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革のジャケットのポケットからタバコを取り出し、ソフトパッケージを振って飛び出した頭を口に咥える。片手でハンドルを握りながら遠藤泰介はもう片方の手で器用に火をつけた。中古で購入した旧車の中で紫煙が立ち込める。一筋の煙を吐いて遠藤は退屈そうに言った。
「なぁ、俺らいい加減ペット探しとかやめねぇ?あれ金にならねぇじゃん。」
「そうは言っても何でも屋なんてそういうものでしょ。」
あっさりとそう返す永島友哉は自身のスキンヘッドを撫で、銀色の細い眼鏡の位置を直してから、手元に置かれた書類に目を通した。数十分前に終了した依頼の詳細が事細かに記載されている。
「それに泰介は動物に好かれる体質じゃん。この仕事辞めてブリーダーになったら?」
「俺がブリーダーねぇ。向いてねぇな。」
幼少期の頃からあちこちに畝るパーマを掻き、無精髭を擦る。一見詐欺師とフリーターのような見た目の2人だが、目黒区にある雑居ビルの5階に事務所を構える遠藤相談屋のメンバーであった。
ペット探しや浮気調査、あちこちから時折舞い込む依頼をこなして生計を立てている2人は、心霊現象の相談も承っている。彼らが生まれ育った埼玉県の小学校の卒業式、永島が体育館に住み着く霊を祓ったことで2人は誰かからの依頼を解決するようなコンビを組むこととなった。
一度除霊に失敗し、その霊の影響でスキンヘッドとなってしまった永島は思い出したかのように言う。
「そうだ。中学の同窓会の案内来てたけど。行く?」
駒場東大前駅のロータリーを抜け、大通りから路地に滑り込む。蔦で覆われた雑居ビルの低い駐車場に鼠色のパブリカを停めると、遠藤は吸いかけのタバコをドリンクホルダーに収まった灰皿に捨てた。
「行かねぇ。どうせ夏だろ?」
「うん。夏休みに地元の居酒屋貸し切るんだって。」
「俺はパス。今更懐かしんで何が楽しんだか。」
「そろそろ同窓会マジック期待したら?」
「それって独身に言うことじゃねぇだろ。」
20年以上の付き合いとなる彼らはインターネット上でも相談を受けており、その中にはいじめを受けている中学生からの依頼もあった。事務所に戻ってその依頼を確認する。それが2人のルーティーンである。
薄暗い階段を上がりながら世間話を続ける彼らは、4階の踊り場をぐるりと回ったタイミングで視線の先にいる人物に気が付いた。
グレーのパンツに薄い桃色のシャツ、世界中の海をぎゅっと閉じ込めたように深く青いデニムジャケットの背は弓なりだった。分かりやすいほど猫背な男性は眉までかかった黒髪に、パッチリとした目と白い肌だった。
まだ遠藤たちに気付いていないのか、遠藤相談屋の事務所に続く扉の前で彼は立ち尽くしている。永島は気を遣ったのか低い声で言った。
「あの、うちの事務所にどのような要件でしょうか。」
その瞬間男の肩がびくんと跳ねた。まるで誰かから脅されているような、何事にも警戒を怠らない野良猫のような、彼はそんな怯えた表情で首をゆっくりと2人に向ける。彼の顔を真正面から見て遠藤は心の中でふと呟いた。
(重症だな。)
まるで蟻地獄の底から浮かび上がってきたような目の下には隈があり、頬は削ったように痩けている。初対面にも関わらず彼が憔悴しきっていることが分かった。
男は恐る恐る頭を下げる。やがて頭を上げ、か細く震えた声で言った。
「あ、あの、ここは心霊の相談も承っていると、聞いたのですが。」
「ええ。やってますよ。」
遠藤がそう答えると、彼はほっと胸を撫で下ろした。深いため息をついて緊張が解れたような柔らかい表情を浮かべている。しかしすぐに不安そうな面持ちに切り替わった。
「い、今、私、そういったものに悩まされて、いまして…お話だけでも…」
藁にもすがる思いとはこのことだと遠藤は感じた。他に頼るものなど何もなく、一見胡散臭くもある何でも屋に手を出すしかない。遠藤相談屋に駆け込む依頼者は皆追い込まれているのが特徴であった。
遠藤はふっと笑って永島と目を見合わせると同時に頷いた。
「どうぞ。話、聞きますよ。」
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