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「ねぇ、和樹。私達がした約束、覚えてる?」
朝早くに電車に揺られる中、隣に座る友美は、藪から棒にそう尋ねてきた。
「へ? えっと。ううん……何だろ」
彼女とは幼馴染で、こうして一緒に通学するのも昔と形は変われど、小学生の頃から変わらない。
だから俺は一応、昔から友美のことを、色んなことを誰よりもよく知っている。
しかし、たった今のように、俺達二人のことで答えられないことを訊いてくることはそうそうなかった。
『間もなく、自然公園前。自然公園前。お出口は左側です』
ガタンゴトンと揺れる電車の中、車掌のアナウンスが間もなく停車駅に着くことを告げる。
次第に減速してゆく車体に引っ張られ──慣性と眠気のせいだと言い訳しようとぼんやり考えつつ──友美の右肩に自分の左頬を預けながら、いやぁ分からん。降参するよ。と白旗を挙げた。
すると、
「……和樹のこと嫌いになっちゃうかも」
そう涙声交じりで耳もとで呟かれ、ちょい待ちっ、と言わんばかりの勢いで俺は顔を上げた。
嘘じゃないの?!
なんと友美は本当に目に涙を浮かべていた。
頬は紅く色付いて、唇は真一文字に結ばれている。
乾いた音を立てて扉が閉まりじきに発車した電車は、俺を友美から引き離した。
「友美、ごめん。本当に分からないんだ、約束の事。あと、電車の勢いのままべったりくっついちゃってごめん。……いや、電車のせいじゃない。俺の、下心……です。ごめん」
俺の言葉を聞くや、友美はこちらから顔をふいと逸らした。
どうしよう。本当に嫌われてしまったのかな……。
そういえば最近いつもより元気なかった気もするし、確か友美の推しの実況者が引退したってツイーターに出てたし──。
どうすれば……。
ガタンゴトン。
ガタンゴトン。
ガタンゴトン。
電車が奏でる規則的で固い音は、いつもなら揺りかごのような心地良さがあるのに、今はこの静寂をジリジリと引っ掻くような心地悪さしかない。
思えば、俺は友美のことをよく知っているようで実はあまり知らないのかもしれない。
二人で過ごした茫漠とした時間の中で交わした約束は数知れど、覚えているその約束は一つとしてないのか──。
『間もなく、里中センター、里中センター。お出口は右側に変わります』
次は勢いに任せてもたれないようにしなきゃ。
仮に嫌われたんだとして、でも、これ以上嫌われたくない。
「……たら」
「え?」
「今から出す問題に正解したら、これからも和樹のこと嫌いにならない」
「ほんと?」
「うん。約束」
「分かった。約束ね」
まだこちらに顔を向けない友美の顔色を恐る恐る伺う。
そろり……。そろり……。
「では!! いきまーす! 問題っ」
キーッ──ガタンッ──
わ!
『びっくりした!!』
思わず心の中でそう叫んだ。
なんだ。急に大きな声を出したと思ったら、目元に涙は残れどすんごい笑顔じゃないか!
さては泣いたふりだった? いやでも、妙にリアルな気がしたけど……。
それにしても急に顔を上げるなんて、今の停車の勢いで顔と顔がぶつかったりでもしたら、それこそ……それこそ……。顔と顔、って──。
「和樹と私ってさ、小学校の時からの付き合いじゃん?」
「え、うん」
「つまり、これまで大体十年ぐらい仲良くしてるけどさ。それでも和樹がわからなかったように、私達の間でこれまでに数え切れないぐらいの約束を交わしたけど、覚えているものってなかなかないよね。実際、私も覚えてないし」
「えぇ。友美も覚えている約束が無いってことは、最初に聞いてきた約束って俺が答えられるはずなかったんだ?」
「うん。そう」
「意地悪……」
友美は俺がそう言うと少しばつが悪そうに、てへへとはにかんだ。
でも、すぐにこちらを真っ直ぐ見据えると、問題だというその話を続けた。
「でも。私も和樹も覚えてない沢山の約束はきっと、これから確かめる──改めてする約束のためにあるの」
「約束……確かめる……?」
「うん。さっき約束した私が和樹のことを嫌いにならないってさ、そもそもどういうこと、なんだろうね? それと、“これからも”の期限は、ありますか? 無くても良いですか……? ずっと……この約束を覚えていてくれますか」
ん?
「それは問題ではなく質問では……?」
「いやぁ、まぁその……。嫌い、にならないっていうことが、どういう意味か、当ててほしい、んだけど……。
んーっ、質問でも問題でも、私の納得するようにこたえてほしいな!!」
うーん。
嫌いにならないってそりゃぁ……。嫌いじゃないってことで。
これからも、ずっと、嫌いじゃない……。
…………好き。
え?え?
もしかして、そういうこと?
そうすると、期限があるかっていうのも──
朝早くに揺れる電車。乗っているのは俺たち二人だけ。
お互いに口をつぐんで、規則正しい音のみが車内に響く。
でも、なんだか少しむず痒い。
制限時間の無いシンキングタイムの中で、俺と友美は黙って互いを見つめて、友美はにやりとしたり、そうしたと思えば口を結んだり、でもやっぱり頬を緩めたり。
そしてきっと俺も、同じように笑顔になったり、少し目線を逸らしたりして、言葉を交わさずとも彼女の問題──質問にこたえていた。
ああ、でもやっぱりだめだ。
はっきりしなきゃ。
『間もなく、山海ニュータウン、山海ニュータウン。両側の扉が開きます』
「友美」
「うん」
「さっきの問題……の答えなんだけど」
「あ、でも待って。降りなきゃ」
友美は、はたとドアの方を見て立ち上がろうとした。
待って──
俺は咄嗟に彼女の腕を掴み、隣に座るように促す。
「学校、遅れちゃうよ……?」
「うん。でも、この約束は果たしたい──果たしてもらいたいんだ。きっと、俺たち二人がこれまで交わした覚えきれないぐらい沢山の約束より、たった一つの、だけど一生忘れない約束になるから──」
「友美は俺のことを嫌いじゃない、それって……」
俺は緊張しながら小さく口を、すぼめて、歯を閉じて口角を横に広げて、首を傾けて合ってる?と友美に問うた。
彼女はコクコクと小さく頷いた。
「友美。俺も友美のことを嫌いになることはありません。ずっと、一生、嫌いになりません。だから、俺の隣でこれからも一緒に居てくれますか」
友美はゆっくりと、静かに頷いた。
そしてぽつり呟いた。
「えへへ。正解。約束ね」
目には涙を浮かべている。
今度こそ心の底からの。そうに違いない。
『ドアが閉まります。ご注意ください』
両側の扉が閉まり、電車は走り出した。
すると友美は電車のせいでこちらに寄りかかったかと思ったら、こっちを向いてぎゅっと俺の身体に両腕を回して抱きしめてきた。
そのままこちらに顔を埋めながら、一言。俺にだけ聞こえるぐらいの声でぽつり。
ずっと、覚えていてね。約束
うん。覚えているよ、ずっと。約束
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