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第37話・「チェンジ・ザ・ワールド」(前編)
その晩、アニキは、たしかに少し酔っていた。
オフクロの3つ年下のオジサンが、愛車のシトロエンC3をオレに譲ってくれるというので、オレは、アニキの車に乗っけてもらって、オジサンがやってるショットバーに行ったんだ。
オジサンとこの店のカクテルメニューは、ゴードンを使ったドライ・ジン・ベースのやつしかない。ストレートかロックでアオリたい客には、キンッキンにボトルを凍らせたボンベイ・サファイヤ。
チェイサー用にギネスの黒ビール。乾杯用のビールは、国産のモルト100パーセント。
あとは、スコッチとバーボンと国産のウイスキーの定番がいくつかと、オジサンの好みのアイルランド産のウイスキーが2、3種類。
テーブルチャージ込みのミックスナッツ一皿の他には、ツマミはキスチョコとベビーチーズだけ。
たまに店主がLサイズのマルゲリータピザなんかをトートツにデリバリーしたときに、運よく出くわせば、1片づつ分けてもらえる可能性はあるけどな。
6人で埋まるL字型のカウンターに、2、3人がけのシンプルな丸テーブルが3つのフロア。オジサンが好き勝手に1人でキリモリするには、ちょうど手頃なキャパなんだろう。
古ぼけた板ばりの店内は、アンディー・ウォーなんとかのポップなポスターが無造作にペタペタ壁に貼ってある以外には、たいしたシャレっ気もない。
BGMも、聞き覚えのある落ち着いた洋楽なんかがヒカエメのボリュームで流れてるって具合だから、客スジも静かで落ち着いたもんだ。
カウンターの奥のコーナー席は、タッパのある観葉植物がフロアの床との段差に並べてあるおかげで、ちょうど葉っぱのカゲになっていた。
おかげで、こんなハンパな片イナカじゃどうしても悪目立ちする、アニキのデキのいい顔を隠してくれたから、なおさらアニキは居心地よかったのかもしれない。
それに、次の日は珍しく、オレとアニキの休みが重なっていた。
オジサンが、
「もう遅いし。せっかくだから呑んでっちゃえよ。ここの2階に泊まってけばいい……まあ、ソファしかないが。若いんだからいいよな?」
って言ったとき、いつもなら間違いなく断るはずのアニキが、
「じゃあ、オレもオジサンと同じダブリナーをロックでもらうかな」
なんて。オレに相談もなく即答しやがった。
「は? ズリィぞ、アニキ。じゃあ、こっちにも!」
と、あわててオレも手をあげた。
オジサンは、アイスピックひとつで器用にこさえてる、まん丸いロックアイスを2つ冷凍庫から取り出して、グラスに放りこむ。
自分の手元のタンブラーにウィスキーをつぎたしてから、オレたちの前にロックグラス2つを並べると、両方にナミナミと注いで、
「真司がようやくマットウな定職についた、お祝いだからなぁ」
って、オフクロとはあんまり似てないホリの深い日焼けした顔に、めいっぱいの笑顔を浮かべた。
オレは、思わずアタマをかきながら。それから、3つのグラスを軽く合わせて、「乾杯」って。
オジサンのお気に入りのアイリッシュ・ウィスキーは、トロッと柔らかいノドゴシで、どことなく甘ったるい。ミルクチョコレートみたいな匂いが鼻を通りぬけるのがクセになりそうだった。
ふっと斜め前に目をやったら、まん丸の氷のツヤツヤの表面を指先でもてあそびながらチビチビとグラスをかたむけてるアニキと視線があった。
アニキの切れ長の黒い目は、いつになく柔らかくオレの目をまっすぐ受け止めてくれた。
たしかに、アニキは酔ってたんだろう。
平日だったけど、フロアは埋まってた。
オンナ連れのリーマンが、やたらとオジサンにシェーカーを振らせたがるから、オジサンはハデなアロハシャツをヒラヒラさせながら、忙しそうにカウンターとフロアを行ったり来たりしていた。
だもんで、「オジサーン、おかわり!」ってオレが言ったら、ウィスキーのボトルを無言でオレの目の前に置きやがった。
「あんだよー、主賓に手酌させる気かよぉー!」
そうオレがボヤイたら、アニキがボトルに手を伸ばして酒をついでくれた。
「サンキュ」って言おうとしたら、アニキは、カウンターの上に置いてたオレの片手をつかんで、いきなりテメェのヒザの上に引っぱった。
「……っ!?」
オレは、思わず石になった。
いくら店内が薄暗くって、コーナー席は観葉植物のカゲになってるおかげで、周りからは死角になってるっつってもよぉ。
一升瓶を空けてもケロッとしてるほどのザルだったハズなんだが。
ここんとこ、大学病院だけじゃなく、オヤジの病院の手伝いもカケモチしてるみたいだから、さすがに疲れてんのかもしんねーな。
だから、酒のマワリが早ぇのかも。
それにしたって、公衆の面前で、イイ年こいた兄弟同士が意味ありげに手を握り合ってる状況というのは……正確には、一方的にコッチが握りしめられているワケだが……いかがなものか。
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