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「……あのとき、真理が褒めてくれたからすごく嬉しかったよ」
「率直にすごいなって思ったもん。だって台詞も動きも完璧に覚えてるんだよ?……あっ、でも、あのとき夕方だったから顔があんまりよく見えなかったんだよね」
夕方を選んだのは恥ずかしかったからだ。台詞は頭に叩き込み、声や動きを真似ても、鏡に映る自分の顔だけはどうしても照れや恥じらいが残っていて、これは真理に見せられないと思った。
それでも真理は「すごい!」と、二人きりの砂浜で拍手をしてすごく驚いていたのを覚えている。
「しかし、ふみくんが本当に俳優になるって思わなかったよ。今ではスーパースターってことが信じられない」
真理は海の向こう側を眺めていた。その横顔は大人っぽくてずっと見ていられそうだ。何人かテレビや映画に引っ張りだこの人気女優と共演したりしたけど、誰よりも目の前にいる真理の凛とした横顔が圧倒的に美しい。
「あのモノマネから始まって、小劇場の舞台に出て、ドラマで主演勝ち取って出てだんだん勢いがつきはじめてさ。去年は主演映画が大賞を受賞したもんね。ほんとすごいよ」
遠い目をして真理は言った。とても嬉しそうな声だが、切ない表情はどこかで見た覚えがある。
心の奥底に忘れていたことの、輪郭がぼんやりと見え始める。
「俺のことずっと……見てたのか?」
「うん。ずっと空の上から見てたよ。雲に乗っかってね」
真理が空の上を指差す。つられて見上げると、青空に真っ白な雲が浮いている。薄々感じていた違和感の正体がわかりはじめて、鼓動が早くなっていく。
「あ、でもたまに下にも行ってたっけ。ふみくんには見えてないから、気づいてなかったけど」
あっさりと真理は言った。認めたくなかったけど……これはやっぱり現実じゃないんだ。それをはっきりと理解すると同時に、鍵をかけていた記憶の扉がはっきりと開いた。
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