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第12話・ギョーザにまつわるエトセトラ(前編)
夜、アニキの車で、アニキを迎えに行った。
お互いハラが減ったなーってんで、大学病院の近くのアニキのナジミのラーメン屋に寄ることになった。
色あせた赤いノレンをくぐりながら、引き戸をカラカラと開けて中に入った。いいカンジに床も壁も油ぎってて、いかにも美味そうな雰囲気がする。
アニキは意外と、こういうカンジの店によく顔がきく。
ニンニクの匂いがきいたギョーザのケムリと大ナベの湯気が立ち込める厨房から、ブカブカのカッポウ着を着たシラガだらけの小柄なオッチャンと、アイパーに近い大仏ヘアのフクヨカなオバチャンが一緒に、
「いらっしゃーい」
と、愛想のいい声をかけてくれた。
フロアのテーブルは、4つとも全部埋まってた。
アニキはオバチャンに軽く会釈を返すなり、勝手にスッとカウンターの奥に座ったので、オレもその隣の丸椅子に腰をおろした。
「いつものでいい?」
オバチャンは、強烈なヘアスタイルに似合わないビックリするほどカワイイ萌え声で、アニキに聞いた。
「お願いします。……真司は、何にする?」
アニキはそう言って、テーブルにあった手書きのメニューをオレに手渡そうとした。
けど、オレは、オバチャンのくれたホッカホカのオシボリを顔面に広げてプチ・エステ気分を味わいながら、
「オレも、アニキとおんなじので」
と、秒でオーダーした。
オバチャンは、
「じゃあ、タンメンふたっつとギョーザ2枚ねー」と、厨房のオッチャンに声をかけてから、
「あらあら、こちら弟さんなのぉ? 兄弟そろってオトコマエなんだねぇ」
と、お盆で口元を隠してクフクフ笑ううちに、テーブルのカップル客に呼ばれてイソイソと歩いていった。
「また、降ってきたみたいだな」
運ばれてきたタンメンをすぐにススリながら、アニキが、ふっと窓の外に視線をやって言った。
オレらの背後を忙しく通りすぎざま、オバチャンが笑って答えた。
「ホント、バケツを引っくり返したみたいだわー。ゲリラ豪雨ってのかしらねぇ? ふたりとも、ちょうどいいタイミングに店に入ってきたわよ」
ネコジタのオレは、なにはともあれ先にギョーザを完全制圧してから麺に挑もうと、アタマの中で決断していた。
んで、小皿にラー油と醤油をブレンドしてから、ギョーザの上に酢を直接タップリとかけた。これがオレ流のギョーザの食い方なんだ、……文句あっか?
ハシの先っぽで大ぶりのギョーザの一個を半分に切り崩して、切り口を小皿にサッと通してから、パクッと口に放り込む。
ジュワーッと香味の効いた肉汁が舌の上に広がって、やっと心に余裕ができたので、ナニゲに聞いてみる。
「……五代さんは、帰り大丈夫なん?」
「五代なら、日頃から運転が慎重だから……問題ないだろう」
アニキは、あまり興味なさそうに言った。
オレは、チッとオオゲサに舌打ちしてやった。
「冷てぇなー、アニキって。ちょっとは心配してやれよ。五代さん、女のコなんだし。こっちに身寄りもないんだろ?」
「心配の必要ねぇからさ。彼女、オレなんかよりシッカリしてるよ」
「へぇ、珍しいじゃん。アニキが同僚をホメるなんて。アニキと五代さんって、……そんなに仲いいん?」
「まあ。……うちの病院でバイトさせて欲しいって、頼まれたことがあるくらいには」
「バイト?」
「オレが恵まれすぎた環境にいるから、オマエも知る余地がねぇんだけどな。研修医ってのはけっこう薄給なんだぜ。彼女みたいに、実家を離れて自立してやってくのは相当キツいんだ」
「そーなん?」
「だから、こっそり他の病院をカケモチでバイトしてる連中も多いんだ。といっても、さすがに同僚のオレが自分の父親の病院を紹介するワケにゃいかねーから、徳ちゃんに声かけて、市内の検診センターに口きいてもらったよ。……まあ、ここだけの話だけど」
アニキの親友の徳ちゃんは、今はオヤジの病院の医事課で働いてくれてっから、いろんな医療機関に顔がきく。
「彼女、研修医を修了したら、『世界の医療団』の活動に参加するんだそうだ」
「それって、前にアニキが言ってた『国境なき医師団』ってヤツとはちげーの?」
そういやアニキは、研修医になったばかりの頃、『国境なき医師団』っつーのの活動をやりてーって言い出して、反対したオヤジと1か月もケンカしたことがあったんだ。
……オヤジとアニキがケンカするなんて我が家では前代未聞の出来事だったし、きっと、この先も二度とねぇと思う。
つっても、オレとオフクロのハデな怒鳴りあいのバトルと違って、アニキとオヤジのケンカってのは、ひたすらに何時間もボソボソとテメェらの言い分を語り合い、決着がつくまでは他の会話をいっさいしないという、世にも薄暗くて陰気くさいメンタルの消耗戦だった。
最終的に、なんだかんだゆってもしょせんは親のスネかじってる身分だっつう負い目のあるアニキが折れて引き下がるまで、ウチはドンヨリとした負のオーラに包まれて、そらもう居心地が悪かったモンである。
「……治療を必要とする患者がいれば、文字通り国境を無視して、どんな危険な地域でもスッ飛んでくのが『国境なき医師団』で、『世界の医療団』ってのは、確実な医療を提供できる状況を最優先に確保しながら、長期的な復旧プロジェクトを実施するっていう傾向の違いがあるな」
「ふぅん」
「けど、どっちも、医療ボランティアを世界各地に派遣する実績のある団体だってことには変わりはない」
アニキは、そう説明してから、ワリバシを持った手を止めてオレの方を向いて、
「偶然にも同じ志を持ってたってことが分かって、それから共感を覚えたんだ、五代には」
と、すげーマジメな顔で、シミジミと言いやがった。
オレは、なんだか急に、ムショーにムカついた。……いや、一応ゆっとくけどギョーザのせいじゃない。
ムカつくっつーより、……なんだろう。なんつーか。……胸のあたりがザワザワッとする感じ。
なので、辛気臭い気分をふっきるために景気よく、大声で言った。
「オバチャン、生中ちょーだいっ!」
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