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ゆっくりと目を覚ました直樹の視界に、穏やかな笑みを浮かべた安能院が写った。彼は一度だけ小さく頷くと、あのざらりとした声で寝ぼけている直樹に言う。 「直樹さん、現在夜の7時です。随分と眠っていたようですね。」 「ええ…こんないい部屋を用意していただいて、本当に感謝しています。」 不思議な感覚を味わっていた。決して酒を入れたわけでもないのにどこか体がふわりとしていて、視界の周りに薄い靄がかかっている。何度目を擦ってもそれは拭えなかった。 その時に直樹は、自分の両手を縛っていた革のベルトが外されていることに気が付いた。 時間をかけて上体を起こすと、安能院が薄いファイルを持っているのが見えた。 「それは…?」 「こちらは当村に住んでいる女性のリストです。これから儀式が始まるまで、直樹さんはこの中から好みの女性を選んでいただいて、お好きに使ってもらいたいのです。もちろん全員が直樹さんとの性交渉を望んでおりますし、もし妊娠すれば虫の化身を宿した子が生まれることになります。そうなればさらに我々は生きていけます。なので今から女性を選んでください。すぐに呼びつけますので。」 薄いファイルを手渡され、朧げな意識のままページをめくっていく。証明写真で撮られたであろう女性の写真がずらりと並び、その下には名前、生年月日、スリーサイズや趣味なども描かれている。しばらく女性の顔写真を眺めていた直樹は、ある人物の顔を指差し、安能院に告げた。 「真由美が、いいです。生贄になる前にまた彼女としたいです。」 恐る恐るそう言うと、彼はぱあっと表情を輝かせた。ファイルを攫って小脇に抱えると嬉々とした様子で言う。 「素晴らしいですね、直樹さん。感動のストーリーだ。あなたのその選択は今後当村で語り継がれることでしょう。それでは少々お待ちくださいね。」 彼は扉の脇に置かれた電話台に飛びつくと、受話器を手に一言だけ告げた。恭しく頭を下げて扉が閉まる。ガチャリと鍵がかかり、豪勢な室内に静けさが満ちる。 その静けさが破られたのはものの数分後だった。 再びガチャリと音が鳴り、扉がゆっくりと開く。現れたのは白いキャミソールとショーツだけを身に付けた真由美だった。硝子の上に牛乳を垂らしたような透明感のある肌、下着から溢れそうな乳房の片鱗、直樹は意識が朦朧としている中でもその体を覚えていた。 扉を閉めて施錠すると、真由美は微かに泣き始めた。ぽつぽつと涙を零しながらベッドに近付く。やがて前に立つと彼女はキャミソールの上から自らの腹を優しく撫で回した。 「あなたの子供がずっと欲しかった。あなたと、虫の神の化身が混じった、聖なる子…。指名してくれてありがとう。」 張りのある肌に粒が落ち、尖った顎の先で留まる。時間をかけて谷間に滑り込んでいった。 直樹はベッドから降りて彼女と向かい合い、両腕を伸ばして真由美を柔らかく抱きしめた。優しい感触がスウェット越しに伝わってふわりとした髪と肌の匂いが鼻腔を擽る。直樹は掠れた声で言った。 「いいんだよ。最期は、真由美を抱きたかったんだ。」 掌に触れる肌はしっとりとしていた。それをゆっくりと撫でて、力を込める。きつく抱き寄せてから2人は自然と目を合わせた。 お互いの視線は熱を持って絡み合い、瞳に穴を開けてしまうほどの数秒間。やがて2人はどちらからともなく唇を重ねた。 水風船を噛んでいるような柔らかい感触、互いの唾液が混ざり合い、彼女の薄い舌が唇を割る。 調べるようなキスを終えて唇が離れていく。どちらのか分からない唾が糸を引き、少しして途切れてしまう。その時に真由美は不思議そうな表情を浮かべた。 「直樹…なんで泣いてるの。」 「えっ…?」 その言葉でようやく頬を流れる暖かな感触に気が付き、直樹は慌てて指先で涙を掬った。 しかし彼の涙は止めどなく、ダムが決壊したようにぼろぼろと瞳から溢れていく。いくら拭っても湿っていく頬を何度も撫でながら、直樹は首を傾げた。 「あれ、あれ?なんで泣いてるんだろう…なんで…?」 意味も分からずに直樹は泣いていた。朧げな意識のまま涙が枯れるのを待っていたものの、直樹は10分も泣き続けていた。やがて真由美は痺れを切らしたように彼を抱きしめると、体を前に押してベッドに沈んだ。雲へ飛び込んだように毛布の端がふわりと揺れ、再び唇を重ねる。 やがて直樹の顔の周りが涙でぐっしょりと濡れた頃、2人は泣きじゃくりながら1つになった。それはひどく長く、とても濃厚で、少しだけ切ない夜だった。
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