第七話 脅迫文と元婚約者

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第七話 脅迫文と元婚約者

    「え?もちろん内側から結界は破れたけど、その場合、あの禁書庫の貴重な本が傷ついちゃうでしょ?」  助け出された史朗はヴィルタークの問いにあっけらかんと応えた。  結界にも方向性があって、外からの侵入を拒む結界は外側に強く、逆に内になにかを封じるような結界は内側からの反発に強い。  闇の結界を破るだけの魔力をふるうとなると、あの小さな部屋ごと吹き飛ばすしかなかった。それは、最後の手段として避けたいところだったのだ。  幸い、外側に己の光の魔法紋章を持つヴィルタークがいる。首に巻き付こうとした闇の蛇をはじいたときに、史朗は軽く光の魔法を発動させていた。  それだけでヴィルタークは史朗の変事を察して、真っ直ぐに駆けつけてくれたのだ。 「お前は自分の命より、古文書が大事か?」 「いや、だから最終的には結界を内側から吹き飛ばしたって」  ヴィルタークにぎゅうぎゅうと抱きしめられて、史朗もその背中に手を伸ばして抱きついた。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  「これはゆゆしき事態ですぞ」と聖ワシリイ会の神官長の言葉に、他の神官長もうなずく。  大神官長宮殿のサロン。史朗が地下書庫にて闇に襲われたという事件をうけて、大神官長に神官長達が集まっていた。ヴィルタークと史朗を彼らは囲み深刻な顔だ。  大神官長が「実は……」と口を開くのに、四人の神官長が「猊下」と咎めるような声をあげる。だが、大神官長は静かに首を振る。 「賢者殿がこの神殿で襲われたのだ。もはや、隠し事をしている場合ではあるまい?」  その言葉に四人の神官長が黙りこむ。それに大神官長が話した内容は。  「脅迫文ですか?」とヴィルタークが訊ねるのに「さよう」と大神官長がうなずく。「闇の教団と名乗るものです」との言葉に、史朗もヴィルタークも軽く目を見開いた。 「暗黒時代と呼ばれる戦乱期に生まれた教団ですが、闇の魔法を扱う邪教がゆえに、大陸のどの国でも禁教となっております。  第三王国期の初期に教団は壊滅されたと思われていたのですが」  あとの大神官長の言葉を史朗がとって「ところが彼らは少人数に分かれて密かに潜伏していたとわかったのですね?闇の魔女の事件とともに」そう告げれば、大神官長はその皺に埋もれた目を大きく見開く。 「ご存じなのですか?」 「知ったのはごく最近のことです。王宮の封印されていた禁書を解読した、その一つにありました」  「魔法王が復活しかけたこともあります。それで、この世界の禁呪について知るべきだと思いました」との史朗の言葉に、大神官長はうなずく。 「たしかに緋の聖女と呼ばれた、闇の魔女のことは我ら大神殿の失態でした。さらには今でも、かの魔女を聖女として人々を欺き続けている」  うれい顔となった大神官長にヴィルタークが「それは王家も同じでしょう」と答える。 「古文書を解読した賢者より、緋の聖女、いや、闇の魔女の真実を聞きました。事実を率先して隠蔽したのはむしろ王家だ。  たとえ、それが敵対した家臣や民同士の憎しみをどうにか消す方法だったにしろ、アウレリア王家は人々に大きな嘘をついたことになる。  それはこれからも」  三大聖女として民の信仰を集める緋の聖女を、いまさら闇の魔女だったと公表は出来ない。それは歴史の裏に隠され続けるべきものだ。史朗も同感だった。 「ですが、その大嘘をついた者達は忘れ去ることは許されない。悲劇の教訓として、これは王家にしても神殿にしても伝え続けるべき内容でしょう」  ヴィルタークがそう続ける。だが神殿の大神官長や神官長達は、闇の魔女のことを知っていたが、ヴィルタークはなにも知らなかった。  歴代の国王にも伝えられ続けていたのか?とも史朗は考えたが、それも疑問ではある。王宮の禁書庫のなかにあの本は封じられたまま、史朗が解読することがなければ、確実に王宮側には知られないままだっただろう。  「そこで提案があるのです」と史朗は口を開く。これはヴィルタークと話し合ったことでもあり、今回の大神殿行きの目的でもあった。 「隠しておかねばならない歴史の闇。