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序章 狐面の少年
祈りはむなしく、夕暮れ前から雨が降りだした。
夏の暑さで干からびたアスファルトに叩きつける雨粒は激しく衰えを知らない。このまましばらく降り続きそうな勢いだった。
「残念だったな拓巳(たくみ)。夏祭りは中止だ。だから予報は当たると云ったのに」
軒下に吊るしたテルテル坊主をにらんでいた少年の頭を、後ろからやってきた兄が撫でた。からかうような口ぶりに反して髪を撫でる手つきは優しい。その優しさが「あきらめろ」の裏返しのような気がして、拓巳はますます腹を立てた。
「兄ちゃんは悔しくないの? ぼくたち七年祭のためにはるばる東京から来たんだよ」
体を反転させ、居間の座布団の上でくつろぐ二つ上の兄に同意を求めてきた。分厚い人体図鑑を眺めてた兄の晶(あきら)は顔を上げずに笑う。
「まだ七歳(ガキ)のくせにどこで『遥々』なんて言葉覚えてきたんだ? そもそも東京からたったの二時間程度は遥々なんて云わない。それに旅行の目的は夏祭りじゃなくて避暑だ」
拓巳たちはこの土地の人間ではなく旅行者である。両親が新婚旅行で訪れた長野県にある『月黙亭(つきしまてい)』の宿を気に入り、毎年夏になると避暑を兼ねて家族旅行にやって来ている。いまでは女将たちともすっかり顔なじみだ。
「だからって、このままお部屋でじっと雨粒を数えているなんて我慢できないよ」
十畳の和室には兄弟ふたりきりだ。一緒に来た両親は別館で大人の祭りを愉しんでいる。女将の計らいで地酒や刺身がふんだんに振る舞われているのだが、いくらジュースをたくさん飲めるといっても酒臭い会場にそう長くはいられないので兄弟は一足先に部屋に戻ってきていた。
床の間に飾られたヒマワリは下を向いている。拓巳も同じようにうつむいて晶の膝にごろんと頭を乗せた。
「恭介サンは?」
深尾 恭介はこの宿の息子で、晶と同い年の九歳だ。『サン』付けで呼ばないと兄はとても怒る。
「さぁ? 朝早くから夏祭りの準備に出掛けたんだ。中止が決まるまでは会場の神社にいるんじゃないか?」
長い指先でページを繰りながら晶は顔色ひとつ変えない。涼しげな目元を縁どる睫毛が上下するのをひとしきり眺めていた拓巳は満足そうに頷いて上体を起こした。ポケットに隠していた硬貨を掴んで拳を上げる。
「じゃあ行ってみようよ。中止になるまでは夜店がやっているんだろ?」
「――莫迦」

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