2.

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夕方に仕事が終わり、理永はその足で飲みに出た。明日は休み、多少の深酒も問題ない。行きつけのバーのドアを開けると、カウンターに二人、先客がいた。彼らは理永を振り返ると全身を舐めるように品定めする視線を寄越した。今晩の相手を探しているのがひとめでわかる。 「理永、こっち」 顔なじみのママが手招きし、理永は彼らと隣り合わない席に腰を降ろした。 ハイボール、と言った理永に、はーい、強めね、と答えたママは手早く酒を作ってカウンターに載せた。 そして先客に聞こえないように声をひそめてこう言った。 「あのふたり、近づかないで」 「え?」 「やばいのよ」 なにがやばいのか知らないが、ハイボールを飲む振りをして理永は小声でうん、と答えた。 ママはつい、と理永のそばを離れ「やばい」二人組に話しかけた。わざわざ大きな声を出して話を盛り上げ、理永に集中しないようにしてくれている。 今日は、相性が合う男がいればと思っていたが、どうやら日が悪いようだ。 仕方なく黙って飲んでいても、確かに二人はちらちらと視線を送ってくる。ママがその都度会話を盛り上げて、理永から注意をそらす。 理永には、他人に知られたくない過去がある。 生まれつき、赤い痣が全身を覆っている。子供の頃からそのせいで心ない言葉をぶつけられることが多く、随分と苦労をした。高校を卒業してすぐに美容外科で顔の痣は消した。もとより顔の造作は整っていたのだが、痣を取る時に整形も施した。 別人になって人生をやり直したかったのだ。 特定の相手を作らないのは、腕にも背中にも足にもまだ痣が残っているから。 たった一度なら明かりを消せばそれで誤魔化せる。説明するのも、理解してもらうのも面倒だった。 二人のうち、一人の男がトイレに立った。 同じタイミングでママはバックヤードに入った。 店内には理永ともうひとりの「やばい」男だけになった。 これといって理由があったわけではない。なんとはなしに、そちらを見てしまったのだ。 理永と目が合った「やばい」男の片割れは、三十代半ばほどの、筋肉質でちょうどよく日に焼けて塩顔、まさに理永の好み「どストライク」だった。ママに「近づかないで」と言われたのが、一瞬でどこかにすっ飛んでしまうほどの。 視線に気づいた塩顔の男はセクシーな流し目を理永に送ってきた。理永は軽くウインクを返すと、すっと席を立った。多すぎる代金をグラスの下に挟んで、黙って店を出る。 ビルを出たところで壁にもたれ掛かって五分ほどすると、やはり塩顔の男が理永の後を追って入り口に現れた。もうひとりの「やばい」男はいないようだった。 一人だったことに少しほっとして、理永は彼の顔を見た。塩顔の男は再びセクシーに微笑み、理永の腰に手を回す。 180cmはある理永よりさらに上背のある男は、筋肉質な腕で理永を抱き寄せ、まるで恋人同士のように歩き出した。 「かわいいね。・・・ネコ?」 塩顔の男は理永の耳元でささやいた。時と場合によりどちらも可能、つまりリバの理永は男に合わせて「そうだね」と答えた。 「俺、タチだから。ちょうど良かった」 どっちでもいいんだけど、と思いつつ理永は笑顔を作った。どうやら今夜はこの男が楽しませてくれるらしい。ここのところ、いい出会いが無かった理永は最早、せっかくのママの忠告を頭の片隅に追いやってしまっていた。 塩顔の男はホテルに行くのかと思いきや、人気のない路地裏に理永を引っ張って行った。切羽詰まった様子で理永を壁に押しつけ、乱暴にキスをする。 (おいおい、ここでかよ) 若い頃ならまだしも、ここ最近はこれほど性急な相手に当たったことがなかった。男は舌を絡めながら理永に下半身を押しつけてくる。服の上から遠慮なく各所をまさぐり、慣れた手つきで理永のデニムのファスナーを降ろしにかかる。 つい先ほどまで、バーのカウンターで渋く飲んでいたとは思えない。理永は薄く目を開け、男の顔つきを盗み見た。 (あらら、これは・・・キマっちゃってる?) 明らかに正気じゃない。理永の首筋に唇を押しつけながら男は自分のベルトも外していた。 「ちょっ・・・と、待っ・・・」 理永はママの忠告を聞かなかったことを後悔した。これは下手すると怪我をするパターンだ。 制止を無視し、男は理永の身体を反転させ壁に手を突かせると、デニムと下着を力づくで引き下ろした。男のいきり立ったものを当てられ、理永は背筋が凍った。何の準備もせず貫かれたら、流血は免れない。そんなことになったら仕事に支障が出る。 とりあえず身体をめちゃくちゃに動かして逃げようとするも、キマっている男は執拗に犯そうとする。 と、暴れる理永の肩を誰かが触った。塩顔の男は理永の腰をがっしり掴んでいる。 じゃあ、この手は誰の? (え?) 肩に触れてきた手はぬっと伸びて、理永の顎を掴んだ。そして無理矢理口の中に指を差し込まれた。唇に、硬い小さなものが触れる。 (錠剤!) やばい、と思った理永が吐き出そうとする前に、その錠剤は喉の奥に落ちてしまった。 どうやら店にいたもう一人の男が合流したようだった。