第1話 さすらいの親子

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第1話 さすらいの親子

 晴れ渡る空、雲が足早に流れていく。街道から外れた高原に人の気配は無い。ユラユラと揺れる草木の擦れる音が、風に誘われては消えていく。後に残るのは、年相応にはしゃぐ幼女の声だけだ。  小さな影がスカートの裾をなびかせつつ駆け回り、花畑へと飛び込んだ。舞い散る花びらが、緩やかなクセのある焦げ茶色の髪に乗り、それもやがて風に攫われていく。その場でゴロリと寝転べば、大きく開かれた瞳に青空が映し出された。 「おとさん、お空がね、とってもキレイなの!」  そう叫ぶ幼女は酷く粗末な格好をしていた。くすんだ色味のワンピースは麻で出来ており、所々に汚れの跡が残る。腰に巻かれる赤い帯も、一応はチョウチョ結びに飾られているが、形が妙に歪だ。とてもじゃないが、恵まれた境遇とは言えない様子。しかし彼女の瞳には、微塵も曇りを感じさせなかった。 「あれ、誰かいるの?」  寝転がっていると、何者かの気配を察知して耳が揺れた。彼女の頭に生える犬耳がピコピコとおじぎを繰り返す。視線を花畑の端へと向けてみると、顔を大きく大きく綻ばせた。 「ウサギさん。どうぞ、草をあげちゃうの」  引き抜いた雑草を片手に、野生の動物へ向けて突き出した。野ウサギは耳をしきりに動かして警戒するものの、早くも幼女に気を許した様子だ。彼女の耳に、何か共感するものを感じたのかもしれない。 「全部あげるの。いっぱい食べていいの」  幼女が首を傾げて愛嬌を振りまけば、ウサギもいよいよ近寄った。そして口を開け、四角い牙を見せつけた瞬間、その小さな身体は激しく震えだす。彼女の背後にただずむ男の気配が、控えめに言って鬼気迫るものであり、生命の危機すら覚えたせいだ。 ――この獣野郎。シルヴィに傷ひとつでも付けてみろ、すかさず八つ裂きにしてやるからな。  その男はまだ若く、20代を折り返した年頃だ。ガッチリと組んだ両腕と、肩幅ほど開いた2本足は、逞しさと生命力に溢れている。その壮健な身体つきだけでも脅威的だが、彼の放つ闘気に比べれば可愛いもの。全身から吹き出してたぎる濃紫のオーラは、圧倒的強者だと名刺代わりに晒すほどだ。たとえ擦り切れたチュニックやマントと身なりは悪くとも、腕っぷしには全く関係がない。  知恵なき獣はそれらを直感で嗅ぎ取った。恐怖に駆られてその場で気絶、したかと思えば小石に頭をぶつけては目覚め、一目散に駆け去っていった。 「おとさん、行っちゃったの。かわいいウサギさんだったの……」 「うんうん、そうか。それは残念だったねぇ」 「お友達になりたかったの。いい子いい子してあげたかったの」 「そうだね。噛まない子だったら、仲良くしても良いかなぁ」  男は顔を真逆に綻ばせつつ、幼女の頭を撫でて慰めた。一端の父親と比べても遜色ない仕草だと言える。  この2人には確かに信頼関係があるのだが、外見は全く似ておらず、そもそも種族が異なる。男の容貌からは獣らしさが一切見当たらない。それでも幼女は父と呼び、男の振る舞いも親らしいものであった。  ちなみに、娘がウサギに逃げられたのは明らかに親父の失態なのだが、彼は気にした風ではない。娘が平穏無事なら十分で、他は二の次なのである。 「ウサギさん、また見つかるかなぁ。遊んでくれるかなぁ」 「シルヴィ。遊び相手ならモコにしときなさい。コイツなら安全だから」 「えぇ〜〜。だって全然起きないだもん」  娘のシルヴィアが父親の肩を見れば、そこには確かに猫が居た。白と灰色の縞模様で、まだ若い。モコと呼ばれた猫は器用にも歪な場所で丸くなり、気持ち良さそうに瞳を閉じている。 「おい、ちっとは働けこの野郎。どんだけ寝るつもりだ」  父が猫の尻を指先で突付けば、後ろ足によって蹴り返されるだけで、起きる気配は全く見当たらない。