世に出しては害になる禁呪もあります。  が、それをただ封印するだけでは、いけないと私は思います。その危険性と対処を伝えて行かなければ」  そのための禁書の解読と保管、禁呪の研究の機関を、王宮と大神殿の双方から人員を出して立ちあげたいのだと、史朗は提案する。 「隠された古文書の解読など、もし内容が外部に漏れたら、それこそ民の反乱さえ起こりかねない」 「禁呪の研究など危険過ぎます」  そう神官長達が口を開く。予想通りの反応に史朗は口を開く。 「危険なものだからこそ、責任ある立場のものは知らねばならないのではないですか?  封印していたふたが開いたそのときに、私達はなにも知らないから、なにも出来ないではすまされない」  史朗の言葉に神官長達が黙りこむ。大神官長が「確かに」とその白いひげをしごく。 「わたしたちは目を反らしたい事実であったとしても伝え続け、学ばねばならない。それが未来のこの国と信徒達を守る為ならば」  「さっそく、私みずから人選にかかりましょう」と大神官長が答えた。四大派閥の神官長達も「それが猊下のご意志ならば」と同意したが、大神官長が“私みずから”と言ったのだ。これで禁書と禁呪の研究機関の大神殿側の人選は、大神官長直属と決まった。  史朗としては、派閥のしがらみなんぞを研究に持ち込んで欲しくなかったから、内心でやったと思っていたが。  王宮側の代表はもちろん史朗だ。あとの人選は宮廷魔術師達や王立大学の研究者からとなるだろうが。宮廷魔術師といえば、あのゲッケだ。  正直いれたくない。偏ってはいるが、魔力もあるし、王立大学次席だけあって、頭の中身も悪くはないが、しかし……ムスケル以上の変人、いや、あれはヘンタイだ。  ともあれ、研究機関が立ち上がるまでには、まだまだ時間はかかるだろう。なるべく早くはしたいが、それまでに『ぜひ、わたくしめを!』と自らをねじ込んでくるだろう、ヘンタイ魔術師への対処は考えるとして。 「闇の教団から脅迫文とは?」  ヴィルタークが話を戻した。大神殿との共同の研究機関を作る話も大事だが、いまはこちらだ。  女神アウレリアも大神殿に闇の勢力が入りこんでいると言っていた。だから史朗の夢に接触してきたのだ。  賢者である史朗の夢の中までは、たとえ大神殿内であみを張っている闇とても、入りこむことは出来ない。 「それが、最初の脅迫文が張られていたのが、私の寝室の扉だったのです」  大神官長の言葉にヴィルタークも史朗も目を丸くする。この宮殿で一番守られるべき大神官長の寝室の扉に脅迫文が?  それだけでなく、その翌日から順々に四人の神官長の寝室にも脅迫文が貼り付けてあったのだという。  そこで史朗は神官長達が“闇の教団”の言葉に過剰に反応した理由を察した。彼らが闇の教団に属していたのではなく、脅されるほうだったのか?  いやいや、まだ疑いは消えない。なにしろ大神官長の寝室の扉に脅迫文を貼り付けられるような相手なのだ。すなわち大神殿の内部の者ということになる。  「それは早くに話して頂きたかったですな」とのヴィルタークに大神官長は「申し訳ない。脅迫が始まったのは、国王代理殿が王都を発たれたあとだったのです」と返す。  それも言い訳だと史朗は思った。最初の大神官長との対面で、ヴィルタークに大神殿ではこのよう事件が起こっているとひと言あってしかるべきだ。  ともあれ、大神官長は史朗が闇の勢力に襲われたという話を聞いて、脅迫文のことを話してくれた。が四人の神官長はそれでもなお、大神官長がこの脅迫文のことを話のを止めようとした。  やはりなにかあるのか?と史朗は考えた。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  一緒に会って欲しい人がいると言われた。 「いいよ、誰?」 「俺の元婚約者だ」  ヴィルタークの言葉に史朗は軽く目を見開いた。  大神殿に付属する女子修道院。  その応接のためのサロンにて、ヴィルタークとと二人案内されると、すぐにその女性はやってきた。  年齢はヴィルタークよりは少し下だろうか?修道女としての服である、長いベールに隠されて、その髪の色は分からない。瞳の色は鮮やかな緑で、真っ直ぐにこちらを見る。  一目で美人だと史朗は思った。そして、ヴィルタークの元婚約者としてとても似合いであると、胸がちくりと痛まないでもない。 