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第28話・ワゴン車の王子様
シルバーグレーの車体に明るく晴れ上がった昼下がりの日の光をきらめかせながら、社用車は、車の列をぬって国道をすべり抜けると、関越のインターに入り、そのまま本車線に合流する。
けっこうな加速を増したが、優美な白い手が操るハンドリングはユッタリとして見えた。
五代万寿夫は、助手席から後部座席をチラリと振り返った。
チャイルドシートシートに大人しくおさまっていた血のつながらない幼い息子は、いつの間にかスヤスヤと可愛らしい寝息をたてている。
穏和な細面にフッと微笑をもらして、安堵とともに姿勢を前に戻す。
「……ずいぶん大人しいっち思ったら、寝とったんかぁ」
「子供は、寝るのが仕事みたいなもんだからねぇ」
若宮薫は、前方を向いたまま気軽に笑った。
万寿夫は恐縮しながら、キチンとそろえた両ヒザの上に華奢な両手をモジモジと握り合わせた。
「わざわざ空港にまで送っちもろうて、ほんなごとスイマセン。薫しゃんも、お仕事セカラシぃ(忙しい)んに」
「水くさいこと言わないでよ。戸籍上の関わりはなくなっても、欧介が僕の息子であることに変わりはないんだから。少しくらい父親らしいマネさせてほしいんだ」
「はぁー……」
「あ、……ゴメンね。マスオ君の立場からしてみたらフクザツな心境だよねぇ?」
「いえっ、そげなこつ……!」
「それにしても、離婚した元夫と再婚した今の夫が、息子を乗せてこうして一緒にドライブしてるって、考えてみたら面白いよね」
薫は、繊細な白い頬にイタズラっぽい笑顔をのぞかせて、からかうようにチラリと隣を一瞥した。
万寿夫は、生真面目にうなずいた。
「たしかに……めったになか貴重な体験かも知れんですたい」
薫は、クスリと失笑した。
「貴重な体験かぁ。面白いねー、マスオ君は」
「……面白かなんて言われたこつな、生まれて初めてですばい」
「フフ。やっぱり面白いよ、君って」
右車線を真っ赤なフェラーリ348スパイダーが轟音を響かせて追い越して行ったのを視界のスミで見送りながら、薫は、前方との車間距離を変わらずキープしたまま軽快なエキゾーストノートを奏で続ける。
「マスオ君も、欧介を迎えに朝イチの新幹線を乗りついで博多からマエバシまで出て来たんだから、大変だったでしょ? 半日がかりだもんねぇ。ゴメンね、コレ店の車だから、ナビシートの乗り心地はイマイチかもしれないけど」
「そげなこつ、全然なかですよ」
「羽田空港の近くに、大田市場っていう大きな市場があるんだ。せっかくだから、君たちを送った帰りにのぞいて行こうと思って。この辺りの花卉市場じゃあんまり見ないような花もそろってるんでね」
「そーですかぁ。薫しゃんな、お花んごとキレイやけん、お花屋しゃんの似合いますねぇー」
と、万寿夫は、目尻の下がった柔和な目を細めてシミジミとつぶやいた。
薫は、毒気を抜かれてキョトンとしてから、アハハと笑い声をあげた。
「そんなストレートなお世辞を言ってもらったのは、僕も生まれて初めてだよ」
「お世辞なんかじゃなかですたいー。薫しゃんな、ほんなごとキレイで……」
「ありがとう。マスオ君って、ホントに純粋で真っ直ぐなヒトなんだねぇ。僕がこんなこと言うのもなんだけど、欧介の新しい父親が君で、本当に良かったよ」
「……そぎゃんふうに言ってもらえるっち、私も、嬉しかです」
万寿夫は、ようやく打ち解けたように、フワリとした笑顔を満面に浮かべた。
「そいにしても、結局んところ、おーしゅけな、なして薫しゃんに会いに来よるんでしたか?」
「それがねぇー、昨日は、僕だけに秘密の打ち明け話があるから博多を出てきたって言ってたんだけど、今朝あらためて聞いてみたら、やっぱり、まだナイショにしておきたいんだって」
「はぁー」
「欧介が18歳の誕生日を迎えたときに教えてくれるんだそうだよ。楽しみだねぇー。もっとも、それまで欧介が僕を覚えててくれたらの話だけど」
と、薫は、複雑な微苦笑を漏らした。
万寿夫は、薫の優美な横顔を見つめた。
「おーしゅけな、絶対に忘れまっしぇん。薫しゃんこつば忘れるわけなかですよ」
「そうだといいね。……マスオ君は、本当にいいヒトだねぇ」
「ばってん、おーしゅけな、私に不満でもあっけん、薫しゃんに相談ばしたかったんやなかろうかと思うとるとですよ」
と、万寿夫は、タメ息をついた。
「薫しゃんの前でこぎゃんことばゆうのは心苦しいんやけど、……おーしゅけな、私のことば『お父しゃん』と呼んでくれなかですけん」
「それは気にすることないと思うなぁー。欧介にとって『お父さん』っていう言葉は、単なる名前のひとつにすぎなくて、それほど重大な意味を持ってないと思うよ。親らしいことを何ひとつしてやれなかったダメな父親本人が言ってるんだから、間違いないよ」
薫はニッコリ笑って、また隣を一瞥した。
けぶるような長いマツ毛が透き通った蜜色の瞳に柔らかく影を落とす。
万寿夫は、ワケもなくドキリと心臓をハネ上げさせて、自分のヒザに視線を落とした。
上気した頬を気付かれて不信がられないだろうかと心配すればするほど、なおさら、耳タブまで一気に熱くなった。
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