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咲は、午後七時きっかりに『アトリエ花音』を訪れた。インターホンを押すと、すぐに花音がドアから顔を覗かせる。
「こんばんは、咲ちゃん」
柔らかな笑顔を浮かべて、花音はドアを押し開けた。
こんばんは、と咲も挨拶を返す。そんな咲を「さぁ、入って」と花音は招いた。
「え? 中ですか?」
てっきりお花見に出かけるものだと思って、トレンチコートを着てきた咲は、パチクリと目を見開いた。
うん、ここで、と花音は当たり前のようにうなずく。
「でも……」と花音を見上げた。
いくら無害な花音さんとは言え、夜に二人っきりというのは、あまり宜しくないのでは。
「いいから、おいでよ」
花音は半ば強引に咲の手を取ると、アンティーク扉へと向かって歩く。咲は引きずられる形で、花音の後ろに付き従った。
花音の手の温もりに鼓動が高鳴る。それが花音にバレてしまわないかと、さらに鼓動が早まる。完全な悪循環だ。
そんな咲の気持ちをよそに、花音は扉の前で立ち止り、振り返って、ニコリと笑った。
「ここが、お花見会場」とアンティーク扉を指し示した。
それから、咲の手を繋いでいないほうの手で、ドアノブを押し下げる。
勢いよく開かれた扉の向こうには、明かりの消えた部屋。
その部屋の中央に据えられたオーバルのテーブルの上にスポットライトが配され、大型の壺が浮かび上がる。壺には、満開の桜の枝が生けられていた。
まるで、桜の樹がそこに生えているかのような趣きある光景である。
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