「お久しゅうこざいます。大公殿下」  ヴィルタークは国王代理として、侯爵のままでは位が低いと、いまは大公を名乗っている。国王代理殿と呼びかける者が多いが、これも彼の尊称の一つだ。  ヴィルタークは首を振る。 「あなたにそのような尊称で呼ばれたくないな、ウージェニー」 「ここではドロティアと呼ばれているわ、ヴィルターク。でも、あなたにはその名で呼んでもらったほうがおかしくないわね」  これだけで二人が過去、相当親しかったことが史朗にはわかった。というより、ヴィルタークと対等に話す女性なんて、初めて見た。  彼女がヴィルタークの隣の史朗を見る。それにヴィルタークが口を開く。 「シロウだ。俺の伴侶だ」  史朗はギョッとした。ヴィルタークは史朗とのことを誰にも隠さないし、いつも堂々としているのがかっこいいと思っているけど、元婚約者にそれを言う?  史朗の戸惑いがわかったかのようにウージェニーが、くすりと笑う。 「噂の異世界の賢者様にお会い出来て光栄ですわ。お話どおり、とてもお綺麗でかわいらしい方」  これは褒められているのか?嫌みを言われているのか?と史朗は受けとめかねた。とりあえず「僕もお会い出来てうれしいです」と形通りの挨拶をする。 「それにしても、お忙しい国王代理殿がわざわざ、こんな尼僧院にいらっしゃるなんて、お呼びくださればご滞在のお部屋にお伺いいたしましたのに」 「それは嫌みかな?俺が国王代理となってから、何度か手紙と使者は立てたが、こうして直接来なかったという」  苦笑するヴィルタークに史朗はパチパチとまばたきをした。この人にそんなに連絡していたのか?でも、自分は彼女をなにも知らなかった。  ちょっと胸にもやもやしたものが沸き起こるのは仕方ない。ヴィルタークのことはわかっているから、なにか理由があったのだろうけれど。  ヴィルタークは続けて。 「では、あらためて問おう、ウージェニー。国王代理の俺の名において、君は自由であり還俗することも出来る。  また、俺の出来る範囲で君の望む支援を約束しよう」  還俗?支援?そこから憶測出来るのは、彼女は望んでこの修道院にはいないということだ。なんらかのとがめを受けてここにいる。そして、ヴィルタークが自分が出来る範囲という、最大限の支援を申し出るということは、その罪は無実、もしくは彼女自身の責任ではないということだ。 「国王代理殿が出来る範囲の支援などと、ずいぶんと剛毅ですこと。  では、あなたの妻の座を。国王代理の正妻ということは、王妃も同然でしょう?」  艶然と微笑みながら、口にしたウージェニーの言葉に、ひゅっと息をのんだのは史朗だった。すかさず「それは出来ない」と答えた、ヴィルタークに安堵する。ホッと息をつく。  「冗談よ」と彼女はじっと史朗を見ていて、ヴィルタークじゃなくて、自分をからかっていた?と頬が熱くなる。くすくす彼女は笑いながら。 「そんな野望を持っているなら、あなたから使者が来た時点で、すぐに還俗して王都に戻っているわよ」 「わかってはいた。使者に返事がないということは、君がこの修道院を出るつもりがないということは」 「なら、なぜ、わたくしに会いに来たの?」 「友人が近くにいるというのに、訪ねないという選択肢はないだろう?」  今度はヴィルタークの答えにウージェニーが、軽く目を見開く番だった。「あなたってあいかわらずね」と意地悪なくすくす笑いではなく「あはは」と声をあげて笑うのに、史朗は目を丸くした。  王宮の女官でも貴婦人でも扇で口許を隠したおほほ笑いで、こんな風に豪快に笑う高貴な女性など初めて見たからだ。  その笑い声にサロンの開きっぱなしの扉から、ぬうっとお堅そうな年寄りの修道女が現れて「ドロティア、修道女の静謐の誓いを忘れたのですか?」と険しい顔でたずねる。それに「申し訳ありません、カタリナ副修道院長」とウージェニーが、目に浮かんだ涙をハンカチでふきふき答える。 「あまりにおかしくって、でも、聖アントニオ様の教えでは、楽しいときはそのままに笑えというお言葉もありますわ」  「とにかく、修道院ではお静かにいいですね」と老女は言いつけてサロンを出ていく。それを見送りウージェニーは「わたくしはここの静かな暮らしが気に入っているの」とヴィルタークに向き直る。 「支援というならそうね。