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打ちっ放しのコンクリートを舗装して数年、徐々に剥げてきた床の塗装を踏み、遠藤はキッチンから抜けて白いマグカップを手に、2つの黒いソファーの間に置かれたテーブルに置く。前に座る彼に遠藤は言う。
「ミルクココア。苦味成分のテオブロミンがセロトニンに働きかけて、脳をリラックスさせてくれます。どうぞ。」
「あ、ありがとうございます…。」
彼は大事そうにマグカップを持つと、ゆっくりと啜った。湯気の向こうで安堵した表情を浮かべる。
「それで、依頼というのは。」
遠藤の隣に座った永島は彼を観察するように言う。その視線から逃げるように足元に視線を落とした彼は、デニムジャケットから黒い長財布を取り出すと、中から一枚の紙を2枚抜いてテーブルに滑らせた。それを手にとって遠藤は読み上げる。
「えっと、Webライターの井上直樹さん。JEボードって大手のウェブサイトじゃないですか。専属なんですか。」
マグカップをテーブルに置き、背を丸め続けている井上は一度だけ頷いた。
「大学出てフリーランスで活動してて、最初は飲料水メーカーのライターだったんですけど、3年前にJEボードからヘッドハンティングされまして。」
「泰介、俺ネットニュースとか見ないんだけど。すごいの。」
「バカかお前。一番そういうの見てる見た目じゃねぇかよ。アプリのシェア率国内トップだぞ。それに日本最大のテレビ局、ヒガシテレビとも業務提携結んでるし。」
JEボードは日本のエンターテインメントを中心としたネット記事を取り扱っており、その特色としてはライター毎に内容の面白さも違ってくるということだった。SNS上ではそのライターのファンも少なくない。さらにはJEボードが運営する動画配信サービスもあり、大勢のインフルエンサーを排出していることでも有名であった。
遠藤は携帯とタバコを取り出すと、まずはスマートフォンの画面に指を滑らせた。数多くあるアイコンの中から1つを選んで、井上に見せる。
「俺アプリ取ってますもん。」
「あ、ありがとうございます…光栄です。」
少しばかりはにかむ彼は高校生のような幼い笑顔だった。
「そんな大手のライターさんがどうしてうちを?」
「あ、そ、それは、長野県松本市の一件で、知りまして。」
あー、と唸ったのは2人同時であった。数年前に受けた依頼を思い出す。メゾン松本サザンベールというマンションで起きた事件であった。
「同僚が、その記事を書いて、おりまして。そこで。」
「なるほど。それじゃ、早速ですが。依頼に関して話を伺ってもよろしいでしょうか。」
革のジャケットから取り出したのはICレコーダーだった。側面のボタンを押して彼の前に置く。井上はそれをまじまじと眺めると、恐れるように口を開いた。
「2年前に、新築の一軒家を購入しまして。現在は彼女と二人暮らしなんですけど、いずれは結婚をして子供も欲しいっていうことで、駅に近いところに、建てました。問題はその家の隣にある、空き地です。」
グレーのパンツのポケットから白いスマートフォンを抜く。前以て用意していたのか、すぐに写真を表示させて2人に見せる。
比較的小さい家だった。
いかにも新築といった雰囲気で、白と薄いベージュが混じる外壁の2階建。その隣には同じスペースの土があった。今にももう一軒建ちそうなそこは何の手もつけられていない。赤茶色の土が平坦に広がっている。
それを指差すと、井上はまるで恐ろしいものに触れるような声で言った。
「こ、ここが、おかしいんです。」
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