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第十四話 引っ越し二日目の夜
冒険者ギルドを後にした土筆とメルは引っ越しで必要になった雑貨を中心に買い出しを済ませると、日が暮れる前に宿舎へと帰って行くのだった。
「そう言えば、あの依頼いつやるの?」
沈み行く夕日を浴びて、茜色に染まったメルが道すがら土筆に尋ねる。
「そうだな……とりあえず明日は注文した荷物が届く予定だから、明後日以降で天気が良い日だな」
土筆は購入した食材が入った袋を両手で抱えながらメルの質問に答えるのだった。
「うんうん、天気大切だよねー……楽しみだなー」
メルは屈託のない笑顔を見せると、宿舎に向かって走り出すのだった……
宿舎に帰宅した土筆とメルはささやかな宴の準備を終えると、心の底から迷惑そうにするポプリを引っ張り出して歓迎会を催した。
歓迎会と言っても中身は食事会、身も蓋もない言い方をすればちょっと豪華な夕食なのだが、それでも新しい仲間を迎え入れる気持ちはどの世界でも同じである。
一区切りついたのを見計らって退席したポプリを見送った土筆は、器用に鼻提灯を膨らませながら眠るメルを起こさないよう優しく毛布を掛けると、物音を立てないように後片付けを始めるのだった……
揺すっても、尻尾を握っても、獣耳をもふもふしても、頬っぺたをツンツンしても一向に起きなかったメルを毛布で包んだままお姫様抱っこして寝室まで運んだ土筆は、自身の部屋に入り、明かりを灯したと同時に大事な事を思い出す。
「やっべ……部屋の片付けやってなかった」
よくよく考えてみれば、土筆が自身の部屋に入るのは引っ越し後今が初めてで、宿舎を購入する数日前にモストン商会の厚意で運び込んだ荷物がそのままの状態で放置されていたのだった。
土筆は自身が眠るスペースを作るために荷物を退かし、埃っぽくなってしまった空気を入れ替える為に窓を開けようと視線を向けると、窓の外でこちらを見て微笑みながら手を振る女性が視界に飛び込んでくる。
冒険者であればアンデットや悪霊などとも対峙する機会は少なくないので、窓越しに幽霊が微笑んで手を振っていても何の不思議もないのだが、どれだけ経験を積んでいたとしても不意を突かれれば背筋が凍るのは避けられない。
土筆は気付かなかった振りをして一旦仕切り直すと、覚悟を決めてもう一度窓の外へ視線を向けるのだった。
「ん?」
透明度の低い宿舎の窓ガラスに映る見覚えのあるシルエットに確信を覚えた土筆は、アンティーク調の両開き窓を開け放つ。
「……何やってんだよ」
「ちわっす。コルレットちゃん来たっすよー」
窓の外には土筆が予想した通り、コルレットが浮かんでいたのだった。
コルレットは悪びれる様子もなく窓から土筆の部屋に侵入すると、宙に浮いたままクルリと回転して部屋を見渡す。
「用事があって来てみたっすけど、一階の明かりが消えてたから困ってたっすよー」
コルレットは浮かんだまま胡坐をかくと、土筆に来訪した事情を説明し始めた。
「……それで、その用事ってのは何?」
土筆は、ある程度納得することが出来た時点で用件を聞き出す。
「そうっす。水精霊ディネちゃんとの魔力回路が正常かどうか調べに来たっすよ」
コルレットが言うには、今朝行った名付け契約がイレギュラーな形で行われた為、念のために精密な検査を行おうと道具を持参したみたいである。
「ツクっちのような複数の妖精や精霊と契約を結ぶ人は繊細な魔力回路が形成されるっすから、イレギュラーな契約をそのまま放置するのは危険なんっすよー」
コルレットは持参したという検査用の魔道具を空間から取り出して土筆に見せる。
「このアイテムを使えば、現在契約している魔力回路の状態を詳細に調べる事ができるっす。その他にも契約した妖精精霊の特徴や、名付け契約で発現したユニークスキルの情報も確認できるっすよー」
コルレットは控えめな胸部を精一杯張りながら検査用の魔道具を掲げて見せるのだった。
コルレットは土筆の了解を得ると、黄金色に輝く液体が入った瓶の蓋を開け、土筆の指先を瓶の口に突っ込む。
突っ込んだ指先にねっとりとした魔力が絡むと、土筆の指先から一滴の血が黄金色の液体に向かって滴り落ちる。
それを確認したコルレットは土筆の指を瓶から優しく引き抜くと、間髪入れずに瓶に蓋をするのだった。
「これでオッケーっす。解析結果は明日の午後には出るっすから、その時に水精霊ディネちゃんの能力も試すっすよー」
コルレットはそう言うと検査用の魔道具を空間に仕舞い込んだ。
「では、検査結果が出るまで寝るっすよー」
コルレットは土筆が先ほど荷物をどかして空けたベッドに寝転がると大の字になって目を閉じる。
「おい、こらっ」
土筆が少しキレ気味に突っ込みを入れると、コルレットはからかうように誘惑する。
「ツクっちどうしたんすか? コルレットちゃん、全然気にしないっすよー」
コルレットは横に向きになると、にたにたと笑みを浮かべながら更に誘惑するように、こっちにおいでと指を波打たせる。
土筆は誘惑に負けたような仕草をすると、コルレットに近寄ってデコピンをお見舞いするのだった。
「いっ、痛いっすよー」
予想を遥かに超える大きな音を響かせながら、コルレットの額が見る見る赤く染まっていく。コルレットは半べそをかきながら両手で額をさするのだった。
「ツクっち酷いっす。コルレットちゃん傷物になっちゃったじゃないっすかー」
猛抗議するコルレットに対し、土筆はもう一度デコピンの構えをする。
「ぐっ、ツクっちがその気ならコルレットちゃんにも考えがあるっすよ」
そう言うとコルレットは素早く立ち上がって身構えるのだった。
「……一つ忠告をしたいのだが?」
土筆は真剣な眼差しでコルレットを見つめる。
「なっ、なんすか……」
コルレットは土筆の真剣な眼差しに唾を飲み込む。
「早く帰った方がいい」
土筆は微かに聞こえる足音に気付いてコルレットに忠告する。
「……なっ、何をいってるっすかー。コルレットちゃんはおでこの恨みを晴らすまで帰らないっすよー」
コルレットは両手を上下に振りながら、身を乗り出すような姿勢で抗議する。
「そうか……一応忠告はしたからな……」
土筆は腕を組みながら諦めた表情で呟くのと同時に土筆の部屋の扉が開くのだった。
「何をやってるのかなぁ?」
そこには、安眠を妨害されたメルが不機嫌オーラ全開で仁王立ちしているのだった。
土筆はそっとコルレットの背後に回ると、メルに向かって優しく背中を押し出した。
コルレットは一歩二歩と流されるようにメルの前に歩み寄る。
「悪いな、起こしちゃったか?」
土筆はそう言うと、ベッドに腰掛けてため息を吐いた。
「えっ、ツクっちどういう事?」
コルレットは土筆の方を見ながら現状が把握できない様子でメルの前で立ち止まる。
次の瞬間、メルは流れるようにコルレットの関節を極めると容赦なく締め上げるのだった。
宿舎へ引っ越した二日目は、コルレットの苦しみ悶える悲鳴と共に更けていくのだった……
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