あの時の手紙

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   ※     ※     ※  彼らが中学三年生の時、僕はまだ二年目を迎えたばかりの新米教師だった。  根本聖子も元々は僕が理科を教える幾つかのクラスの教え子のうちの一人でしかなかったが、国語の教師から僕が生粋のミステリマニアであるという情報を聞きつけ、ある日突然教えを乞いにやってきたのだ。  放課後の理科室で、翌日の実験の準備をしている最中の事だった。 「クリスティーとかクイーンとか、本格ミステリっていうのに興味があるんですけど、これを読むべきだっていうのがあれば教えて下さい」  僕は彼女に求められるがまま、名作と誉れ高い幾つかの作品を挙げた。しかしながら中学校の図書室に『Yの悲劇』や『そして誰もいなくなった』のような古典的推理小説が置かれているはずもなく、当時はまだインターネットショッピングも今ほど盛んではなかったから、中学生の彼女にとって作品そのものを手にする事自体が難しい問題だった。 「町の本屋さんを周っても、全然置いてないんですよね」  数日後に再び現れた彼女は、残念そうに報告した。  電車も走らないような田舎町だ。個人の小さな書店に並ぶのは話題の新刊か夏目漱石や太宰治といった定番の文学作品ばかりで、翻訳ミステリのようにマニアックな本が置いてあろうはずもない。  見るに見かねた僕は、彼女に一つの提案をした。 「良かったら、僕の持ってるのを貸してあげようか?」 「いいんですか?」  彼女は嬉しそうに、ぱっと顔を輝かせた。  そうして僕と聖子の間に、本の貸与という関係が始まった。大体一週間に一冊の頻度で、僕と彼女の間を本が行き来するようになった。  翻訳ものの古典ミステリなんて大人でも読み辛いはずなのに、彼女は僕が貸した本を熱心に読んだ。間違いなく最後まで読んだという証拠に、返却の際、彼女は必ずストーリーや登場人物の魅力、トリックの妙などについて、僕に感想を聞かせてくれた。  最初は風変りな生徒もいたもんだ、ぐらいの軽い気持ちで相手をしていた僕も、次第に彼女とのやり取りが楽しくなった。次はどんな本を貸してあげようかと悩み、読み終えた彼女の感想を心待ちにするようになった。  まだまだ教師としての経験も浅く、同僚の先輩教師とも、教え子である生徒達とも上手く距離感か掴めず、人間関係の構築に苦しんでいた僕にとって、彼女のように自ら僕を慕ってくれる生徒の存在は、僕自身の自尊心を養ってくれるありがたい存在でもあったのだ。  当初は理科室でのみ交わされていたやり取りだったはずが、次第に根本聖子は職員室にまで押しかけて来て、読んだ本以外の世間話まで長々と繰り広げるようになった。 「手塚先生、ちょっといいですか」
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