向かう先は

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向かう先は

まだ学生でいたいという強い思いと、就職しなければならないという、世間一般の価値観に流されてしまうのが嫌だというもどかしさから、居ても立ってもいられずに、ヒロは一人で高速バスに飛び乗っていた。  どこでもよかった。  とりあえず一人になりたかった。  急に襲いくる就職活動の波に耐えられず、いわば「逃げる」という選択肢をとった。とりあえず合同就職説明会には参加した。しかし、今まで将来について考えたことがなかったためか、どの会社の人事担当の話も頭に入ってこなかった。自分が本当にやりたいことはなんだろう。会社説明よりも、そのことが常に頭を渦巻いていた。それと同時に、今までバドミントンや学問を頑張ってこれたのに、いざ社会人になる勇気がでない自分に対し、苛立ちと嫌悪感を抱いていた。  高速バスで名古屋にたどり着いた時には、夕方にさしかかっていた。バスから降りて普段とは違う土地の冷ややかな空気を吸ったときには、何か日常から逃げきったような気がして、気持ちが高揚した。  「ここにいる限り、もう誰にしばられることはない」  そう考えたら心から自由になった気がした。  次の日の朝、ヒロはなんとなく決めていた目的地へと向かっていた。そこは、東京にいる時にネット記事で見た「逃島」だ。  ネット記事によると、逃島とは100年ほど前から時間が止まっている島と書かれている。生活インフラが発達しておらず、電気・水道・ガスなども通っていないというのだ。だが、人の開拓がすすんでいないため、手付かずの大自然が広がっているらしい。逃島で海を眺めながらボーッと過ごすことで、非常にリラックスできるとのことだった。  とにかく一人になりたいヒロにとって、逃島は最高の場所に思えた。東京のせわしない日常、そしてなんといっても就職活動というプレッシャーから早く逃げたかった。そんな逃島に引き付けられたヒロは1日1便しか出ない、逃島行きのフェリーに乗っていた。  そのフェリーはよく見る観光用の出で立ちではなく、生活のためのフェリーといった形で、要所にさびが見受けられ、エンジン音も無駄に大きく感じられた。高速バスに乗り込んだときから数えると、すでに丸一日と少し、一人で過ごしているヒロは、なんだか少し心に余裕が生まれている気がした。カモメの鳴き声がいとおしく、波の音が心の雑音をかき消してくれる感覚だった。東京で生活しているとほとんど感じることがない大自然への期待が、胸の中で膨らんでいく。
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