確かめ屋 三田浩二 顛末記 「津軽三味線の夜」

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確かめ屋 三田浩二 顛末記 「津軽三味線の夜」

確かめ屋 三田浩二 顛末記 「津軽三味線の夜」①  時代は平成某年。今は1月。午後11時過ぎ。  場所は、東京に近い、小さな都会といっておこうかな。  ほろ酔い気分の(やから)が、わさわさと行きかう繁華街の通りからちょびっと離れた場末(ばすえ)に『琥珀亭(こはくてい)』はある。  『琥珀亭』は昼間は、カフェとして、夜はバーとして営業している小さな店だ。  カウンターに5人、ボックス席に8人も座れば満員御礼になる。  お客をもてなすのはマスター、バーメイド、そしてバイトの大学生である俺の3人だ。  何が、ここに人を引き付けるのかはわからないけど、『琥珀亭』には、客が途切れることがなかった。  雨の日であろうと雪の日であろうと、最低でも3人ほどの客がくつろいでいた。  見知らぬ者同士が、いつしか談笑をする不思議な雰囲気を持った店だった。 俺はこの店が好きだ。  午後11時半。壁の時計を見て時間を確認し、窓から見える雪をチラリと見た。積もるほどではないが、半時(はんとき)は降り続いている。  今夜は、カウンターに並んで座っている3人の客が、洋酒や焼酎などのグラスを前に、何やら怪しい話をしていた。  小さな店なので、盗み聞きをするまでもなく、その話声が聞こえてくるのだ。  真ん中に座っていた60歳ぐらいのおっさん客が、焼酎のグラスを手に持ったまま窓の外を指して、 「こんな雪の降る夜は、いつも思い出すことがある……」  と幾分声を低めて真面目腐(まじめくさ)って言った。 「ほう、何さ?」  赤いセーターを着た男が、スコッチの水割りに口をつけながら言った。 「あのな……」  おっさんは、語り始めた。  俺は、グラスを洗いながら、別に聞き耳を立てるでもなく、流れるようなおっさんの話を聞いていた。  おっさんは、遠くを見るような眼をして話し始めた。  ここからはそのおっさんの話だ。 【おっさんが語った話。題して『津軽三味線の夜』】  わしがまだまだ若かった頃、大学を卒業したくらいだからなあ、40年前ぐらいかなあ。まあ、そんな大分前の話だ。  気まぐれで汽車に乗り、北国へ旅をしたある一夜の事だ。  降りる駅は、サイコロを振って決めた。  降りたのは、名前も聞いたことのない、小さい駅だった。  2月で冬の(さか)りだったからなあ、もちろんのことあたりは重々しい白い世界だったよ。  海が近いのか、潮のにおいのする雪が右へ左へと舞い散っていた。    何もない所と思ったが、幸い小さな民宿があり、一夜の宿を求めた。  宿は老夫婦が営み、老婆はすぐに食事の用意をしてくれた。 「なして、またこんただしばれる所へ来なさっただ」  老婆は、こたつに(ぜん)を並べながら人懐(ひとなつ)こく聞いてきた。 「べつに、理由はありません。ちょっとした休みが取れたものですから」  わしは、そう答えた。確かにこれといった理由などなかったんだ。  強いて言えば荒れて寒々とした海が見たかったからかなあ。 「それにしてもわざわざこんな日に……」  老婆は、あきれたように笑った。ご飯を食べ酒を飲みやっと寒さから自分を取り戻しかけた時だった。  無情な風の音に交じって何やらはじく様な音が聞こえてきたんだ。  ペン、ペン、ペペン、それは三味線(しゃみせん)の音だった。  わしは、不思議に思い老婆に聞いた。 「おばあさん、誰か外で三味線を弾いているんですか?」 「あにさん、聞いてやってくれるだか。津軽三味線だで」  わしは、何が何やらわからぬままに 「はあ……」  と答えた。  すると老婆は、こたつから抜け出て外に出て行った。  三味線弾きを呼びに行ったんだ。  おそらくあれは、観光客目当ての流しのようなものだろうとわしは思った。  しかしながらこんな寒い、雪の降る日にやることなかろうとも思うのだが。  老婆が(くだん)の三味線弾きを呼んでいるのが聞こえた。 「おうい! おうい!」  わしも宿の玄関まで行ってみた。  やがて、老婆は三味線を担いだ女を、手を引いて連れて来た。  どっさり雪をかぶった髪の長い女だったよ。  しかし、女というにはまだ間があるような顔つきだ。  幾分少女という感じの印象を受けた。  和服に赤いちゃんちゃんこといういでたちで、体の雪をはらっている。  そのしぐさから、少女は盲目(もうもく)であることが分かった。  部屋に上がり、座敷に座ると少女は寂しげな声でわしに言った。 「(たえ)と申します。津軽の三味線(そう)させていただきます」  言うや否や、力強く弦をバチでつま弾き始めたよ。  吹雪舞う戸外からやってきたというのにその指は、凍えた様子もなく実に滑らかに動いていた。  その指の動きにこの少女の何かわからんが哀しみの強さが表れ出ているような気がしたもんだ。  三味線の音は、もはや耳から入るのではなく直接、胸、あるいは腹を刺激した。    少女が三味線を弾いている間、わしは微動だに出来なかった。  やがて少女は、三味線を弾き終えた。張り詰めた空気の中でわしは、肌寒さを感じた。  ふと見ると少女は、涙を流しているではないか。固く閉ざされた(まぶた)の間から、とめどなく涙が流れ出ている。  少女は、三味線をわきに置いてずずっとわしの前へにじり寄りわしの手を取った。  そして、世にも寂しげなそして哀しげなかすれた声で言ったんだ。 「もし、お前様は私の兄様(あにさま)では? 」  面食らったのはわしだ。  少女は涙ながらに続けた。 「兄様でしょう。私の兄さでしょう」  見えぬ目をわしに向け、それはもはや訴えだった。  わしは、持て余して老婆を見て、目で助けを請うたが、老婆はただうなづいているだけだ。  少女はさらにすがるようにわしに抱き着いてきた。 「会いたかった。会いたかった」 「ちょ、ちょっとまちなさい。私は、君のお兄さんじゃありません」  わしは、静かに言った。少女は、にわかには信じなかった。更にすがり付いてきた。 「いえ、いえ、私の兄さだ」  一体何なのだ、この少女は……。狂っているのだろうか。その時やっと老婆が口を開いた。 「妙よ、そん人はおめえの、あにさじゃねえだよ」 「え!?」  少女は、はっとしたようにわしから離れた。  そして言葉を発せず、しゃくりあげながら、そそくさと帰り支度を始めた。やがて、わしが差し出した祝儀(しゅうぎ)を受け取って再び、外の白い闇に消えていったんだ。 「津軽三味線の夜」②につづく
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