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ガチャリと音が鳴る。真由美が去ったベッドの端で腰を下ろしていた直樹はゆっくりと視線を上げた。
安能院はグレーのポンチョを着てにっこりと微笑んでいる。その脇で林圭子、山中賢吾、そして真由美がグレーのスウェットを着て立っている。全員がにっこりと笑っていた。
「直樹さん、いよいよ儀式が始まりますよ。最後の準備をしましょう。」
こくりと頷いて直樹はベッドから立ち上がる。部屋に入ってきた安能院は丁寧な口調で続けた。
「ではまず服を全て脱いでください。」
言われるがままスウェットをもぞもぞと脱いでいく途中で直樹は彼らの共通点に気が付いた。
安能院だけでなく、他の3人も同じように全員が目の下に墨を塗っていた。野球選手がデイゲームの際に太陽光の眩しさを抑えるため描いているアイブラックのような、黒い線が全員の目元に刻まれている。それを見て不思議に思った直樹だったが、言われるがままに服を全て脱いで生まれたままの姿となった。それを見て安能院は背後で待機している林圭子に合図を送る。
林圭子は黒いバケツを持って直樹の前に立った。その中から顔を覗かせているのは、持ち手が飴色の細い筆だった。
毛先は墨で真っ黒に濡れている。それを抜いて林圭子は直樹の前にしゃがみ込むと、腰のラインに沿って筆を這わせた。
「儀式の内容は至ってシンプルです。足、胴体、顔の3つに直樹さんを切り分けて、それを供物として捧げるのです。なので予め肉体のどこを切るのか印をつけています。あ、ご安心ください。その際はきちんと強力な麻酔を打ちますから。」
安能院が儀式の内容を話し終えると同時に、林圭子は直樹の首に墨の線を塗り終えた。数歩引いてその様子を薄目で見ると、彼は納得した様子で頷く。
安能院の指示で再びスウェットを着用し、5人は豪勢な部屋を後にした。
正面玄関から外へ向かう道中、直樹は長旅に向かう前のような感覚を味わっていた。全員が旅立ちを祝福してくれるような喜びを感じながら彼は廊下を歩いていく。その途中で隣を歩く真由美と目が合い、2人は笑いあった。
生贄になることが幸せとなっていた直樹は廊下を抜けて正面玄関の前に立ち、目の前に広がった光景に言葉を失った。
「直樹様!」
「直樹様だ!直樹様がいらっしゃった!」
「ありがとうございます、我々のために…」
「こちら向いてください!」
アイドルが凱旋したような黄色い歓声が飛び交う。グレーの服を着て目元に墨を塗った大勢の男女が、松明に照らされて踊っている。中には酒瓶を片手に何かを叫んでいる男もいれば、木のベンチに並んで腰掛け、拍手を送る女もいる。
すると真由美は彼の耳元に近付くと、一言囁いた。
「直樹、今のあなた、素敵よ。」
鼓膜を擽る彼女の声に頷いて直樹は大きな一歩を踏み出した。
恐怖は微塵も感じなかった。
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