋のコテージが並ぶ場所だった。白い砂と赤いレンガで整備された道、計画的に植えられた木々。コテージは白い壁に落ち着いたブラウンの屋根で、熱気を逃がす為か高床になっている。
中央の大きなレストラン併設のコテージで招待状を見せると、直ぐに奥から支配人らしい男性が出て来て案内をしてくれる。なんと、一頭立ての馬車だ。
「お荷物をこちらへ」
「あぁ、頼む」
当然の様に振る舞うクラウルに気後れしながらゼロスも荷物を預ける。御者がゆっくりと馬を走らせると、適度な木陰の道を行く。白い道がキラキラしている。
「凄い。道が白い」
「貝の殻を砕いて舗装に使っているのです。水はけがよく、滑り止めにもなりよいのですよ」
「なかなかいい目のつけどころだな。貝の殻は普通捨ててしまう」
「そうなのですよ。綺麗なものはアクセサリーなどにしますが、食用にするような貝の殻はただ捨ててしまうか畑の肥料ですからね」
馬はドンドンと賑やかな場所を離れて、海の方へと折れていく。そうして見えてきたのは本当に砂浜の近く……というよりも、向かって右側は既に海の中に柱を立てて直接海に出られるようになっている。
「こちらが、領主家専用のコテージでございます」
白い立派な柱に支えられたコテージは確かに砂浜の中に半分入っている。そして一面は直接海で、バルコニーなのか縁側なのか、ウッドデッキから階段を降りれば直接海に繋がっている。大きさも見てきたものより一回り大きい。
「お食事などはいかがなさいますか?」
「今夜は中央のコテージで食べたい。旬の食材と、料理に合うワインを。馬車は回さなくていい、少し歩きたい」
「畏まりました」
クラウルと支配人がそんな会話をしている間に、御者がせっせと荷物をドアの前に運び込む。馬は勿論預かってくれて、ホテルの者が世話をしてくれる。
「それでは、ごゆっくりとおくつろぎください」
去って行く馬車を見送り、階段を登っていく。地面に直接建っているのではなく、風を通す為なのか実際の建物部分は少し高い位置にある。
それぞれの荷物を持って鍵を開けて入ると、爽やかな潮風を感じる。おそらく朝からスタッフが掃除をして、換気をしてくれたのだろう。
磨かれた木の床には綺麗な織物の絨毯。正面はガラス張りで、そのまま海が見える。入ってすぐ右側は浴室とトイレ、その奥はリビングキッチンで右手側にキッチン、左手側が広々としたリビングになっている。ソファーセットにローテーブル。サイドボードにはチェス盤なども置いてあった。
そのローテーブルの上には冷やされたシャンパンと果物が置いてある。ウェルカムドリンクというやつだ。
リビングの奥は主寝室で、キングサイズのベッドが堂々と鎮座している。
そして入って直ぐの左側には螺旋階段があり、登るとツインの部屋が二部屋。そして物置らしい奥まったドアを開けると柔らかなラグが天窓の下に敷いてある。丸いはめ殺しの窓からは海が見える。子供なら絶対に喜ぶ秘密基地だ。
「凄すぎる」
「想像以上だったな」
「直接海に入れるぞ」
「見た。リビングの大窓も一箇所開くようになっていたな。外のバルコニーに出られる」
「贅沢過ぎて胃が痛くなってきた……」
「まぁ、領主が泊まる専用コテージだからな。贅沢なんだろう」
肩を落とすゼロスを笑い、クラウルはテキパキと旅装を解いて着替えている。膝が隠れる短めのズボンに薄手の白シャツというラフさだ。
ゼロスも同じような格好に着替えて戻ると、クラウルは既にシャンパンに手を伸ばしていた。
「飲むのか?」
「お前もどうだ?」
「貰うけど。飲み過ぎると寝過ごして夕飯食べられなくなるぞ」
「二人でこれ一本だ。幸い小さいサイズだ」
確かに、よく見る大きさよりは僅かに小さい。栓を抜き、ほっそりとしたシャンパングラスへと注がれる琥珀色の液体。小さな気泡がシュワシュワと登ってくる。
「では、旅の無事を祈って」
「乾杯」