その態度に苛ついて散々に詰って見せても、結局は暖簾(のれん)に腕押し。モコは涼し気な顔のままで聞こえよがしな寝息をたてる始末だった。 「まぁ、コイツは当てにならん。危なくない子と遊んでなさい」 「はぁい。ハチさんは?」 「ハチは針が刺さるからダメだ」 「じゃあ、オオカミさんは?」 「狼は噛むぞ、ガブリとな」 「ええと、カマキリさん?」 「それなら……いやダメだ、先っちょの鎌が危ない」 「じゃあね、じゃあね、チョウチョさんは?」 「チョウチョは鱗粉が……いや、うん。それなら良いぞ」 「はぁい、遊んでくるの!」  シルヴィアは再び花畑に飛び込んだ。そして白に黒にと羽を染める蝶を眺めては、その場で飛び跳ね、眩い笑顔を浮かべた。それこそ天に輝く太陽と遜色がないほどに。  眼を細めて見守る父の瞳は優しい。だがその眼差しも、不意に聞こえた言葉によってかき消されてしまう。 「アルフ、気付いてるかい。近くにニンゲンの気配がする」  モコは眠りの姿勢を変えず、だが確かにそう告げた。アルフレッドが驚かないのは、これが慣れきった事態であるからだ。人族に追われる事も、相棒の猫が人語を口にする事も。 「マジかよ気付かなかった……グランニア軍じゃないだろうな?」 「騎士団じゃないね。敵意も無いし、近くの村人かな」 「……騒ぎにならなきゃ良いが」  モコの言葉通り、丘の折り重なる向こうから子供が飛び出してきた。シルヴィアは少年と鉢合わせになり、お互い立ち竦んだ。それから、どちらからでも無く歩み寄ると、その途端に悲鳴が響き渡った。子供のものではない。後ろから見守っていた母親が叫んだのだ。 「ヒィッ、獣人だわ! うちの子から離れてちょうだい!」  母親は息子を抱きしめると、そのまま来た道を駆け下りていった。見知らぬ人から浴びせられた罵声は、唐突であった分だけ深く突き刺さる。それが幼心であれば尚更だ。シルヴィアの小さな肩は大きく上下し、両手で掴んだ裾には、ポタリポタリと雫がこぼれ落ちた。  そうして、今にも消え入りそうな身体を包み込んだのは父アルフレッドだ。太陽の日差しから、吹き付ける風からも守り、そして痛みで冷え込んだ心さえも優しく抱きしめた。 「シルヴィ。びっくりしたね、気にするんじゃないぞ」  耳元から静かに染み込むような声色だ。しかし、心痛をなぐさめるにはまだ不十分である。 「ごめんなさい、おとさん。シルヴィがダメだから、悪い子だから、きらわれちゃうの」 「それは違うぞ。キミは何も間違っちゃいない。悪いのはこの国の連中だ、理屈のひん曲がった世界の方だ!」 「でも、シルヴィのせいで、兵隊さんに追いかけられちゃうし……」 「悪い奴らはおとさんが全部やっつけてやる。だから何も気にしないで遊び回って、笑っておくれよ」  アルフレッドは娘を両手で掲げて、高い高いの動きをした。背景の青空のような、清々しい笑顔を見ることが出来なかったものの、気持ちは多少持ち直したようである。 「おとさん、いっしょに遊ぼ?」 「うぅん。もちろん遊びたいんだけど、おとさんは悪い奴が来ないか見張らなきゃいけないし」 「悪い奴って、どんな人?」 「それはだなぁ……こんな事をするヤツかも!」 「アハッ、アハハ。やめて、くすぐったいの!」  アルフレッドは脇に這わせた指先を目まぐるしく動かし、確かな笑いを取った。それだけで沈んだ空気は一気に温まる。 「ホラホラ、逃げないとくすぐっちゃうぞぉ?」 「アハハッ。やめてったらぁ!」  草のなびく中、2つの影が寄り添っては離れる。  先程まで肩の上に居座った猫は、いつの間にやら木の枝に逃れて佇んだ。親子を見守るように、あるいは、父の代わりに見張りでもするかのように。  それから迎えた夜。一通り遊び尽くしたシルヴィアは、父の膝の上で眠りについた。焚き火の弾ける音、夜光虫の鳴く程よい静寂。さらに温かだとくれば、疲れ切った身体は睡魔に容易く敗れてしまう。 「よく眠ってるね。