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第38話・「チェンジ・ザ・ワールド」(後編)
「あのさぁ……アニキ……?」
テンパってるせいか、マトモに口が動かねぇ。モゴモゴと声がこもっちまう。
アニキは、無言のままチラッと目線だけを返した。
切れ長の目に、マツゲが濃いカゲを落としてて、なんつーか……ヤケに色めいて見えやがる。
底なしの夜の海みてぇな、真っ黒いけどクリアーな瞳は、妙に熱っぽく光ってて。
『美人は3日でアキる』とか言うらしいけど、つくづく大ウソだぜ。
生まれてこのかた20年以上、いまだにアニキの面を見慣れることができねぇ。こんな顔ツキされたときには、なおさらだ。
アバレ太鼓みたいにハシャギだしたテメェの心臓の音にビビリながら、オレは、なおさら蚊の鳴くような声をあげた。
「よぉ、この手……」
――離せよ……って言おうとした矢先、握られた手に、いっそうギュッと力をこめられた。
オレは、頭のてっぺんから足のツマ先までイッキにユデあがるのをハッキリと自覚した。
アニキは、ヘーゼンとウィスキーを口に運んでる。
かたむけたグラスのフチに丸い氷がぶつかって、「カロン」って、キモチのいい音を響かせる。
店の名前が印刷された紙のコースターの上にグラスが戻されたら、もっかい「カロン」……と氷がはしゃぐ。
それから、ボトルを持ち上げながらの親指で器用にキャップをひねり開けると、残り半分くらいに減ってきた中身をグラスにつぎたした。
もう片方の手は、ずっとヒザの上で。オレの片手を拘束したままだ。
洗いざらしのシャツのソデから伸びる白い手。めったにタメライを見せたことないスマートな手。
アニキの顔を直視するのがシンドくなったオレは、アニキのその手に視線を落としてみたけど、アバレ太鼓のイキオイを止めるのはムリだった。
そのうち、天井の埋め込みスピーカーから響き続けてたハイトーンの明るいガールズバンド曲にかわって、しっとりしたアコギの音色とシブい男声ボーカルが流れはじめた。
フロアにいた若いオンナの客が、聞こえよがしに、急に大きな声をあげた。
「ねえ! アタシ、結婚式のとき、この曲ながしてもらいたいんだけどー。いいでしょ?」
「エリック・クラプトンの曲? オレは別に。なんでもいいけど」
「なんでもいいって何よーっ!」
リーマンの気のない返事にオンナがブーたれはじめると、カクテルを運んでたオジサンが、
「夫婦ゲンカは犬も食わないっていうからねぇ。ソルティドッグ・コリンズ、お待たせ!」
なんて、一瞬で痴話喧嘩を制してた。
アニキは、ふっと思いついたみたいに口を開いた。
「なあ、真司。オマエが望むんなら、……オレが世界を手に入れて、オマエの好きなように世界を変えてやってもいいぜ」
「はぁー? ……アニキ、ガチで酔っぱらってんなぁ?」
「責任重大だぞ。世界の未来は、オマエのハラひとつで決まるんだから」
「そんなムチャクチャな……!」
って、オレは、アニキをニラミつけて、
「いらねーよ、オレ。世界なんて欲しいとも思わねーし。もらっても困るし。……テメェの欲しいもんは、テメェで手に入れてぇしな」
だって、そうじゃなきゃ、……自信を持ってアニキの隣に並べねぇし。
そしたら、アニキは、
「そうか。たいしたもんだな、真司は……」
って、……ちょっとガッカリしたようなクチブリで、フッと鼻を鳴らした。
なんていうか。どことなく傷ついたみたいな、突き放されたみたいな……そんな目をして。
「アニキ……?」
オレは、ちょっとばかり後悔におそわれた。
アニキのおサムい冗談ごときにも、素直にノッてみせてあげられず。やたらムキんなって意地をはっちまう。そんな自分が、ほんのちょっとだけイヤになる。
たまには全力で思いっきり甘えてやったら、きっとアニキを喜ばせられるんだろうけどさ。
けどよ、たとえ冗談だったとしても……
「オレ、世界なんかいらねぇんだ、マジで。……もっと、欲しいもんがある」
そう言って、オレは、アニキの手をギュッと握り返してやった。
アニキは、たちまちニヤついて。オレのグラスにもう一杯ウィスキーをそそいでくれた。
……意外と単純なのよね。ホント、このヒト……笑えるぜ。
そのうち、いつの間にか、おたがいの指と指をからめるカッコで握りあってた。
こげつきそうなくらい手のひらが熱かったけど、でも、やたらとキモチよくて……クセになりそうだ。
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