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「あっ、椿さん、こっちです!」 嬉しそうな(とおる)がぶんぶん手を振る。個室の居酒屋だというのに、わざわざ襖から顔を出して笑っている。苦笑いで理永(りえい)は早足で予約された部屋に向かった。 「顔出すなよ、子供か」 「す、すみません、嬉しくって」 享が指定したのは、理永が普段行く居酒屋よりも一段グレードアップした店だった。金持ち坊ちゃんパワーで超高級店に連れて行かれるかとひやひやしていたので、内心ほっとしていた。 大きな窓があり、夜景を見ながらカウンターのように並んで食事が出来る、足元が掘り炬燵式の座敷。理永が座ると、享は満面の笑みで言った。 「本当に良かった!来てもらえないんじゃないかと持ってました」 「・・・俺をどんな奴だと思ってんの?」 「えへへ」 享は今日、スーツ姿ではなかった。パーカーとデニムの方が年相応に見えた。そもそも理永は享の正確な年齢を知らないのだが。 享があらかじめ頼んでおいたらしい料理と冷えたビールが早速運ばれてきた。豪華な刺身の盛り合わせ、だし巻き卵、枝豆と冷奴という、不思議なバランスのメニューがテーブルに並ぶ。 「椿さんの好きなものがわからなくて・・・」 「何でも食うよ」 「良かった!ここの刺身、新鮮でうまいんですよ」 「・・・あのさ」 「はい?」 「まさかここもあんたの親父さんの会社系列だったりとか・・・」 「よくわかりましたね!」 「・・・ぁあ、そう・・・」 これだからお坊ちゃんは。親の七光りとはよく言うが、ここまで来ると最早気持ちがいい。 「じゃあ、乾杯しましょう」 「・・・うん」 何に? グラスを合わせて、二人同時にビールを煽った。さわやかなのどごしのおかげで、理永はいろいろどうでも良くなった。 「そういえば、あんたさ」 「はい?」 「年いくつなの」 「えっと、今年二十七です」 「えっ?!」 「え?」 「お・・・同い年?!」 「あ、そうだったんですね」 「二十二か三くらいだと思ってた・・・」 「童顔なんで、よく言われます。仕事の時困るんですよ、舐められちゃって」 「へえ・・・」 理永は逆だった。飄々としているからか初対面の相手にはだいたい三十代に見られる。ついでにタクシー運転手という職業柄、実際より年齢が上に見られることが圧倒的に多いのだ。 「刺身、どうですか」 「めっちゃうまいわ」 「よかった~、この後唐揚げも来ますから」 「そ・・・そんなに食えるかな」 「大丈夫ですよ!」 享は意外とよく食べる。理永がビールを飲んでいる間に、冷奴をたいらげ、枝豆を剥き剥きして次々と口に放り込んでいる。 「椿さん、あの・・・」 唐揚げが運ばれて来た。店員が襖を締めてすぐ、享はおずおずと言った。 「?」 熱々の唐揚げをはふはふさせて理永は小首を傾げた。 「お願いがあるんです」 「お願い?」 「あの・・・僕の名前、なんですけど」 享が何を言いたいのかを理永は察した。そして若干申し訳ない気持ちになった。 「出来たらその・・・名字でもいいんで、名前で呼んでもらえたら・・・って・・・」 「・・・悪い」 「いいんです、僕の初動が気持ち悪過ぎたのが原因なので・・・」 「いや、その、うん、そうだよな・・・あんた呼びはないよな」 享は嬉しそうに笑った。しかしどう呼んだらいいものか。考えて、理永ははたと気づいた。 「っていうか、同い年ならさ、俺のこともさんづけしなくていいよ」 「えっ」 「呼び捨てで」 「でも」 「条件、同じやん」 「そうですけど・・・」 しかし、椿、田中、と呼び合うのはまるで高校生のようだ。が、さほど関係が深くないのだから他に呼びようがない。 理永にある案が浮かんだ。 「よし、わかった」 「え?」 「まず飲む」 「へ?」 「酔ったら自然に言えそうじゃね?どっちも」 「なるほど・・・でも椿さん、酒・・・」 「酒は強いの。この間のは媚薬ね」 「あ、そっか」 享はうなづくと、店員を呼んで日本酒をオーダーした。
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