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サラとの遭遇
ヒロは明かりを目指して歩き続けると、次第にそれが焚き火であることがわかった。さらに近づくと、人が一人でいるのがわかる。
「女性かー?」
暗がりで少し見えずらいが、アウトドアの格好に身を包んだ小柄で、きれいなロングヘアーの女性が焚き火をしている。
ヒロは声をかけるか悩んだ。なにせ、この島に来て初めて遭遇した人である。丸一日以上誰とも話していないだけで、急激な人見知りを発揮したのか、それとはまた別に、何か特別な景色を眺めている気分にもなった。しかし、ここで話しかけないと、空腹で身が持たない。意を決して話しかけることにした。
「あのー。はじめまして。ここで何してるんですか?」
女性は少し驚いたような表情をみせたが、優しい声で、
「晩御飯作ってるんです。今日ここに来たんですか?」と答えた。
「はい。来てみたら本当に何もなくて、スマホも使えないし、食べる物もなくて…。」
焚き火にかかるダッチオーブンからこみ上げる香りが食欲をそそり、ヒロはさぞ物欲しげに答えた。
「それなら、一緒に食べますか?歳も近そうですね、いい話し相手になりそうです。」とニコニコ顔の女性。もはや今なら神様にも見える。ヒロは心の中でそう思った。
ヒロは女性が作った海鮮鍋を食べながら、色々なことを聞いた。
女性の名前は「サラ」であるということ、歳は失礼にあたる気がして聞けなかったが、営業マンをしていてその仕事が充実しているということ、特に気になったのは、「営業って、大変じゃないですか?」という質問にサラが答えた、
「大変なときもありますけど、週に一度はこの島に来て、リフレッシュできますからね。」という言葉だ。
「週に一度って、かなりの頻度で来るんですね!何でそんなに来るんですか?」とヒロは尋ねた。
「あなたは最初にこの島に来るとき、現実から逃げたいって思ってここにたどり着いたでしょ?しかもネット記事を読んだすぐ後に。私も同じよ。」と、どこか遠くを見つめるような眼差しで答えた。
なぜネット記事を読んで来たということがわかったのか、ヒロは驚いた。しかし、サラには何か見透かされているような気がしたため、あえて聞かないことにした。
「サラさんも、逃げたいと思ったことがあったんですね。例えば、どんなことだったんですか?」ヒロは単刀直入に質問した。焚き火の前だと、不思議と心が開け、初対面とは思えないほどリラックスして話ができる。キャンプの経験もないため、焚き火にあたるのはおそらく初めてだが、悪くない。むしろハマりそうだと思った。
「私はね、新卒で入った会社で営業やってるんだけど、成績はこう見えてトップクラスでね、少し頑張りすぎちゃったのかな。だんだん仕事が楽しくなくなって、憂鬱になっていったの。そんな時、この逃島にたどり着いてね。それからはまた仕事に充実感を感じられるようになったんだ。」
「へぇ、やっぱり社会人て大変そうですよね。なんていうか、学生時代とは比べ物にならないプレッシャーとか、縛られている感じがして、すごく嫌なんです。」ヒロは素直に今の気持ちを打ち明けた。
「うーん。社会人て、考え方によっては生活のために稼がなければならないし、縛られている感じがするのもわかるけど、ヒロくんが考えている現実とは、ちょっと違う気がするよ。」サラは少し考え込んで続けた。
「私はね、社会人て自由なんだなって、今はすごく思うの。どの仕事を選ぶかは自分次第で、好きなことをやって生きていくんだ!って人もいれば、家族のために堅実に稼いで暮らしていくって考える人もいる。そこにある考え方は人それぞれで、だからこそ面白いんだと思う。ヒロくんも、社会人になったら縛られると思って落ち込んでないで、自分の意思で選択して生きていけるんだ!って、希望を持ったら楽しいものになるかもよ。」
ヒロは心のモヤモヤが徐々にほぐれていくのを感じた。
「そうか、今考えすぎてもはじまらないのか。仕事を経験するなかで、自分自身でやりたいことの選択をしていけばいいんですね。」と、自分の心に投げかけるように呟いた。
「でもね、やっぱり途中で苦しくなることって、あるんだよ。仕事は一人ではできないから、当然人間関係も複雑だし、プレッシャーだってあるしね。そこでね、逃げるっていう選択肢もあることを覚えておいてほしい。社会人は自由なんだから、自分が壊れそうなほど辛いときは逃げるって選択肢を選んでもいいんだよ。その先に、新しい何かが見つかるかもしれないしね。現に私は辛かった時、逃島に逃げてきたしね。まあ、ヒロくんも同じか」と言って、少し微笑んだ。
サラの言葉はこれから社会人として生きていく上で、相当大切な心がけのような気がした。
「偶然出会った人からの言葉で、ここまで勇気付けられるなんて…。」ヒロには、今までの悩みがちっぽけだったように感じられた。