互いにグラスを上げて一口飲み込む。喉が渇いていたのだろう。そこに心地よいシュワシュワとした喉ごしとまろやかな味わいがいい。酸味がきついわけでもなく、舌でコロコロと転がる甘さと果実の風味がよかった。
「美味しい」
「あぁ。果物、食べるか?」
手元にある梨を一つ手に取り、実に器用に剥いて切り分けていく。シャンパンと果物という合わせはあまり経験がないが、食べてみると果物は程よく甘く瑞々しく、シャンパンの味も邪魔しない。それどころか甘みや香りが重なって実に美味しい。
「美味いか?」
「美味しい!」
「桃も剥くか。そういえば、昼を食べ損ねていたしな」
桃も丁寧に剥いていき、皿に切り分けていく。その指先を、僅かに果汁が汚す。ツツッと手首まで垂れてくるのをクラウルは自らの口で受け止めて、「美味いな」と呟いている。
そんな普段は見ない仕草と表情にドキリとする。このまま見ていたら間違いなく妙な気分になる。それを回避するように、ゼロスは手元の果物を口に放り込み、シャンパンを飲んでいく。
「ゼロス、少しペースを落とさないと酔うぞ。空きっ腹だ」
「あぁ、そう、だな」
まったく、何をしているんだ。恥ずかしくなって少し俯く。その隣に、クラウルは距離を詰めて座った。
「桃、食べさせてくれるか?」
「え?」
いや、自分で食べられるだろう。思うが、甘えたような表情を見るとそうではないと感じる。ここで「ご自分で食べては?」なんて言ったら鬼嫁なのだろう。
一つを串に刺し、それをクラウルの口元まで持っていく。それを一口で頬張ったクラウルが嬉しそうに笑う。
大人のこの人はかっこよくて、憧れで、いつまでも背を追っていたい。けれどこうして二人になるとそれは崩れる。それでも普段は寄宿舎の中だ、適度に気は張っていたのかもしれない。
今はこんなにも甘い顔をする。厳しく引き締まっている目元も心なしか下がっている。笑顔が多く、そうすると少し若く見えた。
「ゼロス」
「え? んぅ……ふっ、んぅ……」
腕を掴まれ、交わった唇。彼の舌はひんやりと心地よく、桃の甘さが広がっていく。美味しくて気持ちのいいキスに力が抜けて、ゼロスは後ろ向きに押し倒されてクラウルを見上げた。
「キスが甘いな」
「桃味だった」
「食べさせてやろうか?」
「口移しで? それは遠慮願います」
流石にそれはない。そしてクラウルも楽しそうに笑って「冗談だ」と言って体を引いてくれる。この人の冗談は冗談に聞こえないし、冗談だと思っていたのに案外本気の時もあって分からない。
でも、引いてくれたのなら今はここまでなんだろう。日も高いし、これから夕飯だ。助かったと言えば助かった。
「今日は夕飯まで少し休もう。疲れただろ?」
「あぁ、そうだな」
「寝るか?」
「流石に少し勿体ない。デッキに出てみるよ」
立ち上がり、デッキに出てみる。木製の柵をしてあるが、景色の邪魔をしたりはしない。大きめのパラソルの下にテーブルと、木製のビーチチェアーが置いてあった。そこに軽く寝転ぶだけで涼しい風が通り過ぎていって気持ちがいい。
パラソルで適度に日差しは遮られているし、風は心地よいし、ほんのりとお日様の香りがする。聞こえる波音も心を落ち着かせてくれる。
気づけばウトウトと微睡み、ゼロスは心地よく眠ってしまった。
波音が、ザンと大きく聞こえた。目を覚ますと赤い夕日が水平線へと吸い込まれるように半分沈んでいる。高い空は薄らと紫かかっていた。
眠っていたんだと気づいて起き上がると、腹から膝にかけて薄手のブランケットがかけられている。
「起きたか?」
わりと近くから聞こえた声にそちらを向けば、テーブルを挟んだ反対側のビーチチェアーに体を預け本を読んでいたのだろうクラウルが笑う。近づいて、クシャリと頭を撫でられた。
「起こしてくれて良かったんだぞ」
「疲れていたんだろ」
「時間が勿体なかった」
呟くと、クラウルは小さく笑う。そして、とても嬉しそうな顔をした。
