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「これ中に入ってるの、なに?」
「イチジクとくるみです」
「うまい・・・」
「こっちと比べて、生地はどうですか?」
「うーん、少し固めだけど・・・くるみと合う」
「ですよね?こっちはちょっと柔らかすぎるんですよ。あ、これもどうぞ」
十種類以上の新商品をずらりと並べたテーブルに座り、理永は次々とパンを試食した。享は自分も食べながらひとつひとつメモを取る。
「この明太子のやつ、好き・・・」
「ありがとうございます!それ自信作なんですよ」
「・・・あんたが作ったの?」
「いえ、僕はアイディアを出したんです。明太子とマヨネーズのバランスが絶妙で・・・」
「すごいな・・・」
「え?」
生地に明太子とマヨネーズソースをのせて焼いた
フランスパンをじっと見つめて理永は言った。
似たようなパンは食べたことがある。が、享が言うように明太子とマヨネーズのバランスが絶妙で、まだ試食していないパンがあっても、全部食べてしまいたい衝動に駆られる。
「あんた、本当にパン、好きなんだな」
「そう・・・ですね。大好きです」
「この間、○○町のショパンに行ったよ。すごい繁盛してた」
「ありがとうございます!」
「店員の子にすごく親切にしてもらったよ。教育がいいんだな」
「椿さん・・・」
「俺は食品業界のことはよく分からないけど、あんた、いい経営者なんだと思うよ」
「・・・・・・」
享は驚いた顔をして、理永をじっと見つめた。理永はその視線から逃げるように、フランスパンにもう一口かぶりついた。
「嬉しいです・・・店員の対応でそんな風に感じてもらえるなんて、経営者冥利につきます」
「あ、そういえば」
「え?」
「あんた・・・妹さんとか、いる?」
「はい、妹、います。三つ下の・・・あ、もしかして」
「○○町の店で・・・」
「ええ、最近販売員になったんです。でも、どうしてわかったんですか」
「わかるよ、めっちゃ似てた」
「そうですか?僕に似てるって言ったら嫌がられそうです」
「そっくりだよ、まん丸い目とか・・・笑った感じとか・・・」
はっと気づいた時には遅かった。目を見開いてびっくりしている享に気づいて、理永はあわてて言葉を切った。そしてぼそぼそと付け加えた。
「一生懸命で・・・可愛らしい妹さんだな」
「・・・椿さん」
「あっ、ち、違う、そういう意味じゃなく・・・」
顔の前で両手をばたばたさせて理永は言った。どうやら享の妹の件ではいろいろ誤解を産みやすいようだ。享はほっとしたように笑った。
「良かった・・・」
「へ?」
「うっかり妹に嫉妬するところでした」
「・・・俺がゲイなの、あんたが一番知ってんだろ」
「そうですけど・・・」
パンのお供にと用意されたコーヒーを啜る理永。享は聞こえるか聞こえないかのボリュームで言った。
「僕・・・正直、また会えると思っていなかったのですごく嬉しいんです」
「・・・・・・」
二人の間に沈黙が流れた。パンの試食に夢中で、理永はここに来たそもそもの出来事を忘れていた。
「椿さんは僕にお礼を言ってくれましたけど、本当だったらぶん殴られても文句は言えないことをしてますから」
「・・・まあ・・・うん・・・」
「ストーカーからの痴漢、みたいな・・・」
「なんか自分がかわいそうになるからやめて」
「す、すみません」
「だし・・・あの状態で外歩いてたら、変態扱いされて通報されてたかもしれないし」
「それは確かに危なかったかもしれないですね」
会話をしながらひとりでにあの夜の光景がフラッシュバックする。理永の顔に血液が集中した。
いたたまれなくなって理永は立ち上がった。
「お・・・俺、そろそろ・・・」
「椿さん、待って!」
「明日も仕事だから・・・」
「もう一回っ」
享は理永の手首を強く掴んだ。もう一回なにをするつもりなのか。
「え?」
「もう一回、言わせてもらえませんかっ・・・」
「な・・・なにを・・・?」
「もう姿を現さないって言ったのに、勢いであんなことをしてしまって・・・申し訳ないと思ってます!でも」
ずい、と享は理永に顔を近づけた。
「この機会は・・・僕は偶然じゃないと思ってるんです」
理永は一歩後ずさった。享はこんなに積極的な男だったろうか。初めてタクシーに乗ってきた時は気の弱そうなお人好しお坊ちゃんだったのに。
「僕はまだ・・・椿さんのことが・・・」
理永は後悔した。
享の気持ちはわかっていたのに、のこのことやってきてしまった。親切以上のことをためらわずに出来る享。が、そもそもきっかけを作ってしまった責任は理永にある。
理永は尋ねた。
「ひとつ・・・聞いていいか」
「は・・・はい?」
「あんた、俺のどこが好きなの?」
「それは・・・」
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