ミスマッチング・ビジネス

1/1
7人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 その婚姻相談事務所は朝から長蛇の列ができていた。何時間も待ってやっと相談ブースに通された人々は、相談員である弁護士に不満をぶちまけた。  ある女性はこうまくし立てた。 「夫のだらしなさには、もう我慢できません。何度言ってもバスタオル一枚だけの姿でリビングに出て来るんです」  ある男性はしみじみとこうこぼした。 「妻の料理のいい加減さには、もう我慢の限界です。シチューを同じ皿のご飯の上にかけるなんて、あり得ないでしょう?」  開設以来、その事務所には結婚相手との「性格の不一致」を訴える男女が毎日訪れていた。  事の始まりは「婚姻義務化法」という新しい法律が施行された事だった。若い世代に結婚しない者が増え、その結果として少子化にも拍車がかかる一方だった。  そこで時の政権与党は、結婚する事を全国民の「法律上の義務」とする法案を提出。全ての日本国民は22歳の誕生日までに婚姻届けを提出する義務があるとされた。  これに違反して結婚しない者には、年間1千万円の罰金が科され、結婚するまで毎年支払わなければならない。  罰金の支払いが3か月以上滞ると、警察に逮捕され、田舎の農業や漁業などの重労働に従事させられる。つまり強制労働の刑である。  野党は人権侵害であるとして、法案に強く反対したが、与党はそれを見越して妥協の余地をあらかじめ用意していた。  まず、結婚後の女性は最低でも3人の子どもを産まなければならない、という条文は野党の反対意見を受け入れる形で削除された。  さらに与党は、選択的夫婦別姓の導入、同性婚の合法化を提案。面目をほどこした格好になった野党は、本会議で一部の幹部以外は欠席するという形で、法案通過を容認した。  さて、22歳の誕生日までには、何が何でも相手を見つけて結婚しなければならないのだから、罰金を払えない圧倒的大多数の若者は、短期間に大急ぎで相手を探し、婚姻届けを提出した。  超富裕層の家庭の若者にはごく一部、年間1千万円の罰金をなんなく払って独身でい続ける者もいた。彼ら彼女らはネット上で「独身貴族」と呼ばれた。  以前はデート相手や恋人探しのサービスを提供していたマッチングアプリの会社は、結婚相手探しのサービスに力を入れ、大儲けした。  存続の危機にあった結婚式場なども、半年先まで予約待ちの状態となった。結婚式や披露宴を開く事までは法律で義務付けられてはいなかったが、どうせ結婚するなら式を挙げたいと思う若者が多かったのだ。  この法律は離婚までは禁止していないが、正式に離婚するためには裁判所の許可が必要と規定していた。  裁判所で離婚を認めてもらうためには、婚姻状態を継続できないと「認められるに足りる相当な理由」が必要とされ、事実上弁護士に相談して書類を作ってもらわないと離婚は認められなかった。  ここに目を付けたのが、法律事務所各社であった。22歳でいやいや結婚したものの、大急ぎで適当に選んだ相手なものだから、やはり離婚したいという若者が離婚調停に殺到した。  法律事務所が離婚を裁判所に認めさせる常套手段となったのが「性格の不一致」であった。これを理由にすると裁判官が離婚を許可しやすい傾向があり、多くの法律事務所が離婚を請け負うサービスを始めた。  冒頭の婚姻相談事務所は、いわば別れさせ屋である。夫婦の片方が相談に来て、配偶者に意向を尋ねると、相手も喜んで離婚に応じるので、法律事務所にとっては簡単に手数料を稼げるドル箱ビジネスになった。  また離婚後2年間に再婚する事が例の法律で義務付けられているため、法律事務所と結婚相談所が業務提携し、再婚相手を紹介するサービスも始め、離婚ビジネスはさらなる繁盛を極めた。  東京都心の会員制高級クラブで、離婚請負の最大手である法律事務所の社長と与党の幹事長が、高級な酒を酌み交わしながら、密談をしていた。  豪華なソファにふんぞり返った与党幹事長が、社長に言う。 「なかなか商売繁盛のようじゃないか」  社長はペコペコと何度も頭を下げながら応える。 「これも先生が婚姻義務化法を成立させて下さったおかげでございます」 「しかし面白い事を考えたもんだな。無理やり人生の同じ時期に結婚させて、離婚の手伝いして手数料を稼ぐとは。どうやって思いついたのかね?」 「モデルはひと昔前の、就職活動ですよ。新卒一括採用というのがありましたでしょ?」 「ああ、大学の3年生から一斉に就職活動をして、卒業と同時に入社する。このタイミングを逃すと一生正社員になれない。あの馬鹿げたルールかね?」 「はい、まだ世間をよく知らない22歳ぐらいの若造に、一生勤める会社をたった一度きりのチャンスで選べとやってましたよね。さんざん苦労して正社員として入った新入社員の3割が3年以内に辞めてしまうという事が頻発しましたよね」 「ああ、わしは大学卒業と同時に国会議員だった親父の秘書になったから、経験はしとらんが、なんとも馬鹿馬鹿しい仕組みだとは思っておった。一生を捧げる職業なんて物は、いくつかの会社を渡り歩いて初めて見つけられるもんだろうに」 「新入社員の3割が辞めて転職先を探しましたよね。で、転職支援会社がたくさん出来て、それ自体が一つの産業にまでなりましたでしょ? わが社のルーツは、あの時代の転職支援会社のひとつなんですよ」 「そう言えば、君がわしの後援会に入ったのは、新卒一括採用が無くなり始めた頃だったな。今日のこの状況を予想していたのかね?」 「ご明察です。就活であれ結婚であれ、一生モノの大事な選択を、一回こっきりの、人生の同じ時期に強制すれば、いわゆるミスマッチは必ず起こります。そこで22歳で無理やり結婚相手を選択させるよう強制する法律ができたら……そう考えたわけで」 「そう言えば法務大臣が嘆いておったよ。法律で強制して結婚させても、3割が3年以内に離婚してしまうと。ううん、3割が3年以内にというのは、何か同じ心理が働くのかね」 「それは心理学研究所を子会社として設立して研究させております。もし、3割が3年以内というのが他の分野にも当てはまる法則のような物なら、他のビジネスにも応用できますからね」 「ほほう、何か新しいアイディアでもあるのかね?」 「先生は小説投稿サイトというのをご存じですか?」 「ああ、素人が小説家ごっこをインターネットでやるやつだろう。だいぶ流行っているらしいな。サイトも増えて今一体いくつあるのやら」 「もし各投稿サイトのユーザーの3割が3年以内に、何かミスマッチを感じて他のサイトへ移ろうと考えたら? 引っ越し先の小説投稿サイトを紹介して、作品データの移植を有料で請け負う。今そういう新規事業を検討しておりまして」
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!