昼間は辛い目にあったけど、大丈夫そうだ」 「これっきりにしたい。連中の差別や偏見なんて、もうたくさんだぞ」 「早いとこ安住の地を見つけたいな。そうすりゃキミの過保護っぷりもマシになるだろうしね」 「資源が豊かで、人里離れた場所。人も魔獣も一切寄り付かねぇ所だと最高だな」 「そんな都合の良い話が……おや?」 「どうした、モコ」  会話の途中にモコが垂れ耳をピンと伸ばして立ち上がった。いつの間にか虫の音も止み、息を潜めている。 「アルフ、甲冑の音がするよ。どうやら騎士団に捕捉されたらしい」 「チッ。やっぱり通報されたみてぇだ。あの親子には口止めくらいすべきだったか」 「それと反対側からも来る。こっちは魔獣かな。かなりの速度だよ」 「面倒くせぇ。挟み撃ちをされた格好じゃねぇか」 「どうしよう、逃げる?」 「とりあえずは魔獣の方から処理するぞ」  アルフレッドは娘を背負い、紐で固定すると焚き火の真隣に立った。見据えた暗闇からは無数の足音が聞こえ、それが収まれば唸り声だ。  暗がりを睨み続ける。すると牙を剥き出しにした狼達が一匹、また一匹と踊りだした。淀みない動きは芸術的であり、瞬く間に包囲網が完成する。 「チッ、魔狼かよ。速いし鼻は利くしで、面倒なのに絡まれたな」  しかしこれはまだ序の口。包囲が完了したその瞬間、辺りには地響きが巻き起こった。大地が自ずから揺れたのではなく、何者かが揺らしたのだ。 「うわぁ……。よりにもよって大物を引いちゃったね、アルフ」  モコの台詞は言葉の意味でも正確だ。最後に現れた大物とやらは、従える狼の数倍も大きな体格を誇っていた。もちろん人族とは比較するまでもない。立ち上がったアルフレッドが、四足の獣を相手に見上げなければ視線が重ならないのだ。  それほどの巨体が颯爽と現れたのだから、生半可な身体能力では無い。 「愚かなニンゲンよ。我が領土を汚すとは、万死に値するぞ」 「うおっ、この狼喋りやがった。そんだけ知能と魔力があるって事か」 「ある、なんてレベルじゃないってば。コイツは……」 「我こそは原初の魔狼。畏れ、震えよ。そして無力さを抱えて死んでゆけ」 「ふぅん。これが原初シリーズねぇ。どうりでデケェ訳だわ」  アルフレッドは無勢であっても怯んだ素振りを見せない。それどころか胸元を掻きむしった手の臭いをかぎ、そろそろ水浴びか、などと場違いな事をぼやいた。  それが魔狼の主から怒りを買った。しかし、その激情のままに仕掛けない所に、かの獣から知性を感じさせた。 ――こやつは何者だ。この魔力、ただのニンゲンとは思えぬ。まさかこんな小男から、気圧される程の力を感じようとは……。  様子を窺えば窺う程に魔狼の主は戸惑った。背格好は人族そのもの。丸腰で、胸当てすら無い。文字通り非武装の男から何故こうも圧力を感じるのか。それが分からず、腰を引いては唸るばかりになった。 「おい犬っころ。一度だけ警告してやる。死にたくなきゃ、このままどっかに消えるんだな。オレ達も明日になれば他所へ行く」 「な、何だと! ニンゲン風情が指図だと!?」 「オレを甘く見ない方が良いぞ。こちとら特別製なんだ」 「その不遜極まる態度、許せぬ! その背中の『半端者』とともに捻り潰してくれようぞ!」  魔狼の主にすれば、意図せず吐いたセリフであり、言葉の綾というものだ。しかしこの場においては致命的な判断ミスだと言えた。  例えばマグマ燃え盛る火口の縁でタップダンスを舞うより無謀で、森に生えたキノコを片っ端から食らいつくよりも無鉄砲な振る舞い。  それは、愛娘シルヴィアを侮辱する事である。 「今何つったこの野郎ーーッ!」  大地を揺るがす怒声と共に暴風が吹き荒れた。発信源はアルフレッドで、その全身は闇夜よりも深い濃紫のオーラに包み込まれている。禁句に触れた代償としては過剰すぎるが、とにかく強烈な怒りを買ってしまったのだ。  モコはその場で伏せて難を逃れ、すかさず逆上を諌めようと試みた。 