貧しい子女のための職業訓練所を以前から細々やっているの。ただ資金が足りなくてね。その援助をして欲しいわ」  手に職がないから身を売るしかない。そんな悲しい女性達の支援をウージェニーはしているという。それにヴィルタークは「わかった、ぜひ国でも支援しよう」と答えた。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇ 「元婚約者と聞いてびっくりしたけど」  ヴィルタークにあてがわれた部屋に共に戻って史朗は口を開いた。  史朗が闇に襲われた問題もあって、部屋を行き来するのではなく、大神殿での滞在はヴィルタークの部屋でと決まった。日替わりで行き来しなくていいのは、正直めんどくさくなくていい。荷物の移動とかあるし。 「正式に決まっていた訳ではないが、親同士の口約束のようなものだ。幼なじみでもあったしな」 「そうなんだ」  彼女の家はヴィルタークと同じ侯爵家“だった”そうだ。“だった”と言うのがひっかかるが。 「好きだったの?」  居間の長椅子に並んで腰掛けて史朗が訊ねれば「恋愛感情ではなく、友人として好ましく思っていた」とヴィルタークは答えた。 「ただ結婚の意思がまったく無かった訳ではない。会って分かったと思うが、おしとやかな令嬢よりは、ああいう性格の女性のほうが俺には気が楽だったからな」 「うん、そうだね。たしかにヴィルとは気が合いそう」  恋愛感情抜きにしても、ヴィルタークと彼女ならうまくやっていけたような気がする。 「俺がいままで彼女の存在をお前に黙っていたのは、自分のふがいなさ思い出すからだな。情けない話だが聞いてくれるか?」 「うん」 「彼女の侯爵家が取り潰しになったのは、俺の両親が事故死ではなく、王族の者達が荷担した隠謀だったと発覚したときだ。  彼女の侯爵家も王家の血を引いており、当主であった彼女の父も隠謀には荷担していなかったが、これを知っていながら黙認したと、その罪を問われた」  このときの王は、偉大なる大王とよばれたジグムント二世。ヴィルタークの実の父親だ。  長い統治と穏やかな治政を誇った王であったが、この事件の処分は苛烈であったと史朗も記録を読んで知っている。隠謀に荷担した者達はすべて処刑、少しでも関わった家も爵位も領地もとりあげられた。  偉大なる王の治政の末を血の粛清でけがしたと言われた、唯一の汚点。  「彼女の父はその屈辱に耐えられずに自死した」とヴィルタークの言葉に史朗は息を呑んだ。王族の血を引く侯爵から一転して、ただの平民となるなど誇り高い人であればあるほど、屈辱であったのだろう。 「粛正の嵐が吹き荒れたとき、俺は聖竜騎士団の副団長として僻地で任務していてな。急ぎ王都に戻って彼女の元に駆けつけて、結婚をしようと申し込んだ」  まったくヴィルタークらしい思う。父親は侯爵の地位も領地も取り上げられて、ただの平民として自死したのだ。彼女も当然なんの身分もない娘になってしまった。  普通の貴族の男性ならば、そんな女性など見向きもしないだろう。正式な婚約者であってもその時点で婚約解消だ。  ただ、親同士の口約束で幼なじみ。恋愛感情はない女性に彼は求婚したのだ。 「でも、彼女は修道院に入った?」 「ああ、俺が駆けつけたときはすっかり仕度が済んでいてな。『同情しないで!』でと横っ面を張り飛ばされた」 「っ!」  思わず吹き出してしまった。あまりにも今日会った、あの女性らしくて。 「ヴィルの顔をたたいた御婦人なんて、彼女だけじゃない?」  なにしろひざまづいて求婚すれば、誰もがうなずきそうな美丈夫が、ヴィルタークだ。「まったくだ」と彼は笑った。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇ 「こちら、よろしいかしら?」  その翌日、史朗は再びウージェニーと会うことになった。大神殿の中にある聖職者達の私的な空間といえる小さな中庭だ。  ヴィルタークはあいかわらず公務で忙しく、史朗は図書館から借りた本を読むのに「良い天気ですから、あちらがお勧めですよ」と円形の花壇が咲き誇る図書館の外の庭を勧められたのだ。  地下の書庫へは闇に襲われた事件があって、入るのはヴィルタークと共にいうことになってしまった。国王代理の彼ならば禁書の書庫に入れるが、護衛の聖騎士達はダメだというのだから、まったく宗教者というは頭が固い。  