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私は最後まで言えなかった。不意に耳に小さな痛みを感じたから。驚いて、耳をおさえ、ヨーゼフ様を睨む。
か、噛んだ!? 今、耳、噛んだ!?
「ごちそうさま。あ、これは先払いね。見返りもなく何かをするほど、俺は慈悲深い男じゃないから」
あっけらかんと言われてしまい、わなわなと怒りに震える。ひっぱたいてやろうかしら! 私の耳を噛んだ罪は重いのよ!
そう思って、手を振り上げたその時。
「あれ? お姉さんが帰ってきたよ? アルファ君はいないみたいだけど」
「え?」
振り返ると、顔が真っ青なミランダが、ふらふらと近づいてきた。それに驚いて立ち上がり、ふらつくミランダを支える。
どうしたの?
さっきまで、あんなに幸せそうだったのに。
「どうしよう……」
「え?」
「アルファ様が……アルファ様が……婚約式をしたいって……」
え?
えええっ?!
くっつけばよいと思ってはいたけど、話が飛びすぎだ。 なに? 二人は知らない間に、教会で将来を誓い合う仲にでもなったの?
すっかりパニックになった私は、アルファ様への挨拶もそこそこに、逃げるように帰ってしまった。
そこからが、修羅場だったわ……
*
婚約式は家族を交えて行うもの。隠しきれないと判断した私はことの詳細を両親とばあやに話した。
話を聞き終えたお母様は顔色を無くして遠い目になり、お父様はのほほんとしている。
「婚約式? いいんじゃないの?」
お父様の反応に、お母様の額に青筋が立った。
「なにバカなことを言ってるんですか!アルファ様は、ミランダのことをロンダと思い込んで、婚約式を申し込んでいるのですよ! 辺境伯爵様に嘘をついて婚約式を行うなどできるはずがありません。それに、名前はどうするんですか! ミランダに偽りの名前で生涯いろっていうんですか!」
「それは、可哀想だな~」
「可哀想とか、それ以前の問題です!!」
お母様の怒号が飛び、お父様は相変わらず。ミランダは、倒れそうなくらい青ざめている。
「あぁ、身代わりなんてさせるんじゃなかった……こうなったら、辺境伯爵様に全てお話をして、婚約の破棄をしてもらうしかありません」
お母様が額に手をあてて方針を打ち出す。
それは困る!
私の婚約破棄はいいけど、ミランダまでされたら困る!私が何か言おうと声を出した時、先にばあやが話し出した。
「奥様、それは時期尚早です。せっかくミランダお嬢様とアルファ様が仲むつまじくされていますし、破談にするのはもったいのうございます」
「しかしマリア……こうなってしまってはもう……」
「今は気が動転されて考えられないだけです。少しお休みになりましょう。ほら、ミランダお嬢様も、今にも倒れそうです」
「ミランダ……」
ミランダが顔を両手でおおい、はらはらと涙を流した。
「お母様……申し訳ありません……私、私……」
「あぁ、ごめんなさい。あなたは悪くないわ。あなたは悪くない。悪いのは私よ。身代わりなんてさせた私よ……」
「お母様……」
涙を流すミランダをお母様が抱きしめる。私は鉛でも飲んだかのように、胸が重たくなった。
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