ー第8章 幻のオアシスー

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ー第8章 幻のオアシスー

シュプーラを出たユラはジロデと数人の侍女を連れ立って、寂寥(せきりょう)たる砂漠の上をゆっくりと歩いていた。力尽きたジロデは車輪がついた荷台の上に横たわり、もはや歩くことも話すことすらも出来ないまま静かに呼吸をしていた。 一方シュプーラ宮殿の中にいるマリテーヌは、無理にオアシスへ行ったジロデの身体を深く心配していた。 「キメラ! ジロデはまだシュプーラに帰って来ないのか?」 「はい、まだでこざいます」 「あぁ、あんなに身体が傷ついているジロデを何故私は危険なオアシスに行かせたのだ」 マリテーヌは女王の間のベッドの上で、いつまでも悔やみ泣いていた。 砂漠の陽炎に薄らと人影が浮かび上がる。 その人影を宮殿の屋上で確認した侍女は、慌ててマリテーヌの所へ行き報告した。 「申し上げます。 只今、ジロデ様の一行がシュプーラに到着しました!」 「ジロデが帰ってきたか!」 病み上がりで身体が完全ではないマリテーヌは、キメラの肩に掴まりながらシュプーラ宮殿の入口でジロデが到着するのを待っていた。 しかしオアシスから水を持って宮殿に戻ってきたのはジロデではなく、一緒にオアシスへ行った踊り子のユラだった。マリテーヌは周りを見渡したが愛するジロデの姿はどこにも無い。ユラはマリテーヌの前で膝を折り、頭を深く下げて報告した。 「マリテーヌ様、私は踊り子のユラと申します。 この度ジロデ様の代わりにオアシスの水をマリテーヌ様にお持ちしました」 マリテーヌはそのユラの顔を見た時、中庭にある月の時計台でジロデと愛し合っていたあの踊り子だとすぐに気づいた。しかしそれを知らぬふりをしながら、階段の上からユラを見下ろしていた。 「ユラとやら、ジロデはどうしたのですか?」 何も答えず深々と頭を下げたままのユラに、マリテーヌはやや強い口調で言い放つ。 「ユラ、もう一度聞く! ジロデは一体何処へ行ったのだ!」 しかしユラはさらに深く頭を下げるだけで、何も答えようとしなかった。 怒りを露にするマリテーヌは、横にいたキメラを強く睨みつけ、 「キメラ、ジロデは何故ここにいない!」 キメラもユラと同様黙ったまま膝を折り頭を下げると、マリテーヌはまた強い口調で、 「答えなさい、キメラ!」 「恐らくジロデは、オアシスにいるかと・・・」 「あぁ、なんてことだ!」 驚愕したマリテーヌは少しよろめくと、キメラの胸で支えられた。 そしてマリテーヌは大勢の侍女たちに向かって、 「皆のもの、私は今からシュプーラを出てジロデがいるオアシスへ向かいます。 ユラ、私を案内せよ!」 マリテーヌの叫び声が宮殿に響き渡ると、侍女たちは膝を折り一斉に声を上げた。 「かしこまりました、マリテーヌ様!」 果てしなく遠く広がる黄金色の砂漠。 マリテーヌは数十人の侍女たちを連れ立って、ジロデを探しにオアシスへと向かった。マリテーヌの座る椅子には大きな車輪があり、それを多くの侍女たちの手で引かれ運ばれていた。 マリテーヌの一行は『(おぼろ)にけぶる月』を静かに歌いながら砂の上をゆっくりと歩いていく。ジロデに思いを馳せる侍女たちの悲しい歌声は、乾いた砂漠の風の音と共に寂しく響いていた。 一行がしばらく砂漠の上を歩いていると、オアシスへの道を案内していたユラが急に立ち止まった。そしてユラは恐る恐る遠くへ手を差し伸べ、椅子に座っているマリテーヌに告げた。 「マリテーヌ様、あそこに見えるのがオアシスでございます」 マリテーヌはキメラの肩に捕まりながらゆっくりと椅子から降りると、美しい水で潤っていると聞いていたオアシスを見て愕然とした。 「ここは、本当にオアシスなのか?」 マリテーヌの目の前にあったのは砂が大きくへこんだ(くぼ)みと枯れた草木だけで、黄金色の砂風が寂しく吹いていた。 美しいオアシスなど、そこにはなかった。 「これは、どういうことだ?」 マリテーヌは茫然と周りを見渡すと、枯れた草木の下に横たわって倒れているジロデの姿に気がついた。 「あれはジロデ、ジロデ!」 マリテーヌはキメラの身体を激しく突き飛ばし、力を振り絞ってジロデの元へ走って行った。 「ジロデ! ジロデ!」 マリテーヌは痩せ細って倒れているジロデを抱きかかえ、泣きながら叫んだ。 「どうして、どうしてこんな姿になったのだ!」 その泣き声を聞いたユラは砂漠に膝を付き、ジロデを抱いているマリテーヌに向かって言った。 「マリテーヌ様、初めからオアシスなど何処にもありませんでした!」 「な、なに?」 「ジロデ様はオアシスに水など無いのを知っていて、いつもこの場所に来ていたのです」 「では、あの淡い色の水は何だ? 私は一体何を飲んでいたのだ?」 「マリテーヌ様が飲んでおられたのは・・・」 ユラは一瞬息を殺し、そして満身の力で叫んだ。 「ジロデ様の血でございます!」 「ジロデの血?」 「ジロデ様はマリテーヌ様のお命を救いたい一心で、この場所で自分の血を抜き取っていたのです!」 マリテーヌはあの女王の間でジロデの腕の傷を見た時のことを思い出した。そして恐る恐るジロデの衣の中を覗くと、痩せ細った身体には無数の傷があった。 ユラは泣き叫びながら、 「ジロデ様には医療の知識がございました。 ゆえに自分の血を抜いた後それを沈殿させ、それで出来た淡い色の血漿(けっしょう)をずっとあなた様に捧げ続けていたのです!」 「私が飲んでいたのはジロデの血漿だと?」 「申し訳ございません、うわぁぁ!」 ユラは乾いた砂漠の砂を強く握りしめながら、叫ぶように泣いていた。そしてユラの後ろにいたキメラも、砂漠に膝を折り頭を下げた。 「キメラ、ユラ・・・ひょっとしてお前たち?」 マリテーヌは鋭い目で2人を睨みながら、 「お前たちはまさか、ジロデがこのようなことをしていたことを初めから知っていたのか!」 「お許し下さい、マリテーヌ様!」 「お許し下さい、ジロデ様!」 「あぁ、なんていうことを。 そなたはこの私の為に命を捧げてくれたのですね」 マリテーヌはジロデの亡骸を強く抱き抱え、声を荒げながら天に向かって叫んだ。 「神様、どうかジロデの命をお救い下さい!」 あの妖艶で美しいマリテーヌの顔はまるで鬼の形相となり、叫び続けながら泣いていた。 そのマリテーヌの淡い色の涙は止めどなく流れ続け、乾いた砂漠の大地を濡らしていった。 あれから数千年後。 『水のない都市シュプーラ』にはもう誰一人住まなくなり、硬い石で出来た城壁や宮殿の柱しか残っていない。 しかしシュプーラから南方の遠く離れた所にはオアシスが今でも存在し、その淡い色をした水が枯れることは1度もなかった。 このオアシスは『マリテーヌとジロデの伝説』として語り継がれ、砂漠を歩く旅人たちは、その淡い色をしたオアシスの水を誰も口にはしないという。 終わり
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