最初からそのつもりだったのだろう。 万事休す。 何を飲まされたかもわからないが、かなりやばい状況だった。 「・・・ぐっ・・・」 激痛に思わず声が出た。 慣らされもせず、ぬめる男の性器を無理矢理ねじ込まれ、息が詰まる。「やばい」の意味を身を持って知ることになってしまった。 もう一人の男が理永と壁の間に割り込んで、前から理永の中心をくわえ込む。飲まされた得体の知れない薬のせいか、次第に痛みが快感に変わってゆき、腰ががくがくと震え出した。 (マジで失敗した・・・!) 忠告してくれたママの顔が()ぎる。しかしこれは自業自得だ。 ところが。 その数秒後、理永と理永を犯す二人の男に、ばしゃん、と大量の水が降り注いだ。 突然の出来事に、全員の動きが止まった。 「え・・・・・・?」 理永を押さえ込んでいた男の腕の力が抜けた。急に身体が解放されて、理永はやっと息を吐き出すことが出来た。背後で誰かの大きな声と、男たちの怒号が混じって聞こえる。膝まで引き降ろされた服をなんとか持ち上げ振り向くと、何がどうしたのか男たちが慌てふためいて走り去ってゆく。それを鉄パイプのようなものを振り回しながら蹴散らす若い男の後ろ姿。 「お・・・おいっ・・・」 助かったのだ。 見ず知らずの男の背中に理永は声をかけた。髪の先から水滴がしたたり落ちる。 若い男は握りしめた鉄の棒を降ろして振り向いた。 「椿さん!」 自分の名字を呼んだ男が、理永の記憶の引き出しからひょっこり顔を出した。 「あ・・・あんた・・・」 それは一年前のこと。 理永のタクシーに乗ってきたある青年。彼は毎日のように理永の車を見つけては乗車して、無邪気に理永のことを知りたがった不思議な男。そして、かつて新宿二丁目で理永に助けて貰ったことを明かし、その時からずっと好きだったと告白してきた。 しかしストーカーまがいの彼の行動に理永は面食らい、彼の告白を受け入れることはなかった。 「田中です。お久しぶりです、覚えていてくれましたか」 「あ・・・ああ・・・」 彼の名前は、本人が言うまで忘れていた。田中(たなか)(とおる)。彼は有名なベーカリーを経営しており、新宿二丁目でも新店舗を展開し始めたところだった。 理永は壁に身体を預けた。それを見て享があわてて駆け寄る。 「大丈夫ですかっ」 「・・・・・・あんた、どうして」 身体に触れられそうになった理永は、思わず手のひらを見せて享が近づくのを制止した。 「椿さん・・・」 理永は自分の身体を両腕で抱きしめた。 「・・・路地から苦しそうな声がしたので人を呼ぼうとしたんですけど、それより自分が行った方が早いかと思って・・・」 「助けて貰って悪いんだけど・・・・・・これって偶然?」 「偶然です!・・・言ったじゃないですか、もう姿は見せないって・・・」 初めて客と運転手として知り合った時、享はタクシーに乗るだけでなく、理永の行動範囲を調べてプライベートな空間にも姿を現した。金持ちの世間知らずなお坊ちゃんストーカーの行動は、理永を怖がらせるには充分だった。 別れ際、亨は「もう二度とあなたの前に姿を現さない」と言って、理永を諦めたはずだったのだが、再びあまりにもタイミングのいい現れ方をした享に、つい先ほど襲ってきた二人組よりも不気味さを感じてしまう。 「そんなことより!病院に行きましょう!」 「・・・・・・は?」 享はそう言うと、理永の腕をがしっと掴んだ。 「病院?!」 「血が・・・それに洗い流さないと、病気とか・・・」 理永は瞬きを繰り返して享の顔を見た。確かにさっきのゴタゴタで血は出ているし、服も汚れている。にしても。 病院?! 亨は至って真剣な様子で理永の腕をぐいぐい引っ張る。その手に自分の手を重ねて、理永は言った。 「し・・・心配してくれてありがたいけど、大丈夫だから」 「だめですよ!」 「いや、本当に・・・」 「行きましょう!」 「いいから!」 手を払いのけられた享は、驚いて一歩後ずさった。何が悪いのかわからない、といった様子で享は首を傾げた。 乱れた前髪を掻きあげ、理永は薄笑いを浮かべて言った。 「あのさ・・・路地裏で男二人に犯されました、って俺に言えってこと?」 「あ・・・あの・・・」 「あんたにはわからないかもだけど、こんなん、自己責任だから。自分のケツは自分で持つから」 「でもっ」 「心配してくれてありがと。じゃ、また」 また、などない。そう思いながら理永はデニムのポケットに手を突っ込んだ。 あの男たちに飲まされたのはどうやら媚薬の類らしい。こうしている間にも、下半身がぞわぞわしてくる。一秒でも早く家に帰らなければ。 理永はふらつく足で享の脇をすり抜けた。が、次の瞬間、享の腕に再び捕まってしまった。 「ふらついてるじゃないですか!」 「・・・放っといてくれ」 「そうはいきませんっ」 「俺にかまうな・・・っ・・・」 理永の目の前がぐらりと歪んだ。足が宙に浮いたかと思った。地面が迫ってくる。ぶつかる、と思った直前、理永は意識を失った。
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