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鍋の中が徐々に落ち着き、具材が減る。残りを掻き集めようと直樹はおたまを手に残ったモツとキャベツを掬い、器の中に落としていく。その間4人の間で盛り上がっていたのは井上と金田の馴れ初めであった。 「え、じゃあ真由美さんからアタックしたんすか。」 麦茶を喉の奥へ流し込み、ごくりと飲み込んだ遠藤は驚いた表情で言う。夜は深まって20時を回り、時計の針と4人の話し声がリビングに響いている。 「まぁ、そうですね。もうこの話やめませんか。恥ずかしいですよ。」 「でも真由美、いざとなったらこうやって照れちゃうんですよ。こっちが答えたら急に黙っちゃうっていう。」 「もう、直樹もやめてよ。」 まるで何年もの付き合いかのように会話は弾む。しばらくして真由美は鍋の中を覗き込むと、閃いたように言った。 「そろそろ締めにしますか。」 おー、と沸き起こる男性陣の歓声を浴びながら真由美はキッチンへ向かう。直樹は向こうへと歩いていく彼女の背中に声を投げた。 「締めは何?」 「そりゃもう、ラーメンよ。」 再び歓声が沸き起こると彼女は何か作業をしながら微笑んだ。遠藤はその光景を羨ましそうに眺めていた。 「なんか、いいっすね。好きな人とこうやって二人暮らし。俺もそろそろ彼女作らないとなぁ。」 「だから同窓会マジック期待したらって言ったのに。」 「うるせーな、今更同級生と顔合わせて色恋なんて無理だっての。」 次に眺めていたのは直樹であった。前に座る遠藤たちをぼーっと見つめて、箸を器の上に置くと恐る恐る口を挟む。 「お2人は同級生なんですか。」 「そうっすね、埼玉の方なんですけど、小学校から同じで。」 へぇと頷いてグラスを持ち、直樹は麦茶を喉へ流し込む。一度座り直すと少しばかり真剣な面持ちになった。それは家にいる普通の男性ではなく、仕事人としての表情であった。 「あの、今回の件が終わったら、取材させてもらえませんか。」 一端のwebライターに切り替わった彼は鋭い目を2人に向けている。思わず遠藤たちも背筋を伸ばしてしまい、生唾を飲む。直樹は目を逸らすことなく続けた。 「おそらくですが、僕と同じような悩みを抱えている人は多いと思うんです。誰に明かせばいいのか分からず、しまいには怪しい宗教などにハマってしまったり、そこで詐欺被害に遭うことだってある。傷ついた人をきちんと救う人たちを、僕は紹介したいんです。」 ぐっと握り込んだ拳は微かに震えたままだった。 「いい宣伝に繋がると思いますし、いかがですか。」 ピアノ線の様に張り詰めた空気が食卓に漂う。それまで怯えていた彼とは違い、まるで真っ直ぐ狙いを定めた狩人のように直樹は改る。 しばらく考え込んだ遠藤はふっと鼻から息を抜くようにして笑うと、ぐっと身を乗り出して彼の前に手を差し出した。 「俺は暇な方が好きなんすけどね。忙しいのも悪くないかな。」 「そうですよ、たくさん働きましょう。」 2人は少し目を合わせ、やがて大きな声で笑い合った。 「あら、男性だけで何話してるの。」 蚊帳の外であった真由美はボウルを手に戻ってくる。直樹の隣に腰掛けると、具材の欠片しか残っていない鍋の中に卵色の麺をどうっと放り込んだ。 遠藤はラーメンを掻き混ぜている真由美を眺めながら考えていた。何でも屋として仕事を始め、最近ではかなり深刻な依頼なども多くなっている。噂がどこか一人歩きしているような感覚で少しばかり居心地が悪かったものの、大手webサイトからの紹介であれば正しい噂が回るかもしれない。”何でも”請け負うからこそ、予想だにしない角度から攻められることもあった。 思わず隣に座る永島の方を見る。彼は横目で遠藤を見ると、一度だけ肩をすくめた。 味噌の香りが再び立ち込める。ラーメンと汁が混ざり合い、真由美はおたまを手に直樹の器の中に麺を落とし込んだ。復活したばかりの湯気が直樹を隠していく。まるでご褒美を与えられた子どものようにぱあっと表情を輝かせた彼が箸を手にした時、遠藤の隣に座っていた永島が大声をあげた。 「直樹さん、箸置いて。」 ぴしゃりと言って彼は立ち上がる。前の2人は呆気にとられた様子だったが、遠藤はすぐに順応することができた。すぐさまテーブルの端に置かれたままのウェザーステーションのリモコンを奪うように手に取る。 ぐつぐつと鍋が再び煮える。遠藤たちの剣幕を見て察したのか、前の2人は徐々に怯えた表情になっていく。 やがて永島はキッと鋭い目で辺りを睨み続けると、低い声で告げた。 「来ます。」 カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ リビングに張り詰めた鳴子が一斉に鳴り出すと、遠藤の持つリモコンの液晶が異常な温度の記録を開始した。ぐんぐんと気温が下がっていく度に鳴子はより激しく震えていく。今までに霊障を見て来なかったためか、真由美は両耳を塞いで縮こまってしまった。 「友哉、今0℃だ。」 「分かった。直樹さん、もうすぐで虫の感覚がすると思いますが、冷静になってください。」 怯えきった真由美の肩を抱き、直樹は小刻みに頷く。