あの時の手紙

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   ※     ※     ※  大学時代に推理小説愛好会などというマニアックなサークルで出会った僕達は、卒業後も交際を続け、ほぼ同棲に近い状態にあった。  根本聖子に本を貸していた、あの頃もだ。  聖子の要望は、「本格ミステリの中で読むべきものを教えて欲しい」というものだった。つまるところそれは『オリエント急行殺人事件』や『Yの悲劇』のように、誰もがどこかで見聞きした事のあるような作品を読みたいという事に他ならない。  その点でジョン・ディクスン・カーを鑑みた場合、彼の代表作として『火刑法廷』が挙げられるが、先に挙げた二作に比べればその知名度は圧倒的に低いと言わざるを得ない。  だから僕は、必然的に自分の持つジョン・ディクスン・カーの作品ではなく、浩美の持つアガサ・クリスティーやエラリィ・クイーンを、根本聖子に又貸ししたのである。  うろ覚えではあるが、卒業式のあの日、根本聖子から受け取った『ドルリー・レーン最後の事件』を僕はそのまま持ち帰り、浩美に返却した。  おそらく、間に根本聖子からの手紙が挟まったままで。  その後手紙がどうなったかまではわからない。少なくとも僕は手紙の現物を見ていないし、浩美からも手紙について言及された覚えはない。となると、一番大きいのは、浩美もまた気づかずにそのまま本棚にしまったという可能性だ。それはそのまま僕の願望でもあった。  根本聖子の口ぶりから察するに、おそらく手紙にしたためられていたのは恋文に近い内容だろう。当時既に僕と浩美は恋人同士にあったとはいえ、恋人の本を貸した相手である教え子の中学生からラブレターが送られてきたとあっては良い気はしないに違いない。  もし浩美が気づいていれば、僕に対して何がしかの問いかけがあったはずだ。浩美が何も言わなかったのは、彼女自身が気づかなかったせいだろう。  僕はそう信じて、『ドルリー・レーン最後の事件』を本棚から引き抜いた。
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