第36話・しんちゃんプロデュース

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第36話・しんちゃんプロデュース

2階から駆けおりてダイニングをのぞいたら、オフクロが1人でテーブルで茶をすすりながら、ノンキにテレビを見てた。 「あれ、アニキは?」 「もうとっくに出かけたわよー、パパと一緒に」 「なんでオヤジと?」 「あっちゃん、今日はウチの病院で1日、パパの助手(アシスタント)をするんですって」 と、オフクロは、ヤケに嬉しそうに言う。 「は?」 そんなん、ぜんぜん聞いてねーし。ちょっとくらい教えてくれりゃいいのによ、アニキのやつ…… ってなこと考えたら、おもわず、舌打ちがモレた。 オフクロは、朝もはよからカンペキに整えてあるマユ毛をおもいっきりしかめて、 「なによー、文句でもあんの?」 「だって……アニキが起こしてってくんなかったせいで、遅刻しそうなんだよ、こっちは!」 「自分ひとりで起きなさいよ、もう!」 フンとヒヤヤカに鼻を鳴らしながら、オフクロはサッサとテレビ画面に視線を戻す。 「……ねえ、見て見て、しんちゃん。『ストリートピアノ』っていうのが話題になってるんだって」 「なにそれ?」 「街角の広場とか、ホテルのロビーとかで、誰でも自由に弾いていいピアノのことだって」 「ふうーん?」 「そのストリートピアノで、いきなり即興で上手な演奏を披露しちゃう人たちの動画が、SNSとかで人気なんですってよ」 「へぇー、そうなんだ」 「ほら、見てよ、しんちゃん。ピアノの演奏に引き寄せられて、あんなにたくさん人が集まってるわよ」 「ホントだ、スゲェー……って、のんびりテレビみてる場合じゃねーんだよ、こっちは! 有閑マダムっ!」 そうオレは言い捨てて、大急ぎで家を飛び出した。 どうにか出勤時間より早くスベリ込み、店に立ったものの、その日のフロアは少し閑散としていた。 平日とはいえ、ウチの客足も、いつもよりマバラだ。 オープンしたてのお祭り気分も、だいぶ落ち着いたし。本店のナジミのお客さんもヒトトオリ顔を見せてったしな、もう。 「やっぱ、もうちょいエスカレーターから近ければ、もっと目立ったのになぁー、ここ」 オレが腕組みしてボヤくと、ミヤさまは、ノホホンとしたまま、 「まあ、長いスパンでユックリ知名度を上げていければいいと思ってるんだ、僕は」 「けどさぁ。客だって損じゃんか」 「………?」 「こんなイケてる花屋があるのに、気付かないせいでスルーしてっちゃうのは。もったいないぜ」 「嬉しいこと言ってくれるねー、真司くんは」 と、ミヤさまは、とびっきりの笑顔を浮かべた。 このキラッキラの笑顔を見逃しているだけでも、客たちは大変な損をぶっこいてる。うん、間違いない。 そんときオレは、フッと思いだして聞いてみた。 「そういや、ミヤさまんちのリビングって、ピアノが置いてあったよね?」 ミヤさまは、トートツな質問にトマドイながら、答えた。 「うん? 子供の時に習ってて、いまでも趣味で、たまに弾くからね。いい気晴らしになるんだよ」 そこで、ちょうどタイミングよく昼休みから帰ってきたばかりの女のコのスタッフに店番をまかせると、オレはミヤさまの手を引っぱり、そのままエスカレーターで1階までおりてった。 一階のロビーの中央には、真っ白いデッカいグランドピアノが置いてある。 これがウワサの「ストリートピアノ」ってやつだろう。 オレは、ミヤさまの背中をグイグイ押して、ピアノの前の椅子に腰かけさせた。 ミヤさまは、アゼンとした。 「急にどうしちゃったの、真司くん?」 「オレ、どうしても今すぐミヤさまのピアノが聴きたいんだ。お願いっ!」 オレは、オオゲサに両手を合わせた。 ミヤさまは、ケゲンそうに小さく首をかしげたけど、すぐに「しょうがないなぁ」って苦笑いしながら肩をすくめて、 「リクエストはあるの? ハヤリのポピュラー曲は、あんまり分からないよ」 「オレも、よく知んねぇけど……とにかく、めいっぱいロマンチックなやつ聴かせてっ!」 「そうだねぇ……じゃあ、リストの『愛の夢』を弾こうか。真司くんのために」 そうササヤくと、ミヤさまは、ハチミツみたいに甘ったるく光る目を、長い長いマツゲのカゲにユラめかせながら、メマイがしそうなフワッフワの笑顔を浮かべると。 ピアノのケンバンに、むぞうさに両手を置いた。 ツメの先までヌカリなく王子様めいて整ってる白い指が、デタラメに「ポロンッ」とひとつ音を奏でてから、次の瞬間には、シナヤカにケンバンの上をおどりだした。 オレは、ピアノの横にヒジをもたれて突っ立ちながら、ポケーッとそのキレイな指のダンスに見惚れた。 ほんの5分くらいの演奏だったのに、ピアノのまわりには大勢のヤジウマ客が集まってきていて、曲が終わったとたん、吹き抜けから最上階にまで届くイキオイで拍手が鳴り響いた。 「ブラボー!」だとか「アンコール!」なんて声も、アチコチで聞こえた。 ミヤさまは、驚いて目をパチクリさせてたけど、すぐに椅子から立ち上がると、片手を胸にあてて、スマートにオジギを返した。 「ホーッ……」と切なげなタメ息がいくつも耳に届いてきた瞬間、オレは、心の中でガッツポーズを決めた。 昼休みをすませて店に戻ったら「よかった! 1人じゃレジが間に合わなくって」と、スタッフの女のコがオレに泣きついてきた。 「なんか、午後になったら、急にお客さんがいっぱい増えたんだよー!」 たしかに、店内は客でいっぱいだった。……主に、女性の。 「へぇー、そうなんだー」 と、オレは言いながら、ミヤさまの方をチラッと見た。 品のよさげな若奥さま風のグループに囲まれて接客してたミヤさまは、タシナメるように、ちょっとマユをしかめながら微笑んで、オレを軽くヒトニラミした。
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