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第54話・11月第3水曜日23:55
仮眠室に備え付けのシャワールームで汗を流してから、トランクス1枚のカッコで、簡易ベッドにドサリと倒れこむ。
「あああああ、疲れたなぁー……」
シーズンオフのド平日だってのに、なんだか知んないけど、朝から夜まで婚礼がギッシリつまってたし。
しかも、明日も朝イチから、オレの担当してる顧客の婚礼写真の前撮りが入ってる。
この新婦の母親ってのが、かなりのクセモノ。
重箱のスミをチクイチつっついてくる系のクレーマー予備軍だからなぁ。
心して準備しないと……
なので、万全を期して、今夜は久方ぶりに職場に泊まりこみなんである。
なんせ、新婦がオメデタだもんで。
衣装選びの段階から、この母親がエキサイトしちゃって、
「もっとオナカの目立たないドレスはないの? センスのない式場ね!」ってな具合でさぁ……
こうなりゃ、ツキッキリでエスコートしてやるっきゃないのよ。
ヘタ打ったら、どんなイチャモンつけられるか分かったもんじゃないし。
ぶっちゃけ、今の世の中、ムチャぶりだらけの物騒なクレーマーの方が、スペシャルな待遇が得られるのよね、ガチな話。
オレみたいにマジメで善良な小市民は、世間さまからオザナリのサービスしか与えられないのが現実。
まあ、実際、それで不満もないんだけど。
とはいえ、オレだって、
「たまには、オキテ破りのムチャぶりしてみてぇよなぁ……」
なんて、ね。
デッカいタメ息を吐き出した、ちょうどそのとき、ドアをノックする音が聞こえた。
こんな時間に、誰だろう。……警備員さんかな?
「はい?」
と、ベッドの上に上体を起こした。
そしたら、
「良かった。間に合いましたね」
ドアを開けて部屋に入ってきたのは、……ススキノ君だった。
オレは反射的に、シーツを両手でタグリ寄せて、マッパダカの上半身に巻きつけた。
いやいやいや、……『除霊』と称してゴーインにキスしてきて、あまつさえ舌まで突っ込んできた前科のあるヤツに、いきなり寝室に訪問されたら。
こんくらいの自己防衛は当然だ。
だんじて自意識過剰なんかではない!
いかんせん、当のススキノ君は相変わらず、ミント味のガムの爽快感をホーフツとするスッキリした笑顔をフリ巻きながら、サッサと靴を脱いで六畳間に上がりこんできた。
「な、なんか用?」
オレは、モノトーンの制服の似合うスラリとした長身を見上げて、……すこぶる警戒しながら……聞いた。
ススキノ君は、シャープな白皙に不意にイタズラっぽいウインクを見せて、
「イケナいことをしちゃおうかな、……と思いまして。今井さんと2人で」
と、タタミの上にアグラをかいて腰をおろすなり、後ろ手に隠し持っていたワインボトルとグラス2つをチャブ台の上に置いた。
カマーベストのポケットからソムリエナイフを出すと、チャブ台に立てたボトルのキャップシールに切れ目を入れて、片手だけでスルリと剥がす。
それから、スクリューをコルクに刺して回し、音もなくスマートに栓を引き抜く。
一連の慣れた仕種は、まるで定められた何かの儀式みたいに整然としてて。
なんつーか、"優雅"ってぇの?
ノリの効いた白いシャツのソデから伸びる端正な手に、不覚にもボーッと見惚れてしまう……
いや。どーかしてんな、オレ。
そうとう疲れタマってんのよ、やっぱ……
「バンケットのマネージャーがくれたんです、今年の初物……」
そう言いながら、ススキノ君は、グラスにワインを注いだ。
格好のいい白い手が、クリアーな赤い液体を満たした華奢なグラスをオレに差し出す。
オレは、その鮮烈な赤色に引き込まれるように、大人しく手を伸ばして、グラスを受け取った。
「"解禁日破り"に、……乾杯」
と、グラスを掲げるススキノ君の満面の笑顔には、うっすら汗がにじんでた。
午前0時前に間に合うように、着替えもせずに急いで駆けつけて来たんだな、きっと……
って。シンデレラじゃないんだからさぁ。
「乾杯!」
自然とゆるんでしまいそうになる頬肉をごまかすために、オレは、素直にグラスを掲げ返して、ゴクゴクとあおった。
さっきから、ヤケにノドが乾いてたまらないから。
解禁日直前の初々しい新酒をジックリ味わう余裕もなかったけど。
ささやかな掟破りのコーフンは、心地よく全身を酔わせてくれる。
ああ、……たまには、思い切ってルールを破るのも悪くねぇな。
「青くさいウブなワインでも、『背徳』のフレーバーを加えてやるだけで、危うい官能を味わわせてくれるものでしょ?」
なんて。いつもならトリハダもののサムいセリフも、今だけは、ひどく心地いいBGMに聞こえたりして。
ヒトクチでもう真っ赤に染まってしまった顔も、お互い、ウブなワインのせいにしてしまおう。
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