やがてその彼の勇気を嘲笑うかのように、シャッターを切る音が立て続けに鳴り出した。 誰もいないはずの空き地を撮影し続けるサーモグラフィーカメラは眩いフラッシュを焚きながら、”見えない存在”を写し続ける。やがてその異変は彼に現れた。 「ああ、ああっ…き、来ました…」 直樹は思わず立ち上がって自らを抱きしめる。今彼の体の中で虫の這う感覚がある、それは一目見ただけで理解することはできなかった。まるで周りに対してびくびくと怯えているような、消極的で敏感な姿。彼は掌で自身の体を撫でながら全身を震わせている。 その時永島は妙に思った。 この家に最初訪れた際、永島と遠藤は霊障を防ぐ塩を体にかけた。それはその家の中で発生する心霊現象をこちらに向けないためのものである。しかし今日に限ってはその”防具”を纏っていなかった。それは虫の這う感覚が他者に影響する可能性を鑑みての行動である。もし直樹だけに絞っていないのであれば、今現在遠藤たちにも虫の這う感覚が及ぶはずだった。 「泰介。どうだ。」 「な、何がだ。」 「虫の這う感覚、しないか。」 「俺はしないけど…。」 納得したように彼は頷く。やはり虫の這う感覚は直樹だけで、それ以外に影響はしない。そして永島は”次”の予感を覚えた。 「次、来るぞ。」 それを受けて遠藤はリモコンをぐっと握りしめる。指の力が強まった時、永島の言う”次”が訪れた。 「ハハハハハハ!キャハハハハハハハハハハ!あそぼうよ!ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!たのしいね!たのしいね!たのしいね!キャハハハハ!キャハハハハハ!キャハハハハハハハハハハハハハ!ハハハハあハハハハハハハ!あそぼう!ハハハハハハハハハ!キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハつハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!いいあそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!あそぼう!キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハよハハ!ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!ハハハハハハ」 数十人にも及ぶ子ども達のはしゃぎ声がリビングに響き渡る。それは確かに遠藤と永島の耳にも届いていた。 「こ、子どもの声も…」 「はい。こっちにも届いてます。」 助けを乞うような彼の言葉に遠藤は宥めるように答える。しかしその言葉が直樹には届いてないのではないかと疑ってしまうほど、どこからか聞こえる子ども達のはしゃぎ声は一層強くなっていた。 遠藤はリモコンに目を向ける。そこで見た異変を彼はそのまま口にした。 「友哉、温度が変だ。」 「どうした。」 液晶画面は依然として空き地の気温を記録し続けている。しかし問題はその温度であった。 霊障が起こった当初は0℃だったにも関わらず、液晶画面は27℃を記録している。そして気温を記録する数字の下、湿度が63パーセントを刻んでいる。永島はその数字を見て声色を変えた。 「今夜の平均気温は11℃だよな。」 「ああ…友哉、この気温と湿度って、虫が過ごしやすい環境じゃないか?」 思わず目を見合わせて2人は生唾を飲む。真夏日の日中を思わせる気温に高い湿度、それは全て虫が過ごしやすい環境であった。それはまるで隣の空き地が”虫を育てているかのように”、どこかおかしかった。 永島は除霊することなくただ考えていた。必死に頭を巡らせてこの霊障について考え込む。それに合わせるように子どものはしゃぎ声が徐々に止んでいった。ボリュームをゆっくり絞るように不自然な子どもの声は遠くへ消えていく。 鳴子の音、シャッターを切る音がぴたりと止まる。ウェザーステーションのリモコンに目をやると、気温は11℃に落ち着いている。リビングに静寂が戻ると、直樹と真由美の荒い息遣いがはっきりと聞こえるようになった。 「あ、あの…」 両耳から手を離して真由美は呟く。彼女の声は寒さに凍えているように震えている。 「今のは、もう、除霊したってことですか。」 張り詰める静寂に真由美の声は溶けてしまう。その言葉を掬い上げた永島は諭すように答えた。 「いや、自然と落ち着いた感じです。空き地に眠る霊は子どもでも藤川夫婦でもなく、大量の虫です。人間の霊であれば対話することができますが、動物霊などは会話ができない。なので非常に除霊は難しいです。そしてこの霊は私と遠藤を外敵として見ていません。これは憶測ですが、虫の霊が本丸で、子どもの声は付属であるとみていいでしょう。」 淡々とした説明がおかしく思えてしまうほどリビングは冷め、それと反比例するように鍋は煮え続けている。 やがて永島はため息をつくと、真剣な面持ちで続けた。 「お二方の寝室に行っても構いませんか。」
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