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「あれ……ない!」
隣に座っていた部下の岩浪が、ハッとしたように上着を弄まさぐりだした。
「ない、ない、ない……!」
「どうした?」
「ないンすよ、俺のスマホ……どっかに落としたかも!」
「落としただぁ?」
岩浪は何とも情けない、今にも泣きそうな顔でこっちを見つめた。俺は小さく肩をすくめた。
「落としたって……もうとっくに駅出ちゃってるぞ」
「そうなンすよねえ……! 新幹線の中で、落としたンなら良いけど」
俺たちを乗せたのぞみ203号は、名古屋を過ぎ、新大阪へと向かうところだった。岩浪は慌てて上着を脱いだ。ポケットというポケットを全てひっくり返し、座席の下や上の荷物スペースまでひっきりなしに探し始めた。朝っぱらから騒がしいやつだ。このままではズボンまで脱いでしまいそうな勢いだった。
「だって、アレがないと生きていけないっすよォ!」
「でも、もう一時間後には商談だろ。どっかに落ちてないのか?」
「あの中に取引先の電話番号とか、全部入ってるンです! それに家族の写真とか、決済ツールとか銀行口座アプリとか全部……本当に全部!」
「かけてみようか? 俺の電話から」
呼び出し音や振動で、どこにあるか分かるかも知れない。
「ダメっす……商談前だから、電源切ってて。『スマホを探す』アプリとかもあるンすけど、それも家のPCじゃないと見られないし……」
岩浪はとうとう本当に泣き出してしまった。
何だかややこしいことになって来た。最近じゃそう言う『探す』グッズもあるらしいが、彼はまだ使っていなかったらしい。
「どうしよう! 俺の全部!」
岩浪の泣き叫ぶ声が車内に響き渡った。
全部、というのも、あながち間違いではない。
最近のスマートフォンは個人のプライバシーから国家機密まで、片手で持ち歩ける。スパイ映画も吃驚の情報量だった。かく言う俺も、地図やらカメラやら、今では全部スマートフォンに頼りっきりだった。本当に便利なのである。慌てる部下の気持ちも、分からないでもなかった。
「アレがないと……俺の人生おしまいだぁ!」
「分かった、落ち着け。お前は前の車両を探してこい。俺は後ろの車両にないか見てくるから」
俺たちはちょうど真ん中辺りの席に座っていた。岩浪は涙ながらに頷くと、足をもつれさせ、全速力で前の車両に駆けて行った。便利すぎるのも考えものか。俺は小さくため息をつき、急いで踵を返すのだった。
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