あの時の手紙

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   ※     ※     ※ 「あらお帰り、早かったのね」 「もう十二時近いのに、早いはないだろう。結局二次会のカラオケまで付き合わされてね、散々だったよ」 「いいじゃない。教え子の同級会に呼んで貰えるなんて。担任ならともかく、そんな先生なかなかいないわよ」  帰宅すると、まだ灯かりがついたままのリビングに驚いた。いつもならとうに床についているはずの時間にも関わらず、妻の浩美はテレビの画面をぼんやりと眺めていた。 「珍しいね。こんな時間に」 「たまたま見てたら、目が離せなくなっちゃって」  とは言うものの、ついているのは見るからにくだらなそうな深夜のバラエティー番組だ。彼女の趣味嗜好に合うとはお世辞にも思えない内容に、もしかすると僕を待っていたのではないか、という疑念がこみ上げる。  しかし、そもそも十五年前の教え子から貰った同級会の招待状に躊躇する僕の背中を押したのは、他ならぬ浩美だった。 「せっかく招待受けたんだから、行って来たら? 積もり話の一つや二つ、あるのかもしれないし。ちょっとぐらい遅くなったって、先に寝てるから気にしないで」  教職員の飲み会程タチの悪いものはなく、一たび酒が入ればタガが外れたように二次会三次会となだれ込むのはいつもの事だ。実際、新年会や忘年会といった飲み会の際には寝て待っているのが常だった。  そんな彼女が、わざわざ起きて待っているとは。 「ご飯は? 食べて来たんでしょ?」 「あぁ、何もいらない。シャワーでも浴びて寝るよ」  幾つか言葉を交わした後、荷物を置いて来るという名目で書斎に入った。  自宅に仕事を持ち帰る事の多い僕は、僅か三畳程のサービスルームが気に入ってこのマンションに決めたのだ。不動産屋によると納戸やクローゼット代わりに使う人も多いという話だったが、書斎にしたいという希望を妻は快く承諾してくれた。  突き当りに設けたデスクの他、両側下段は収納棚、上段には書棚を設け、隙間もないぐらい沢山の蔵書が収められていた。  これらは僕の物がほとんどではあるが、妻の物も混ざっている。妻も僕と同じ読書家で、僕達は元はと言えば読書という共通の趣味を通じて知り合った。  僕は文庫本が並ぶ一角に立ち、その内の一冊に手を伸ばした。  ドルリー・レーン最後の事件。  本格ミステリの旗手エラリー・クイーンがバーナビー・ロス名義で手掛けたドルリー・レーン四部作の完結編。XYZの悲劇シリーズの最終話と言った方がわかりやすいだろうか。  僕が一番最後に、根本聖子に貸し出した本だ。  本の背にかけた指が、震える。  本格ミステリ愛好家とは言ったものの、僕が好んだのはジョン・ディクスン・カーだった。カーに比べると、クイーンやクリスティは時にアンフェアと言われるような小狡い手法を仕込んだりする。その点、徹頭徹尾フェアなミステリにこだわるカーは例えトリックは小粒揃いだとしても僕の性に合った。  だから僕自身は愛好家の端くれとしてクイーンを読んだ事はあっても、わざわざ手元に所有しておこうとまでは思わない。  つまり――この本は元々、妻である浩美のものなのだ。
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