パキパキときれいな音をたてて燃える焚き火を眺めながら、ヒロはこれからの未来を想像した。きっと、社会人になったばかりは辛いだろうな。ただ、いざとなったら逃げていいんだ。そう思ったらだいぶ気が楽になった。
「サラさん。僕、島から戻ったらちゃんと社会人に向けて就職活動しようかと思います。あと、もし行き詰まったときはまたここに来たら、また同じようにサラさんに会えますか?」
ヒロは、ご馳走の海鮮鍋をたいらげ、いつもならもっと沢山食べないとお腹いっぱいにならない量だが、サラと交わした話の満足感でいっぱいになった腹をさすっていた。
「あ、まだこの島のこと、知らないんだね!?」サラは何かに気がついたように話した。
「え、なにがですか?」
「この島に来たらね、現実世界の時間が止まるのよ。ヒロくん、時計が止まっているのに気がつかなかった?」
「え、どういうことですか?!時計は持ってないし、スマホはとっくに電池切れだから、そういえば全然気がつかなかったです!」
ヒロは今サラに何を言われているのか、全く理解できなかった。
「ようするにね、この逃島は現実世界とはかけ離れているの。あのネット記事を見たとき、あなたはすぐにこの島に向かったでしょ?この島はね、そういう今すぐ現実から逃げ出したいっていう人が不思議とたどり着く島なの。」
さらにサラは続けた。
「この島に来た人は現実世界の時間が止まる、本当の現実逃避ができる島なの。だけど、あんまり長居することはできないし、一度出たら二度と来ることはできない。」
「え、でもサラさんは何回も来てるんですよね?てことはまた来れるんじゃ…。」
「私はね、この島の管理人を任されたような気がするの。私はこの島に来るって念じれば来れるけど、この島で出会った人はみんな、この島で二度と会うことはない。それでわかったんだけど、私だけがこの島に自由に来られて、他の人は一度しか来られない。そのことを考えてたら、勝手に自分は管理人なのかな?って思えてきちゃって…。」
夜も更け、暖冬とは言えヒンヤリした冷たい夜風と焚き火から出る、暖かく包み込むような空気が混ざり合う。現実離れした話の、受け入れがたいなんとも言えない空気を象徴するかのようだった。この不思議な出会い、しかも島を出たら、もう二度と来ることはできない。なんだか夢を見ているようだ。
「じゃあ、サラさんには現実世界では会えますよね?また困ったときに話を聞いてもらいたいんです。」
もちろん、サラに話を聞いてもらいたい気持ちもあった。しかし、ヒロの心の中ではそれ以上に、サラが若いのにしっかりとした社会人として歩んでいることに対する尊敬と、大人な女性としての魅力を感じていた。単純に、また会いたかった。
「ヒロくんがこの島に来るとき、現実世界は西暦何年だった?」とサラが尋ねた。
質問の意図がわからなかったが、ヒロは素直に答えた。もう何を言われても、あまり驚かなくなっていた。
「2021年です。」
「じゃあ、私たちは現実世界で会えたとしても、相当歳の差があるわね。」
「え…」
「私は現実世界では2040年から時を止めてきているの。だから、あなたが生きる2021年ではまだ幼い子供よ。」
ある意味時が止まった。どういうことなのか、ヒロにはもう全く意味がわからない。今目の前にいるサラさんはたぶん自分より少し年上くらいの見た目である。なのに、現実世界に戻ったら子供?2040年の人?
そうか、この状況をあえて受け入れるとしたら、今と未来はつながっていて、サラさんは未来から来ている。今目の前には未来に生きる人がいるー。
サラは、明らかに困惑するヒロを見て、
「必ず未来はやってくるってことよね。そのために今何をするかによって、未来の形は少しずつ変わる。ヒロくんの未来を、私は応援するよ。」
そう言うと、サラはメモ用紙のようなものに何かを書いて渡してくれた。
"明日の陽が沈む前、今日来た船着き場のフェリーに乗ること"
そう記してあった。
「この島はずっといたらだめなの、現実に戻れなくなるわ。明日のフェリーに絶対に乗ってね。あと、これよかったら明日お腹空いた時に食べてね。」
そう言うとサラは茶色の紙袋を渡してくれた。中にはきれいな焼目がついたバターロールが三個入っていた。
「いいんですか?サラさん、ちゃんと食べる物ありますか?」
「私は大丈夫よ!さ、お腹も満たされたことだし、寝るとしましょう。」
そう言うと、サラは両手を広げたくらい、大きな葉っぱを何枚も重ねたものを二つ持ってきて、
「これ、枕ね。現実世界では味わえないほど、透き通った空気で満天の星空の元で眠るのは、本当に気持ちいいわよー。」と呟くと、すぐにスヤスヤと寝息をたて出した。
たしかに、空にはプラネタリウムでしか見たことがないような星空が広がっていた。それに、柔らかな炎で癒してくれる焚き火と、きれいな横顔のサラさんとー。ヒロはこの時本当の現実逃避ができた気がした。
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