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第62話・桜の樹の下で(前編)
「おい、真司、……花見に行くぞ」
夜遅くに大学病院から帰ってきたアニキは、リビングのドアを開けるなり、いきなり、そう言った。
「はぁー? けどオレ、もう風呂入って着替えちゃったしぃー。ネトフリのドラマも見はじめたばっかだしぃー……」
オレは、ソファにゴロゴロ寝転がったまま、そうダラダラと答えた。
ってゆーかぁ、ヘベレケの花見客どもでウジャウジャとゴッタがえしてるとこに今から出かけんの、超ダリーしぃ。
したら、アニキは、ウムを言わさずオレの腕を引っ張った。
「見頃を逃がしたら、来年まで待たなきゃなんねーんだぞ? 花の命は短いんだ」
うわぁ、急にジジむせーこと言いだしたぜ、このヒト。
玄関を出ると、アニキは、ガレージに向かうと思いきや、そのまま家の門の外に出て歩道をテクテク歩き出した。
仕事帰りのスーツ姿にサンダルをつっかけた、すこぶる所帯じみたカッコで。
並んで歩くオレのカッコといえば、ジャージ姿で、同じくサンダル履き。
北関東の中途半端なカタイナカには実に違和感なく溶け込む、文句なしのお散歩ファッションではある。
くわえて、アニキの片手には、コンビニのレジ袋がブラ下げられている。
これはもう、ご近所スタイルのマストアイテムでしょう、はい。
てか、花見って、……どこ行くつもりよ、アニキ?
駅前や公園なんかに出る道とは反対の、ヒトケのない方向にどんどん向かってるし。
無言のままオレの手を強引に引っ張るアニキに、そろそろムカついて、足を止めたくなった頃……
「おおーっ……」
オレは、思わずアッケに取られた。
連れてこられたのは、住宅街のハズレの神社で。
正月以外は完全に存在を忘れられてしまっている、どこぞのベテラン芸人みたいなポジションのスポットだ。
ダダッ広いだけで何もない殺風景な境内に、デッカい大木がドドーンと立ってたのは記憶にあったけど……
「これって……サクラの木だったんだぁ!」
静まり返った夜の神社。屋根にまでコケが一面に生えてる古い本殿をバックにして、満開のサクラの花をいっぱいにたたえたリッパな木。
空には、雲がひとつもなくて。
おかげで、太い幹やアチコチに大きく伸びた枝そのものまでがピンクの花の色に染まっているのが、境内のスミッコのケチくさい小さな灯籠の明かりに頼らなくても、星の明かりだけで充分に見えた。
「どうだ、キレイだろ?」
アニキは、ちょっと得意げに笑って、木の下にあった石づくりのベンチに腰かけた。
「うん、まあ、たしかに、……キレイだ」
と、オレも、夜の空に浮かび上がって見えるサクラの枝をボーッと見上げたまま、アニキの隣に座った。
ケツを置いた瞬間、石の上の冷たさにビクッとしたけど。すぐに慣れた。
「こーゆーフツーのサクラって……ソメイヨシノってゆーんだっけ、これ?」
「ああ」
「オレ、やっぱ、シダレ桜とか八重桜とかゆーのもキレイだけど、この、ソメイヨシノってのが一番スキかも」
だって、なんつーか、ほら。
こんなにササヤカな風しか吹いてないのに、ハラハラと少しづつ花びらが削り取られていくんだもん。
どんだけナイーブなんよ!? って、ツッコミたくなるじゃん。
そのくせ、散った花びらのひとつひとつは、ふわふわふわふわ……ココロモトなく震えながらも、意外とシブとく、いつまでも空中をただよい続けたりしてて。
そーゆーとこが、なんか、……グッとくるよな。
サクラの舞い散る姿はイサギヨいとかって良く言うけど、オレには、フラフラとアテもなく迷ってばかりいる優柔不断にしか見えねぇ。
だから、もしかして。これって、親近感なのかもな。
「オレも、ソメイヨシノが一番スキだな」
アニキは、珍しく素直にオレに同意しながら、コンビニ袋をガサガサと開けて、ベンチの上に中身を出した。
ワンカップの酒が2つと、紙パック入りのカラアゲ……『ゆずポン酢味』とは渋いチョイスだ、さすがアニキ。
「ほら」
と、ワンカップをひとつオレに差し出す。
「サンキュ」
オレは、受け取るとすぐにアルミのフタを開けた。
「んじゃー、……カンパイとか、してみる?」
「そうだなぁ」
アニキは、もう1コの酒を開けると、ジャマになった2つのフタをコンビニ袋に入れてクシャッと丸めて、スーツのポケットに押し込んでから、
「オマエの出世祝いでもしてやるか?」
と、デキのいいキレイな顔で笑いながら、ワンカップを上に持ち上げた。
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