「俺としては贅沢な時間だった。お前の穏やかな寝顔を見ながら本を読むなんて。いったいどのくらいぶりだったか」
ゆっくりと沈む夕日を見ながら笑う人は嘘をついていない。満ち足りた顔をしている。そして、この人が満足なら構わないと思える自分に気づいて、ゼロスはパッと顔をそらした。
「さて、夕食に行こう。歩いているうちに眠気も覚めるだろう」
「服装はこのまま?」
「あぁ、構わないそうだ。靴もサンダルに替えよう。ブーツでは暑い」
何より服装がこんなにラフなのに足元だけブーツというのは可笑しいだろう。馬に乗るからその時はどうしてもブーツだが。
履き替えて、少し涼しくなった道を二人で並んで歩いていく。自然と手を握ってくるが、拒んだりはしない。ゼロスも握り返すとクラウルは少し驚いて、次には嬉しげに微笑んだ。
中央のコテージまでは徒歩で十五分程度だった。
行くと丁度夕食時だったのだろう、他の宿泊客もちらほらと見える。
ゼロス達も席に通され、程なく食事が運ばれてきた。
前菜はスモークサーモンとクリームチーズのオリーブオイル仕立てと、鯛のマリネにはグレープフルーツとスライスオニオンが彩りよく使われている。
スープは濃厚な海老のビスチェ。パンは小さめに作られたブール。これがスープとは相性がよかった。
メインは舌平目のポワレだが、よく知っているものとは少し違った。
「これ、オレンジ?」
「はい、オレンジソースをこの季節はお出ししております」
彩りも鮮やかでオレンジ、トマト、アボガドが小さめに切られて盛り付けられている。さっぱりとした魚に、爽やかな香りにバターのコクが合わさったソース、そして季節感を楽しめる野菜が美味しい。
「この辺は果物も取れるのか?」
「ここから少し離れてはおりますが、同じ領内で生産されたものです。魚もここコディールの港で毎朝上がったものを使用しております」
「凄いな」
「ランバートが喜びそうだ」
「そういえばあいつは肉よりも魚、魚よりも野菜だったな」
「あぁ」
親友ランバートは好き嫌いはあまりないが、好んで食べるのは野菜や果物。メインは肉よりは魚を選ぶ事が多い。あまり脂っこいものは好まないのだろう。
これはきっと、彼が喜ぶ味だと思えた。
すっかり平らげて、デザートは爽やかなレモンとクリームチーズのムースケーキと桃のシャーベットだった。それも平らげ、食後のコーヒーを頂いている時、不意に祝砲が上がって驚いてしまった。
「皆さん、宜しければシャンパンを一杯いかがでしょう? うちの娘の結婚祝いのお裾分けに」
パーティー会場は扉で仕切られていたが、その扉を開けて五十代くらいの男性二人が振る舞い酒を申し出ている。その奥では幸せそうな若い男女が慌てながらも笑っていた。
「チャペルとレストランが併設されているんだったな」
「あぁ」
……なんとなく、今になって寂しい気もしてきた。明日の午後、二人で丘の上の教会に行こうと思っている。事前に手紙を送ると、そこの神父から快い返事が届いた。
確かに派手な式はガラじゃない。二人で挙げる方が気楽だ。それは変わらないのだが……少しくらい人がいても、よかったのかもしれない。堅苦しいものではなく、砕けたものならば。
「いかがでしょうか?」
「!」
先程の男性がにっこりと微笑んでいる。それにゼロスは笑って「頂きます」とグラスを出した。
帰り道、少しの間言葉はなかった。繋いだ手だけは温かく感じる。でも、残っているのは幸せそうな新郎新婦の様子。そして、少しの後悔。
「……戻ったら」
「?」
「戻ったら、あいつらを誘って披露宴をしよう」
「あ……」
気づいていたのか。それは少し恥ずかしいけれど、嬉しくもある。
「きっと、賑やかだ」
「そうだな」
繋がれている手を握り返す。そうして二人歩く頭上は、王都よりもずっと星の数が多いように見えた。
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