置かれた木の椅子に腰掛けて本を広げてしばらくたって、声をかけられた。「どうぞ」と長椅子の横に腰掛けるように示せば、彼女は遠慮なく腰を下ろした。  「えっと」と史朗が迷ったのは、どう呼びかけるべきか?だ。ウージェニーと呼ぶべきか、それともここの修道女としての呼び名であるドロティアと呼ぶべきか?  それを察した彼女は「ウージェニーでいいわ」と答える。「ヴィルタークもわたくしをそう呼び続けるでしょうしね、賢者様」と。 「あなたともう少しお話してみたくて」 「僕ですか?」 「だって、恋なんかするんだろうか?というあの朴念仁が、自分の伴侶だってみんなに堂々と言い放つぐらい、熱愛している賢者様だもの。幼なじみとしては興味を持つわ」 「はぁ、僕もどうしてヴィルが僕をそこまで好きなのか、わかりません」  本当に未だ疑問だと史朗が答えれば、ウージェニーがプッと吹き出す。「その正直さ、ヴィルタークに似ているわね」と。 「たしかにまあ、これが彼の好みだったのかと、あなたを見て思ったわよ。艶やかな黒髪に、大きく輝く黒い瞳。小さくて形のよいお顔に、どこもかしかもかわいらしい」 「は、はあ、僕、男なんですけど」  褒めてくれているのはわかるのだが、やはり男の子として複雑だと返す。 「じゃあ、あなたはヴィルタークのどんなところが好きなの?」 「口に出して言うとなると恥ずかしいですね。初めにあんな男前がいるのかと見とれましたけど。  それだけじゃなくて、あの人はなにもかもが大きいでしょう?」 「まあ、たしかに大きすぎて並の人間だとついていけないところがあるかもしれないけど」  ウージェニーは楽しそうに目を細めて「ねぇ」とイタズラを思いついた猫みたいな顔をする。 「ヴィルタークからわたくしの身の上は聞いたでしょう?」 「ええ、まあ一応」 「可哀想だと思って、わたくしをあの人の形だけの妻にしてもらえるように頼んでくれないかしら?  もちろん屋敷も別の白き結婚よ」  白き結婚とは契約のみの肉体関係の無い夫婦のことを指す。「ヴィルタークの本当の伴侶はあなたのまま。異世界の賢者様の地位は揺るぎがないでしょ」と彼女は続ける。 「お断りします。もろちん、あなたが本気でないことはわかってますけど」 「迷いなく断るのね」 「だって、それはヴィルも僕もあなたも幸せにならないでしょ?」  史朗の言葉にウージェニーは目を丸くして、そしてにっこり微笑む。 「やっぱりあなた達似ているわね」 「そうですか?言われたことないですけど」 「そうね、だからあの朴念仁が夢中になったか」  なにか納得しているウージェニーに史朗が首をかしげて、そして、思いついたとぱちぱち長いまつげをしばたかせて「あの」と訊ねる。 「なに?」 「神官長達の寝室に脅迫文が貼り付けられていたことは、ご存じですよね?」 「一応、内密にはされているけどね。宮廷同様、こういう場所では噂の周りは早いものよ」  そうたしかに、こういうところでは風聞というのは伝達が早い。閉鎖された空間ならばなおさらというべきか。  だが、逆に外部の人間には口が重くなる傾向にあるわけで、だから史朗は思いついて彼女に尋ねてみることにしたのだ。 「その内容はわかりますか?根拠のない噂でかまいません」 「根拠のないどころか、前々からのこれもうわさで、みんなさもあらんと思ったのだけれど。  大神官長様に対しては純粋な脅迫よ。闇の教団は常にお前の背後にいるとかなんとか、そんなのね」 「はあ」 「神官長様方に関しては、高位の聖職者の醜聞の定番ね。女に金。会派の金の流れがどうなっているか図星をさされて青ざめたみたい」 「なるほど」  そりゃ脅迫に関して神官長達が積極的に話したがらなかったはずだ……と史朗は納得する。「あと」とウージェニーが思いついたというように、唇に指をあてて。 「聖ワシリイ会の神官長様の場合は、女ではなく男ね。あの方は美しい美少年や美青年に目がないのよ」  「あなたも気をつけてね」と言われて、史朗はぞくりと背を振るわせた。  しかし、その神官長の死体が発見されたのは、その翌日の朝のことだ。  それも顔を潰され、心臓をえぐり取られという陰惨な形で。
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