海辺の街・リゴン

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 師は弟子を左腕に抱えたまま港から離れ、街中へと向かっていた。  片腕が塞がるのは不便と言えば不便だが、歳のわりに小柄なティニを抱えて歩くのは大して苦ではない。それに、そもそも魔術師だ、重みを軽くする手段などいくらでもある。  なにより、ティニを見失うことがなくなるというのは大きな利点だった。見失って、人混みの間や、荷車の陰に消えた子供を必死になって探すよりは余程ましだ。  ただし、問題があるとすれば、すれ違う人々が「フードを被ったやたらとでかい怪しげな男が、綺麗な顔の子供を抱えている」という光景を、不穏なものとして見てくることくらいだ。抱えられた子供がぴくりとも表情を動かさないように見えるのがそれに拍車をかけていた。どうやら怯えているのだと誤認されているらしい。  師はフードの陰でうんざりとした顔をする。顔つきのせいかそういった視線には慣れているが、そのうち警察でも呼ばれるんじゃなかろうか。その時はその時だが、面倒なことになるのは確実だ。  そんな師の憂いなど露知らず、ティニは、人よりも頭二つ分は高い視点から見える賑やかな街の様子を楽しんでいた。どこからともなく聞こえてくる軽快な音楽に合わせて上機嫌に鼻歌を歌っている。  どうやら作り話のことは忘れてくれたようだ。師はほっと胸をなでおろす。イカが怖いと一晩夜泣きされてはたまったもんじゃない。 「師匠、あれはなんですか?」 「あ?」  ふいに鼻歌をやめたティニが、師の肩を叩いて広場の方を指さした。  そちらを見ると、人だかりが出来ていた。中央では、胡散臭いローブを羽織り、立派な顎髭を生やした壮年の男が何やら意味ありげに佇んでいる。  その脇の若い男が、声を張り上げた。 「さあさあ皆さま! 稀代のまじない師の技、とくとご覧ください!」  ローブの男がどこか芝居がかった動きで、こん棒のような短い杖を振り、大声で呪文のような文言を唱えた。  すると、たちまち土も種もない空中に色とりどりの花が咲き乱れる。花々が宙に舞う光景に、観客からはわっと歓声があがった。  しかし、現れた花は人々の頭に触れるよりも早く、ふっと消え去った。  違和感を感じたのか、弟子が不思議そうに首を傾げる。それを見た師は、人だかりの方へと少し近づくことにした。 「いかがでしょう! このまじないの腕! 本日はこちらのまじない師のまじないの術がこもった守り石をお持ちいたしました!」  売り子の男は背後の飾り付けられた屋台を手で指し示す。ビロードに似た黒い布と、金の房飾りがやたらと神秘的に見せていた。そこには、小さな色とりどりの石らしきものがいくつも並んでいる。 「失せもの探しに厄除け魔除け、恋の病に効くまじない! お値段は十イェナから! お求めの方はどうぞこちらにお並びくださいませ!」  売り子の男が赤ん坊の拳ほどの目立つ空色の石を掲げ、客の注意を自分に向ける。その顔ににっこりと笑みを張り付けた売り子の男が「聞けばこの街は明日の晩に嵐が来る予報とのことでしたねえ……あ、数には限りがありますのでお早く!」と言った瞬間、客たちはこぞって屋台の前に列を作った。 「師匠。まじない師ってなんですか?」 「まじないをする人間のことだ。ああして石にまじないを込めて、守り石にして売ったりもする」  弟子は師の答えではまだ納得がいかない様子で小さく、むう、と唸る。  次の質問は何が来るだろうか。師は弟子の質問を予想し、弟子自身が考える隙のある答えをいくつか備えた。 「まじないは、師匠の術とはちがうんですか?」 「似たようなもんだ。あれは魔術の代用品だからな」 「だいよう……?」 「本物じゃないが、代わりになるものってことだ。真似事と言う奴もいるがな」  ティニのその顔には相変わらず感情がないように見える。だが、師には弟子が懸命に考えていることがわかった。  何故、魔術に「代用品」などというものが存在するのか。まじない師を名乗る彼らの「まじない」とはなんなのか。  まじない師のいる方をじっと見つめながら、弟子が小さく「師匠」と呟く。それに反応して師は少し顔を上げた。 「……あのひとたちの守り石、ちゃんと効くんですか?」  弟子が守り石を求める人だかりを眺めながら、ぽつんと零す。 「さあ、どうだろうな?」  正答ではないが、外れでもない。弟子が自分なりに立てた仮説に満足した師は、綻ぶ口元を外套の襟を引き上げて隠し、答えをはぐらかした。  続きがあると思って顔を覗き込んでくる弟子を、わざと大きく揺らして抱え直し、魔術師は先ほどよりも軽い足取りで賑々しい広場を後にした。
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