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「おそらくこれの可能性が強いです。」
遠藤は3人が取り囲む白いテーブルの上に大量の紙を乗せた。世界地図のように大きく、どこか黄ばんで見える紙の上には等間隔で刻まれた線が描かれている。そこに指先を這わせて彼は言った。
「まずこの敷地は数十年前まで2軒の住宅が建っていましたが、それは昭和初期から始まったそうです。このお家から始まった話です。」
大きな紙を数枚捲ると、より黄ばんだ紙が露わになる。遠藤が指差していた場所には2つの家が並んでいたものの、次の紙を捲るとその2つの家は無くなった。
その代わりに、”藤川”と書かれた一軒家があった。
「この藤川家は、ある夫婦が住んでいました。子どもは作らなかったために跡継ぎがいなくて、現在隣の土地の所有者は不明です。そしてこの藤川夫婦は家の中で大量の虫を飼っていました。」
「えっ。」
咄嗟に真由美は口元を両手で覆う。ぱっちりとした目を丸々とさせて彼女は神妙そうにため息をついた。
「どうかしましたか。」
「いや、猫とか犬の多頭飼いっていうのは聞いたことありますけど、虫って聞かないですよね…?」
確かに、と直樹は唸る。閑静な住宅街は午後4時を過ぎてもなお電車の走行音のみを取り込んでいた。
「そうですね。現に藤川夫婦は当時、近所でも有名なお家だったそうです。子どもたちからは珍しい虫が見られる、大人たちからは悪臭や害虫被害など、良くも悪くも噂は絶えなかった。しかし2人はほぼ同時期に老衰で死亡。それ以降家は取り壊され、土地は二分割されたということです。」
4人を包むぼんやりとしたライトは白く濁っている。永島の予想はほとんどが的中していたものの、どこか引っかかっていた。
「どうした、友哉。」
その様子を察していたのか、遠藤は何気なく言う。
「いや、何かおかしい。」
「ど、どうしたんですか…?」
不安そうに呟く真由美の前で永島は背後を見た。カーテンは開ききって、平べったい土が向こうに写っている。永島はガラス越しにその空き地を睨みつけながらゆっくりと視た。輪郭のように浮かび上がる霊力は永島の眼の上でより濃くなっていく。
「泰介、俺がLINEで送った内容も調べてきた?」
「ああ。でも結果はゼロだぞ。」
なるほど、と呟いて永島は空き地を睨み続ける。そのやりとりに不安を覚えた直樹は言葉を震わせた。
「な、何があったんでしょうか。」
「気になったんです。直樹さんだけじゃなく、周りの住民にも同じような心霊現象が起きているんじゃないかと。だから周りに住んでいる方々に直樹さんと同じような心霊現象が起きていないかと聞くように彼に頼んだんです。しかし泰介が言うには直樹さんだけだと。冷静になって考えてみたんですが、もし地中に埋まっている物が藤川夫婦の怨念によるものなのであれば、その周辺に伝染するはずです。さらにその土地のみに宿る霊力なのであればこの家全体、さらには真由美さんにも影響があるはず。やはりどう考えても直樹さんだけにピンポイントで霊障が起きているのはおかしい。仕組みは単純ですが、どこか普通じゃない。」
腕を組んで永島は元の体勢に戻った。しばらく考え込んだ様子の彼を見て、遠藤は咄嗟にリビングを見渡す。右手には液晶テレビ、その隣にはキッチンが見える。いくつか見えた扉はどこの部屋に繋がっているのかは分からなかったが、遠藤は無精髭に触れながら言った。
「あの、もしよろしければ近いうち泊まらさせていただけませんか。」
電車が規則的なリズムで遠退いていく。近くの小学校が授業を終えたのか、徐々に窓の端でランドセルを背負った小学生たちの姿が増えていた。遠藤は畝るパーマを掻き上げながら言う。
「決してお二方の邪魔はしません。ただ、俺もあまりにも不思議に思います。真剣に取り組まないと直樹さんにもっと被害が及ぶ可能性もありますから」
「あの、私からもお願いしようと思っていたんです。」
遠藤の言葉を遮るようにして真由美は勢いよく立ち上がる。3人は呆気にとられて彼女を見ていたが、先程まで怯えていたような、不安そうな表情を浮かべていた彼女は、一度ぎゅっと目を瞑ると真剣な面持ちで声を張った。
「私は霊感も無いですし、正直何も役に立てないと思います。でもこれ以上直樹が苦しむのは見たくないんです。突然何かに悶えたり、何かから逃げるように立ち上がったり、夜も頭を抱えたり…だからもうお二方に頼るしかないんです。お願いします、直樹を助け出してください。」
短い髪を振って深々と頭を下げる。甘いシャンプーの香りが辺りに散って、自然と彼らの気持ちの高ぶりを抑えてくれるようだった。
それに応えるように永島も立ち上がる。テーブルの上で震えていた彼女の手を握りしめると、子を慰めるように言った。
「もちろんです。必ず原因を究明して、直樹さんを助けます。任せてください。」
彼の心強い一言がリビングに染み渡り、直樹は怯えながらもなんども感謝の言葉を呟きながら頭を下げていた。
閑静な住宅街の中に突如生まれた奇妙な心霊現象。引っかかる思いはあるものの、すぐに解決するだろうと高を括っていた彼らは待ち受ける不幸をその時はまだ知らずにいた。
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