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「・・・あれ・・・・・・?」
目を覚ました理永は、ふかふかしたソファの上にいた。丁寧に大判のブランケットまで掛けられている。見える天井の模様だけではここがどこかを判断できない理永は、ゆっくりと身体を起こした。
部屋には誰もいない。ソファの前にはガラスのテーブル。小さなテレビがチェストの上に据えられ、その横には白い花瓶があり、一輪の赤い花が生けられている。ソファから降りようと足を動かした時、ずきん、と鋭い痛みが膝に走った。
「痛たた・・・」
その痛みで、路地で二人の男に襲われたこと、そこにタイミングよく田中享が現れたことを思い出した。媚薬を盛られたものの、最悪の状況は免れた。それは享が助けてくれたからだ。
気を失う直前、享に腕を掴まれたような気がする。
と。
「椿さん」
ぎい、とドアが開いたのと同時に、享の声が聞こえた。心配そうな顔をした享が立っていた。
「大丈夫ですか、身体は」
「ここは・・・」
「ショパンの新宿二丁目店です」
田中享の経営するベーカリーの名前は「ショパン」。カレーパンが有名で、コンテストで日本一にも輝いた経歴がある。新宿二丁目店ということは、店のバックヤードなのか。
「病院は嫌でしょうから・・・店にお連れしました。勝手にすみません」
「・・・・・・」
「今日は定休日ですから、他には誰もいません」
すまない、とも、ありがとう、とも言い出せず理永はうつむいた。
人間として、大人として、ここで礼を言うべきなのだと理解は出来る。が、どうしてもいまひとつ信用することが出来ない。その理由はやはり、彼のあまりにもタイミングの良すぎる登場の仕方だっだ。
大きな企業の御曹司。金の力で理永の居場所を探しだし、偶然を装って近づいてきた経緯がある。本人は今回こそ偶然だと言い張るが、正直どこまで本当なのかわからない。
力に任せて襲ってくる単細胞な男たちより、こういう何を考えているのかわからない人間の方が理永には恐ろしかった。
とにかくここを出よう、と理永は決めた。
「・・・世話になって申し訳ない・・・もう、大丈夫だから」
「椿さん」
「これからは・・・気をつける」
「・・・・・・」
痛む膝をかばいつつ理永は立ち上がった。目の前には享。理永をまっすぐに見つめる視線は悲しげだった。
享は言った。
「そんな逃げるように帰らなくてもいいじゃないですか」
「・・・・・・」
「椿さんが僕を気味悪がっているのはわかってます。・・・でも本当に、今回は偶然なんです」
享は低い声で続けた。
「正直・・・・・・僕は椿さんにもう一度会えて嬉しかった・・・ただ、レイ・・・あんな状況で会うとは思っていませんでしたけど」
レイプ、と言いかけてやめたことに、理永はすぐに気づいた。
「一瞬警察を呼ぼうとも思いました。結局なんとかなりましたけど・・・・・・だから、本当に・・・」
「・・・なあ」
理永の低い声が享の言葉を遮った。
「なんか勘違いしてねえかな」
「・・・え?」
享は大きく目を見開いた。小首を傾げ、よくわからないという顔をして享は理永を見返した。
理永は髪をぐしゃぐしゃとかき乱して言った。
「あれは、合意の上だから。強姦でもなんでもないんだよ」
「椿さん・・・」
「確かに乱暴ではあったけど・・・ま、そういうことだから」
「そ・・・そんな、でも、あの時椿さんは苦しそうに・・・」
「お坊ちゃんにはわかんねえかもだけど」
お坊ちゃん、という言葉に享が顔を歪めた。
「ああいうこと、慣れてんだよね。今日はちょっと相手が悪かっただけ」
「そんな・・・」
「苦しそうに見えた?まあ、何の準備もなく挿れられたから、苦しそうに見えたのかな」
「椿さん・・・っ・・・」
「わからないよね。あんた育ち良さそうだもんな」
ふふっと笑った理永に、享は唇を噛んだ。遠回しに馬鹿にされたことに気づいたようだった。
「だからさ、心配してくれなくていいっていうか。自業自得なわけ。・・・つか、傷ついてもないし」
同情は辛さを増幅させる。理永はそれをよく知っていた。
亨は両手を握りしめ、言った。
「・・・余計なお世話だったって・・・ことですか」
「気を失った俺をここに運んでくれたのは感謝してる。・・・ただ、誤解を解いておいたほうがいいかなと思っただけ」
「・・・・・・」
二人の目が合って十秒程が経った。
「・・・それじゃ・・・」
「椿さん!」
歩き出した理永の前に享は立ち塞がった。
「言いたいことはわかりました。ただ、そんな状態の椿さんをこのまま帰すのは、やっぱり無理です」
「え?」
「熱、ありますよね」
そんな自覚はなかったが、享に言われて理永は自分の身体が熱いことに気づいた。
やはりあの男たちに飲まされたのは媚薬だったのだ。確かに足下もおぼつかない。ふと視線を落とし、見えた光景に理永はぎょっとした。
思わず享に背中を向けて、理永は背中を丸めた。
「だ、大丈夫ですか?」
「・・・・・・大丈夫・・・なんだけど」
「だけど?」
「・・・確かに少し熱がある・・・かも」
「でしょう?ここには誰も来ませんから、まだ寝ていてください。朝になったら自由に出て行ってかまいませんから・・・」
享は、理永の身体に起こった変化にまだ気づいていなかった。ほっとして理永はうなづいた。
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