「殺しちゃだめだアルフ! この魔獣も世界の均衡に必要な……」 「死に晒せボケェがぁーー!!」  助命の声は届かず。アルフレッドは放たれたように虚空へ飛び出し、魔狼の主の頭に拳を叩きつけた。その一撃は極めて重く、人知を超える巨体ですらも堪えきれず、地面にアゴを打ち付けた。  凄まじい威力はそれだけに留まらない。魔狼越しに大地が割れ、長い長い裂け目を生み出してしまった。 「あぁもう止めたのに! シルヴィアが絡むとすぐコレだよ……!」  モコは瀕死の狼に近寄ると、回復薬の封を切った。最初のうちは半分ほど薬用液を垂らしてみたのだが、全く足りないと気付き、すぐに瓶を逆さにして治療を施した。  すると患部から体内に薬用成分が浸透し、辛うじて消えかけた命を繋ぐ事が出来た。 「我が、たったの一撃で討たれるとは。何者だ……」  原初の魔狼が膝を笑わせつつ尋ねた。ちなみに周囲を取り巻く魔狼達だが、一匹として牙を向けてはいない。それどころか腹を見せて仰向けになり、キュンキュンと子犬のような声で許しを乞うようになる。もはや闘志など欠片さえも残されていなかった。 「シルヴィが寝てた事に感謝するんだな。もしさっきの暴言が聞かれてたら、手加減なんかしなかった。テメェらまとめてサイコロ肉に切り刻んだ上に、闇市で二束三文のお手頃価格で売り飛ばしてた所だぞ」 「加減してもこの威力とは……全く底が知れぬ」 「やっと身の程を知ったか。もう一度だけ言ってやる、死にたくなきゃサッサと……」  ここから消え失せろ、そう告げようとしたのだが、言葉は魔狼の主によって遮られる。 「無礼を働いたこと、我らこそ万死に値しましょう。しかし、ひとときだけ猶予をいただけませぬか!」 「なんだテメェ。急に擦り寄ってきやがって、何を企んでやがる砕くぞ」 「この生命、いつでも投げ出してみせましょう。貴方様のお力になれるのなら、我が血肉で野原を染める事になろうとも悔いはございませぬ」 「うわぁ……。魔狼は強者に心酔するって聞くけど、ここまで強烈なのは珍しいだろうね」  先程まで闘気を放った魔獣だが、今や真逆の立ち振る舞いだ。お行儀よく両手足を揃えて座り、頭は低く下げて、アルフレッドを仰ぎ見る姿勢となっている。その傍らで尻尾はひっきりなしに振られるので、辺りは砂埃で荒れた。 「貴方様の強さに惚れ申した。しかし、何の功績も立てぬ内に討たれるは魔狼の恥。どうか武功をあげる機会を……!」 「どうするアルフ。服従する気満々みたいだよ。強すぎるってのも罪なもんだね」 「ほんと面倒くせぇな。こんな馬鹿デケェ犬を連れ歩けるかよ」  しかしアルフレッド、悪しざまに言いつつも、ひとつ閃くものがあった。 「よしワン公。向こう側にニンゲンの騎士団が群れてやがる。それを蹴散らしてこい」 「お安いご用にございます。では、成功した暁には貴方様の軍門に……!」 「調子に乗んな。成功したら殺さないでおいてやる。つうか二度と近寄んな」 「むむぅ……。今はとやかく申しますまい。全ては駆逐した後に!」  そこで原初の魔狼は遠吠えをあげ、闇夜の中へと消えた。配下も慌てて起き上がっては主の後を追いかけていく。 「さて、どうすんのアルフ。彼らの戻りを待つのかい?」 「んな訳ねぇだろ。このままテリトリーの外まで向かう。シルヴィアたんたんを馬鹿にするような奴と仲良く出来るか」 「キミってば妙にねちっこい所あるよね」 「それに、ここら辺は人族の村がある。もっと人里離れた所まで行かないと」 「程々の場所で頼むよ。秘境とか勘弁だからね」  こうしてアルフレッドは愛娘を背負い、小さな仲間と共に歩きだした。  この一見すると単なる人間でしかない彼は、後に『豊穣の森の魔王』と呼ばれ、世界中から畏敬の念を集める存在となる。しかし今は流浪の身。過剰気味な子煩悩ぶりを晒す、多感な青年でしかなかった。
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