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第39話・“愚弟”
玄関のドアを開けたとたん、グリルで魚を焼いてるらしいイイ匂いが鼻にとびこんできた。
オレは、匂いにつられてキッチンをのぞいた。
「ただいまー、オフクロ。なんか、今日は気合い入ってね?」
調理テーブルには、ナベいっぱいのキンピラゴボウに、切り干し大根の煮物。ナスとカブの浅漬けがたっぷり並んだ大皿。
ほかにも、モロヘイヤとオクラとナメコを一緒くたに和えたようなのがドンブリみたいな鉢に入ってたり。
……いつもはデキアイの惣菜だらけなのに。なにかオカシイ。
「あら、お帰り、しんちゃん。ちょうど良かったわぁー!」
言いながらオフクロは、片手に包丁を持ったまま、マナイタの前から振り返った。
そもそも、オフクロがエプロンを着てるのを見たのも、ずいぶんゴブサタな気がする。
「パパがお風呂から上がったら、一緒にお夕飯にしましょうねぇー」
「あ、そういうことね」
なるほど、どうりで。オヤジの好物ばかりがロコツにラインナップしてるはずだ。
あっさりナゾもとけたので、オレはサッサと2階に向かおうとした。
「なによぉ、もうちょっとヨロコビなさいよ! 久しぶりの一家ダンランでしょっ?」
オフクロは、手にしていた包丁をムヤミにブンまわしながら、キーキーわめいた。
ちょっとばかりドン引いたオレは、話をはぐらかすために聞き返した。
「アニキは? 今日もオヤジの病院に行ったんだろ」
「そうよ。パパと一緒に帰ってきたわよ」
「いま、2階?」
「ううん。ダイニングのソファで、ちょっとだけ横になるって。お夕飯の時間まで」
「へ?」
……アニキが、自分から宣言してウタタ寝なんてな。珍しいこともあるもんだぜ。
それはオフクロも同意のようで、
「このところ、大学病院とパパの病院をカケモチして、忙しいものね、あっちゃん」
「さすがのアニキでも、ちょっとはバテてきたか?」
「ホント、あっちゃんもヒトの子だったのねぇー!」
「テメェの息子に言うセリフかよ……」
「あら、ちょっと、しんちゃん! あっちゃんのオヤスミのジャマをしちゃダメよ?」
オレの足がダイニングルーム方面に進路を変えたのを目ざとく察して、オフクロがすかさずクギをさしてきた。
「余計な心配してっと、サカナが焦げっぞ?」
と、オレは舌打ちして、あわててグリルの窓をのぞいたオフクロに向けて、わざとスリッパをペタペタ鳴らしながら、キッチンとリビングを通りぬけた。
三人掛けのソファの両端のヒジかけに、それぞれアタマと足を乗っけたカッコで、アオムケにアニキは寝てた。
あんまり暗かったから、壁の電気のスイッチをつけたけど。部屋がパッと明るくなっても、ピクリともしなかった。
「……ちゃんと、生きてんだろなぁ?」
わりとガチめに不安になって、オレは、アニキの顔を上からのぞきこんだ。
白い顔が、いつもより青く見える。照明のカゲンか、それとも、やっぱ疲れがたまってんのか?
「おーい、アニキー?」
って、声をかけながら、スッと高く通った鼻の先に耳を寄せて見たら、なんのこたない、メトロノームみたいに正確なリズムの呼吸音がちゃんと聞こえた。
オレはホッとした。と同時に、ちょっとムカついた。……ムダな心配させやがって、クソアニキ。
ハライセまぎれに、すべすべの白いホッペタを指でつついてみた。……反応なし。
ちょっとツネってもみたけど、やっぱり、ノーリアクション。
よくもまあ、こんなにギョウギよく爆睡できるもんだぜ。
アタマのテッペンから靴下をはいたツマ先まで、ほぼほぼ一直線にピーンと。
で、両手をハラの上に重ねて。このまんまカンオケにつめこんでも、まるで違和感なさそうだ。
いつもより青白く見えるマブタをピッタリと閉じてると、デキのいい顔が、ますますツクリモンめいて。血の気のない人形みたいにも感じる。
オレは、今度は、アニキの両方のホッペタをつまんで、外側にムニーッと引っぱってみた。
それでもアニキはビクともしねぇ。
ついつい笑いがコミ上げてきて、あわてて自分の口をおさえる。
「ぷっ……くくく……っ」
お、おもしれぇじゃねぇか……。
オレは、リビングボードの引き出しをアサって、黒いマジックペンを取り出した。
それから、ソファの前に屈んで、アニキの顔をまたのぞく。
ツヤツヤの黒い前髪を指の先ではらうと、白いスベスベのオデコのド真ん中に、マジックペンで「兄」と書き込んでやった。
「ぷぷぷぷぷーっ……!」
ハラをかかえてミモダエながら、オレが涙ながらに忍び笑いをこらえていると、オフクロがヒョイッとダイニングルームに顔を出した。
たちまち、アニキはパッとマブタを開くなり、すぐにカラダを起こしてソファに座った。
「ゲッ……!?」
オレは、心臓が止まりそうなくらいにビビって、後ろ手に尻モチをついた。
「そろそろお夕飯よー? ……って、あっちゃん! そのオデコどうしたの?」
ソファに近付いたオフクロは、ギョッとなって目をヒンむいてから、サッと両手を口に当てた。……まちがいなく、必死で笑いをカミころしてやがる顔ツキだ。
アニキは、キョトンとオフクロを見返してから、目の前に引っくり返ってるオレを見下ろした。
そのツクリモノめいた目がオレの左手のマジックペンにロックオンされた瞬間、ツクリモノの目にタマシイが宿った。怒り狂う悪鬼のタマシイだ。
「ゴゴゴゴ、ゴメンっ、アニキ! ちょっとしたデキゴコロで……」
オレは、チュウチョなく、その場に土下座をして、スリ切れろとばかりにジュウタンにヒタイをこすりつけた。
アニキがユックリ立ち上がった気配に、いっそうオレはフルエ上がったが、
「……顔、洗ってくる」
って、タメ息まじりの声が遠ざかって行ったので、ホッとしながら、おそるおそる顔を上げた。
廊下に出ていくアニキの背中に向かって、オフクロは、
「洗面台にママのクレンジングあるから、使っていいわよー」
と、声をかけてから、オレの方に向き直り、仁王立ちで腕を組んだ。
「まったく、もう。しんちゃんったら! 子供みたいなイタズラして」
「だってさぁー。アニキのやつ、ちっとも起きねぇもんだから、つい……」
「あら、……そういえば、そうね? 昔から、ママやパパや他の人が、お部屋に入っただけで目を覚ましちゃうのに。しんちゃんには何をされても熟睡できるのね、あっちゃんって」
と、オフクロは、不思議そうに首をひねった。
次の朝、2階から降りてリビングをのぞくと、オフクロが1人でテレビを見ながら茶をすすってた。
「っはよ! アニキは?」
と、オレが聞くと、
オフクロは、
「おはよ、しんちゃん。あっちゃんは、パパと一緒に早くに出かけたわよ」
って言って、テレビから目を離してコッチを向いたとたん、
「プフーッ……!?」……テーブルに、茶を吹きやがった。
「ちょっ!? ナニしてんよ、きったねぇなぁー」
ドン引きするオレに向かって、オフクロは、ピカピカにデコった人差し指のツメの先を真っすぐ突き付けて、小刻みに肩をふるわせながら、もう片方の手でテメェの口をしっかりおさえた。
オレは、ハッと気付いて洗面所に猛ダッシュすると、前髪をかきあげながら鏡をのぞいた。
それから、鏡の後ろの収納棚に置いてある、オフクロのクレンジングオイルを借りた。
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